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毎年変な年賀状が来る

私には、毎年変な年賀状がきます。

それは2019年から始まりました。

相手は誰かわかっています。

それまで、私の中の年賀状のイメージは、その年の干支が書いてあって、大きなフォントであけましておめでとうって書いてあって、右横とかにちょろちょろっと差し障りのないメッセージが添えてある…。

そんなイメージでした。

ですが、2019年、もらった年賀状がコレ。







2019年、友人より

…異様です。

ですが、私は割とコレを気に入っています。

そんな私の思いが通じてか、それは毎年来るのでした。

しかも、1月下旬とかに来る。めっちゃ遅い。

年賀状を書く才能がある友人。

そしてその変な年賀状を毎年楽しみにしている私。

ここから本題ですが、

最近、年賀状を書く人が少なくなってきているそうです。年賀状を書くのが面倒臭いそう。LINEとかSNSでちゃちゃっと済ませればいいじゃないかと。

たしかに、膨大な量を、義務のように虚に書く両親の姿を子供の時に見ていたので、そういうのはめんどくさいだろうなあと思うのですが、

私は思います。

年賀状は手紙です。
手紙って貰ったら、とっても嬉しいものです。

画一的な匂いのしないテキストで、あけましておめでとうと言われるよりも、誰かの手作りの、気持ちの籠った年賀状の方が、私は嬉しく思います(私は)。

手紙なんて今どき書く人あんまりいないんじゃないでしょうか。だから年初めくらい、手紙を書く時間があったって良いじゃないかと。

それに、SNSとかだと、久々にメッセージするとそれ以降の会話を続けなければいけない個室空間に追いやられてしまうことになるので、

あっさりした関係なら、年賀状の一方通行なコミュニケーションの方が、お互い気軽だし、縁も途切れないということで、都合も良いのではないでしょうか。

結論、何百枚と書かなければいけない年賀状文化は無くなっても良いですが、ああこの人とは結構ずっと関わっていたいかもなあと思う人には、年賀状って、とても良いツールのではないかと個人的には思いました。

以上、2023の初めでした。

年賀状をくれた友人と2022の振り返り@高円寺
初日の出@愛知県
中国人の友人は、とてもよく考えている。日本の若者はもっと世界を考えないと、他人事だと思ってはいけないと言っていた。
このBE’OとZICOのcomplexっていう曲がめっちゃ良い。
福岡にいる大学の友達に会いに行ってきた。
これは、長崎のあの凸凹のところ。
意図せず深夜3時の銭湯。人めっちゃいた。私の知らない土地にも人は沢山いて、暮らしているんだあと思った。@佐賀

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