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2018/09/24 お別れ会

24:06

ファミマの角を曲がって、ゆるやかな坂をのぼっていく。左耳にざわめきが入ってきて、ひとつ息をはいた。左手の階段に足をかける。よし行ってこい。次の段、また次の、と、脚をあげるたびに身体が小さくかわっていく。最後の段に、顔を上げる。知っている面々の横顔が向こうに見える。

中目黒は、奏くんが話す物語の舞台のひとつだった。

二〇〇〇年代のはじめ、中目黒銀座商店街の特殊な建物の二階に、彼の事務所はあった。お風呂なしアパート、家賃は破格の二万円。期限付き。取り壊しが決まっているその物件は、入居者が好き放題にできる、ある種のひとびとにとって夢のような遊び場。ムーブメントが生まれてくるのは自然なことだったろう。一階では、幼馴染目のケイくんが友人とともに大いなる実験場を生み出していた。ここを中心地(エピセンター)に繰り広げられる中目黒の物語を、私は聞くのが好きだった。セブンイレブンでなくお豆腐屋さん。ファンシーなビルのファンシーな古着屋さんでなくお魚屋さん。そんな頃の話を。


テラス席にいた彼らが、こちらへと視線を向けた。少し空気がかわった気もした。

優しい招きに、テーブルのひとつに加わる。真ん中には、ブラックの写真立てに白黒の写真。あの頃の物語のワンシーン。奏くんも、テーブルの向かいに座った彼らも、一〇年ほど若返って、まっすぐに海を見つめている。奏くんから聞いていた物語。その登場人物たちが、彼ら側から、同じ物語を語っている。奏くんは登場人物になっていた。

その中心には奏くんの不在があった。と同時に、そこにはたしかに、奏くんがいた。語られる物語に、新しい奏くんに出会い、彼の記憶がすこし増えた。すこし不思議な、とても良い時間のなかにいた。

そろそろ帰ろうと、隆に連絡をする。迎えに来てもらったその足で、奏くんの実家へ行く予定だった。

Happy birthday to you, happy birthday, happy birthday… ♪

突如流れたバースデーソングに、ケーキがこちらに向かってやってくる。
涙が溢れ出た。

奏くん。肉体も時間をも超えて、奏くんが友人たちとともに祝ってくれているんだと、胸がいっぱいになった。奏くんの友人たちに、どれほど感謝したかわからない。奏くんの写真もたくさん頂いた。フレームのなかで海を見つめる、あの白黒の写真も。


駒沢通りに上がって、隆のピックアップを待つ。涙が止まらない、気づいたら隆が横にいて、そのまましばらく抱きしめてくれた。実家に向かう道中も、涙が出るにまかせて泣いた。猛烈な悲しみがそこにあった。みんなの気持ちがとても嬉しかった。でもそこに、その中、その中心であるべき奏くんの姿がそこにいないことに、押し潰されそうに、引き裂かるように悲しかった。

奏くん。奏くん。猛烈に会いたい。ただただ、会いたいよ。なんでここにいないんだろう。ひどいよ。私も、義父母も、スナフィーも、隆も、友人たちも。それでも、私たちは生きていく。でもやっぱり、あなたの不在が、未だになんだかよくわからないよ。本当によくわからない。もうさっぱりだ。


義父母と隆とで、夕飯を囲んだ。「本当に楽しかった」と義父母は笑顔で何度も言った。本当に良かった。お別れ会での時間も良かった。どれも、忘れたくないこと。でも、それじゃあ矛盾を孕んでしまう。奏くん。もう一度、一緒に暮らしたい。今度はもっとうまくやれるから。もっともっと、幸せにしたいから。

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