短編小説「妹より」


 前略
 姉が欲しかったのでございます。
 幼い頃はサンタクロースのプレゼントにも「おねえちゃん」と書きました。両親はずいぶん困ったことでしょう。どうしても年上の女性と家族になりたかったのです。母は確かに女性でしたけれど、私が欲しかったのは保護者としてでなく対等に遊んでくれる存在でした。アニメの登場人物が姉と話しているのを見ては、父に私にはいつお姉ちゃんができるのとしつこく尋ね、最後には叱られたものです。
 ごく幼い頃は兄を姉に見立てて遊びました。初めのうちは言うことを聞いて女の子の真似をした兄でしたが、直に嫌がるようになりました。自分は男だから女の真似はしたくないのだそうです。子どもながら大変失望したものでした。
 小学校の級友の中には姉がいる子もおりました。早く自分にもお姉ちゃんができないものかと日々待ち遠しく思いました。世の中の仕組みが分からない子どもだった私は、良い子にしていれば自然と自分にも姉が出来るのだろうと考えたのです。しかし当然のことながら、いつまで待っても私の願いは叶いませんでした。そして道理をわきまえたとき、また私は失望したのです。
 私が中学校に上がった年、兄は高校三年生になりました。そのころになると一つの希望が見いだされたのであります。兄が結婚すれば、義理の姉ができると私は思いついたのです。どれほど喜び勇んだことでしょう。切望しながらも諦めた夢が叶うかもしれなかったのですから。
 兄は無口でした。私も思春期に突入し、兄とはほとんど口を利かなくなりました。誰が知っていたでしょう。兄と無言ですれ違う度に「早く結婚してください」と私が念じていたことなど。
 毎夜私は義理の姉と話すことを夢見ました。私はお義姉さんと呼びかけ、あちらは私の名前をさん付けで呼ぶのです。美しい時が流れます。私は義理の姉と一緒にお菓子を作り、二人で飾り付けて食べるのです。
 当然神頼みもしました。神社に行った際には、「私は結婚できなくて構いませんからどうか兄が結婚しますように」と祈りました。
級友から教わったおまじないも用いました。確かに幼く愚かな行いでしたが、私は真剣だったのです。
 ところが無口な兄は長い間結婚どころか恋人すら作らなかったのです。一向に状況が変化しないまま、私は高校を卒業しました。会社勤めをしながらも、兄の結婚を願って止みませんでした。その頃にはもう気恥ずかしさもなくなり、兄に向かって堂々と「早く結婚して、私にお義姉さんを見せて」と言うようになりました。私にそう言われる度、兄は顔をしかめました。
 一度、兄とチューリップ畑を見に行ったことがありました。私は性懲りもなく言いました。
「来年には三人で見に来られるといいわね。私と、お兄ちゃんと、お兄ちゃんの結婚相手とで」
「そんなことばかり言っていないで、自分こそいい人を探したらいいだろう」
「私はいいの。私はお義姉さんさえいればそれでいい」
兄は返事をせず、花の方を眺めました。暖かい風が髪の毛を揺らしました。兄はしゃがんでじっくりと花を見つめました。
「これ、ずいぶん上等な出来じゃないか? 白の花びらの縁が赤くなっている」
「どれ、あら本当。写真に撮ろうか」
「花だけじゃなく僕らも写真に収めよう。誰かに撮ってもらおう」 そういって、近くにいた人に頼んで写真を撮ってもらいました。 思えば大人になってから私たちが二人で写っている写真はその一枚くらいかもしれません。それだけは今も大切に持っております。

 運命が変わったのは、今年の秋でした。それまで浮いた話の一つもなかった兄が、突然結婚を考えている相手がいると言い出したのです。
 私は当然大喜びしました。私の切なる願いを知っている両親はそれを見て笑いました。兄ははにかみました。そのうち兄は婚約者を連れてきました。美しくて控えめな女性でした。私はご機嫌に話をしました。
 ところがなぜか心には影が差していたのです。彼女が帰った後、原因の分からない憂鬱に苛まれました。あれほど欲しかった人が手に入ったはずなのに、嫌で嫌でたまらず、兄に結婚をやめてほしいと言いたくなりました。そんな自分がひたすら嫌いになりました。 兄も両親も私の苦しみを知らず、それどころか冷やかしすらしました。結婚話は順調に進み、彼らはめでたく夫婦となったのです。 私には全く理解できない状況になりました。兄は全く別の人に見えました。両親ももはや以前の両親ではないのです。義姉、あの嫌な女は、他人のくせに平然と私の家に出入りしました。どこにも私の家庭はありません。家族は壊れてしまったのです。
 私は知りました。夢は遠くに眺めるものです。決して叶えるものではありません。叶ってしまった夢は、人生を壊すでしょう。

 この手紙を読んでいるお父さん、お母さん、私は家を出ます。探さないでと言ってもあなた方は探すでしょう。しかし無駄です。誰にも知られないところへ私は行きます。 
 お兄ちゃんへ、不出来な妹のことは忘れて、幸せな家庭を築いてください。あなたは私の一人きりの兄です。
 お義姉さんへ、兄はどこまでも優しい人です。あの人は信用に値します。幸せになってください。
 最後になりますが、皆さんお体に気をつけて。
草々

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