パレットに逃す

エトワール

星を見る少年
視線を伸ばした先は一番星

なりたいものは決まってるんだね
分からない事なんて無いみたいな顔して
すべてお見通し

ぐらつく心臓
滲むよトルソー
さよなら あなたは優しい人

期待が膨らませた気球
乗ったら大気圏が背中を押した

星に向かって跳ぼう

エトワール 星を掴んで踊れ
エトワール 飛び乗ってコメット
悲しみは見せないで

望遠鏡のトンネル抜けて
少女が瞳に落ちてきたよ

どうか目を離さないでいて

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これはアニメーションを作るときに、自分用に書いていた詩です。
作品ではなく、修作でもなくて、パレットの端っこを引きちぎって貼ったみたいな感じです。
どういうアニメーションを作ろうかと考えるとき、最初浮かんできた映像を文字で起こして箇条書きにするのですが、それはお巡りさんになって子どもを補導し取り調べをしながら、記録で必要な事実のみ書いているような感じです。

君何歳?14歳ね。
どこに住んでるの?東京の端っこか。
どこで何があったの?なるほど、我慢できなくなってお金も払わず星を万引きしたと。
親御さんに連絡するから電話番号を教えなさい。

取り調べ中、子どもの視点に立つともっと伝えたいけどうまく説明できない部分が出てくるわけで。なんだか言葉にすると、大切な何かが馬鹿にされたような気分になってしまいます。
そうなった時詩を書くと、濃い部分と薄い部分しかなかったイメージが滲んでにごり色が追加される。そうすると手が入っていかない奥行きが出来て、向こう側が生まれます。それは作品しか知らない向こう側です。

伝達のための言葉と、思考のための言葉、そしてそれ以外。
名前のない色を聞かれて何色!って答えなくていいように、私にとっては心象の淡いを混ぜたり逃せるパレットのような場所が詩なのかもしれません。


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