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ほめられることのメッセージ


今日はなんだか、からだが疲れているみたい。

早くから眠かったから、今日もなるべく早く寝ようと思う。

なんて幸せな毎日…とふと思った。

最近わたしのからだは健康で、毎日ちゃんとうんちが出る。

元氣な60センチくらいのうんち。

それだけでうれしいんだな。

出るものが出るからだは、ちゃんといらないものを外に出せている健康なからだである証だから。


5月に、この前受けたセミナーのつづきを受けるために、2日間お休みをもらいたいと思っている。

長年勤めているひとでもなかなか有休を使えていないらしい。

そんななか、まだ有休も出ないのに、すでに1日欠勤しているわたし。

でも、わたしはそうなんだろうな。

どう思われるかとか、なんて言われるかとか(この前お休みをもらうときは「なんで?」と園長に聞かれた)、もちろん氣になるし氣にするんだろう。

今もめちゃくちゃ氣になって、“なんて言おう~”って考えている。

でもわたしは、じぶんの時間を守ろうとするだろう。

やりたいことを犠牲にしたくない。

これはわたしがじぶんでトップに立ったことがないからなのかもしれない。

だからじぶんは未熟でなにも知らないことをいつもこころに留めておこう。

それでも、絶対やりたいと思ってるし、そのお試しなのだとも思う。

いつか、わたしはじぶんの学びのために合わせて10日くらいお休みをもらうことになるだろう。

そしてアーユルヴェーダを学ぶ。

またインドにもカルマ解消の儀式をしに行くつもりだ。


明るいパープルの上着を着ていたら、職員だけじゃなく、園生たちからも讃嘆の声をかけてもらった。

今日はたまに送迎する園生を送ったときに「かわいい」と言われて、にこにこ笑顔だけれど、口数は多いほうじゃないひとだったから驚きとうれしさを感じた。

なんだか、わたしが“褒められたらうれしくなるひと”と思われていて、わたしがどうしたらうれしいか、喜ぶかを知っていてくれているのを感じた。

それを知っていること、そしてそれを与えてくれるのは、愛でしかないなと思う。

あとは純粋に、その“幸ポイント”を見つけるために、よくわたしを見ていてくれたことも愛だなあと思う。

ひとのいいところを見つけられるのは、それだけで大仕事だし、人間として生まれて生きていることの大切な価値だと思う。

そして純粋に、“かわいく”いることでだれかを喜ばせられるのがうれしい。

だからわたしはこれからも、もっと素敵でもっとかわいくなりたいなあ。


きもちよくうっとりと幸せな眠氣につつまれている。




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