人生迷子から、30代最後の年に自分らしく生きる決意をしたお話 前編

初めまして!
ちこぴです。

私は30代最後の年に、自分らしく生きることを決めました。
それまで、ぱっとしない人生を過ごしてきました。
私の人生こんなもんじゃないはずなのに、何でだろうと思っていました。

後に分かったことですが、自分の人生を、他人に委ねる選択をしてきたからです。

そこから、今、自分の人生の幸せの舵取りをすると決め、そのプロセスを歩んでいます。
トライ&エラーを繰り返しながら、幸せな人生を手に入れるまでの方法をシェアしていきたいと思います。

1.生きづらかった学生時代

学生時代は、自分の時間を大切にしたいがゆえに、ほとんど部活をやったことがないという、マイペースな子供でした。
中学校の卒業式当日、受験に失敗した私は、学年でひとりだけ進路が決まっていなかったり、ようやく入学できた地域底辺の商業高校では、将来使わないという理由から、何の資格も取得せずに遊んでばかり。
高校生活でも、進路が決まらないまま卒業式を迎えました。
救いだったのは、両親が何も言わないでいてくれたことです。

2.就職、そして転職を繰り返す

初めての就職

高校を卒業した年の夏、ようやく就職することができました。
夢だったアパレルの販売員をしていましたが、仕事がとても楽しく、管理職になった私は、どうしたら目標達成できるだろうかと、そればかり考えていました。

そこから、時間と共に予算と責任が重くのしかかり、外側に対して、中身が追いついていかないような感覚を感じました。
気分が落ち込むことが増え、このまま働き続けてはまずいと感じ、退職することにしました。

ニートと転職を繰り返した20代

退職後しばらく無気力状態が続いたので、遊んでHPを回復させていました。
そしてお金がなくなり、慌てて就活を始めるというサイクルを繰り返していました。
20代は、親に甘えるおスネかじり虫でした。

転職は、今までの経験からできそうなことを選びました。
でも辞めたい仕事を違う会社でしたところで、結局はまた辞めることに。

やりたいこともない落ちこぼれニートの私は、いつか有名大学卒業の子しかいない上場大企業で働いて、周りに『ドヤ』りたい。
そんなことを考えていました。

そんな当時の私は、金なし、人脈なし。
お金の不安から逃れたいと思っても、モバオク(今のメルカリ的存在)で不用品を売り、わずかなお小遣いを稼ぐのが精一杯でした。

それでも当時は、さすがにのちに合計9社で働くことになるとは思いませんでした。

念願の上場大企業に就職

何度目かのニートのとき、派遣で短期バイトをすることに。
久しぶりの仕事と、好きな営業職ということもあり、楽しく仕事をしていたら、意図せず営業成績全国1位、覆面調査満点という奇跡の結果を出したことで、入社試験の数学のSPIテストが1問しか書けなかったにも関わらず、有名大学卒業生ばかりの上場大企業に就職することになりました。
夢が叶った!と思った29歳の夏でした。

3.夢が叶った先は絶望だらけ

しばらくして、夢だった上場大企業生活は、夢であって欲しい生活に変わりました。
激務、終電、カスハラ、そして業務が好きではないことに気づきました。

なにより、周りの同僚たちは、結婚して育休に入ることが目標。
つまりは仕事をしないことが目標で、そこに人生のハイライトを置いていることが分かりました。

落ちこぼれが故に、いつか何かを成し遂げたかった私は、自分の理想はここにはないことに気づきました。

そんな当時の唯一の楽しみは、ボーナスと長期休暇で行く海外旅行でした。


後編に続きます


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