ライカとの出会いは突然に
ご無沙汰しています、らい子です。
今回は私とライカの出会いについて書こうと思います。
私がライカに出会ったのは忘れもしない2015年、自宅での出来事でした。
当時まだカメラも持っておらず、趣味と言えるものも特になかった私。
何か始めてみたいなー、何がいいだろう、写真っておしゃれそうだしやってみたいかも!
という超安直な理由でカメラが欲しくなりました。
(今にして思えば、高校生の時からアートには興味があり、蜷川実花さんや清川あさみさんなどの写真家を知っていたし、友達と写真展に行った経験もあり、絵画や立体アートよりは手軽そう、私にもできそうという気持ちがあったのだと思います。)
弟がいるのですが、Nikonのデジタル一眼を持っていたことは知っていたので、まずは貸してもらおう!というこれまた安直な考えで弟に「カメラ貸してよ」と話しかけました(ジャイアンな姉)。
そこで弟が持ってきたのがライカだったのです。
以前も書いた通り、このライカは祖父がもともと持っていたものでした。
祖父は寡黙な昭和の頑固親父だったので、ライカや他の数十台のカメラの存在は祖父の子供である、私の父も知りませんでした。
当時祖父は他界しており、祖父の書斎にあった大量のカメラの中から弟が見つけて持ち帰っていたようです。
こうしてライカと運命的な出会いを果たした私ですが、実はこのときはライカのことは知りませんでした。
弟に向かって「なにこれ!すごいカメラ?」と発したくらいだったので(笑)
だけど、今思い返してみると、何かビビッとくるものがあったのだと思います。
フィルムカメラは写ルンですを中学生のときに使ったことがある程度でコンデジや携帯のカメラで撮っていたような世代ですが、見た瞬間に好奇心を掻き立てられたのをよく覚えています。
それは見た目の可愛さやフィーリングもあっただろうし、おじいちゃんが持っていたカメラだからというのもあったかもしれません。
弟からライカを手渡されたその足で近所のカメラ屋に行き、カラーネガフィルムを1本購入しました。
そして近所を撮り歩き、数時間のうちに36枚撮り終わり、現像に。
結果は・・・全部ピンボケ!笑
そのときM3についていた沈胴式エルマーを引き出さずに使っていたのが原因です。
当時は原因がすぐに分からなかったのでとてもがっかりしました。
でも、それもネットで調べて2本目はしっかりピントを合わすことができました。
改めて見返すと、初々しさが感じられて良い写真だなと思います。
ピントがちゃんと決まり、露出もそれなりに合っていて、「おー写ってる!すごい!」という感動が大きかったので、写真が上手いとか下手とかは思うひまもありませんでした(笑)
こうしてライカと衝撃的な出会いを果たした私は、向こう6年ライカ一筋で撮り続けていくことになるのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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