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2018/09/06 (1) before 1pm 葬儀

8:30

着物の着付けは、驚くほど手順が多い。

腰から下に裾除けを、上にはガーゼの肌着を。重ねられたタオルが着物用の体型へと補正していく。腰元にぐるり。胸元にはVの字型に。体型が出来上がれば、白い長襦袢の袖を通す。腰紐が二本、腰元をキュッと締め上げる。「キュッ」に合わせて、目を閉じる。白い半襟を付け、伊達締めという紐状のもので、更にキュッと締める。目を閉じて、それを、受け止める。

一枚、また一枚と、葬儀という儀式に向かう自分が出来上がっていく。

家紋の入った(間に合ったのだ)夏用の黒い絽の着物を着付師さんが手に取る。母のような年齢の着付師さん。これまでに何度、この所作を繰り返してきたのだろう。静かに流れるようで、無駄がまったく無い。手を止めることなく、この若さで夫を送るということへの労いと悲しみの言葉をかけてくれる。「言葉」自体は思い出せない。けれども、その「言葉」とともに腰紐をキュッと締め上げたその力を、そこに込められたものを、目を閉じ受け止めたその感覚は強く残っている。

夏用の黒い帯に黒い帯締めで仕上げる。背中がバシッと叩かれた。鏡に映る彼女のその笑顔に、涙が流れた。「せっかくのお化粧がね」と笑う。着付けを見ていた茉奈も、ヘアメイクさんも、そして着付師さんも、みんなで笑った。

儀式のような着付けを終えて、鏡の中には、そして、体の感覚としても、「喪主」が出来上がっていた。

10:30

喪主の挨拶文は、まだ出来上がっていなかった。家族控え室で、親族に手短な状況説明をしてから、挨拶文の最終化に本腰を入れる。挨拶例文をベースに、ホテル勤続一〇年以上、丁寧な言葉で伝えることのプロでもある(と私は思っている)茉奈の監修を受けながら、思いを言葉に乗せてみる。でも、…ダメだ。どうしても、「自分じゃ無い」感がつきまとう。

自分の言葉で伝えたい。

骨子となる「参列の御礼ー生前の御礼ー今後もよろしく」に立ち返る。本当に伝えたいことだけに絞り、心から伝えられる自分の言葉で、小さなメモ用紙に清書した。二つ折りにして、手持ちのバッグにしまう。良かった、なんとか時間内に出来上がった。これで大丈夫だ。

葬儀

波を模した青い花々の祭壇。背景に映された空。その真ん中に、奏くんの遺影。昨日に引き続き、ジョークとしか、時空の歪みとしか、思えなかった。意味がわからない。紋付きの立派な喪服なんて着て、胸元には喪主を表す白い花飾りなんか付けて、お焼香をしてくれる参列者に頭を下げる。よっぽど私より長い付き合いの、列をなした友人たちのひとりひとりに。その誰もが見たことのない表情をしていて、「沈痛な面持ち」という言葉を知った。客殿の外には入り切らなかった参列者が溢れていた。

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お花入れが始まる。開いた棺の中に、参列者の手でお花が次々に入れられていく。ピーナツバターを食べさせてあげたい。その想いは、ここで叶えることにしていた。義母と隆が今朝買いに行ってくれていたパン(本当にすみません)に、隆の「マイバターナイフ」でたっぷりと塗られたピーナツバター。「奏くんの好物ピーナツバター(またはトースト)説」でざわついていたかもしれない。ピーナツバターが入ったことで私は満足をし、手にしたお花を奏くんの顔の真横に置き、額にキスをした。

「閉めます」。全員がお花を入れ終える。棺が、閉められようとしていた。

「ちょっと待ってください、ごめんなさい、もう一度」

葬儀屋さんの閉めようとしていた手が止まった。たくさんの白いお花に囲まれて、変わらず目を閉じたままの奏くん。その額に、もう一度キスをした。その瞬間だった。ずっと張り詰めていたものが崩れた。奏くんの額に額を乗せ、泣いた。たくさんの布やタオルや腰紐が私の身体を締め付けてくれていて良かった。喪主の白い花飾りが胸元にあって良かった。たくさんの人がいて良かった。でなければ、どうしていただろう。

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「このあと喪主の挨拶です」と葬儀屋さんに小声でそっと知らされてから、人知れずものすごく焦っていた。やばい、なんで私手ぶらなんだっけ…⁉バッグが無い=喪主の挨拶を書いたメモ(カンペ)が無い…!

隆の姿を目だけで探す。お花入れのときに、バッグを預けたかもしれない。

いた!しかし、遠い!脇にはしっかりとバッグを抱えている!そうだ、隆はあの中にメモがあるなんて知らないのだ。神妙な面持ちでこちらを見てるし…。違うー!

マイクの前へと促される。ダメだ。もう間に合わない。メモ無しでいくしかない。

マイクの前で、参列者の視線を受ける。たくさんの方々が来てくれたのだと、瞬間に感じ入った。ここにいる全ての人々が、奏くんへのそれぞれの想いを抱えて、今ここにいる。

妻として、喪主として、伝えることがあった。「自分の言葉で」と何度も考えた挨拶文であり謝辞だ。皆んなの顔をもう一度見る。大丈夫だ、伝えよう。

皆様、本日はご多忙のところ、夫・小西奏の告別式にご参列くださいまして、誠にありがとうございました。生前、夫が皆さまから頂きました想い、優しさ、共にした楽しい時間に、私より代わって御礼を申し上げます。

太陽の光と、海の心を持った人でした。まだ受け止めきれないのが正直なところではありますが、今後とも、夫・小西奏をいつまでも想い続けて頂けたら嬉しいです。本日は心よりありがとうございました。

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