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天に貯える

例えば、道に落ちているゴミを拾う。誰も見ていないけれど。誰かに評価されるためではなく、自分がそうした方が良いと感じたから、ゴミを拾った。

そういうことって誰にでもあると思うんです。本当はゴミをポイっと捨てないのが一番良いのですが、たまたま目に入ったから気になって拾ってみたっていうことが。

わたしの住む運河沿いの街には、早朝に運河のゴミを拾っている方が何人かいらっしゃいます。水に落ちたプラスチックは、鳥や魚の命を脅かし、やがて分解してマイクロプラスチックとなって地上の生物の命も脅かします。何気なくポイっと捨てたペットボトルが風にあおられて運河に落ちて、たくさんの生命を脅かすことになるのです。

早朝にその方たちの行動を目にして感謝することはあれど、その方たちに何らかの報酬が支払われているとは思えません。それでも行動する。誰も見ていなくても。

そういう行動がまったく評価されないかというとそんなことはなく、きっとその行いは天に貯えられていきます。そう思います。ゴミを拾った。落とし物を届けた。そんな小さな行いでも、誰かのためを思ってすることは天に貯えられて、そのうち引き出し可能になると。

見えるものだけが評価されるのではなく、自分の身になるものはすべてのもの。そう考えると身軽に行動できるのは、わたしだけではないと思います。


自分のできることを。それってすごくかっこいい。


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