境界性パーソナリティ障害
妻が10年以上前に診断されました。
さらに軽度知的障害も診断されました。
そりゃ生きづらいなんてものでは無いよなとようやく考えを改めないといけないと思う分岐点になったのですがもっと気が付くのが早かったらと思う気持ちは大きいです。
気が付いたところでそう簡単に対応を変えられるものではない。
対策は逃げる、距離を置く、弁護士相談、近づかないようにするためには…など。
検索するとこのような内容ばかりが上位にヒットします。
いやいや、嫁さんです。
逃げませんよ。
心が壊れる?
そんなもの知らん。
何度も壊れました。
時には壊れようが立ち向かう事も必要な事はあるんじゃないのかな?
逃れられないどうしようもない事だってあります。
病気の人は逃げられない。
逃げられる立場であるからと逃げた後で何かを引きづり続けて自分で自分に後ろ指を指す人生になるかもしれない。
逃げる勇気が称賛されるけど逃げない勇気だって必要です。
逃げるのは理論や効率を最重要視した結果での一例であってその人にとっての正解かどうかはまた別の話。
心の問題では特に理論や効率に重きを置くべきではないんだと思います。
いや…理論は大切です。
正しいとは言い切れないけどかなりの正解に近いと思える事は
その人の「今の心」に合った対策をしないと何も伝わらないという事でしょうか。
偉人が書いている本の内容はまぎれもなくとても良い事です。
それだけ称賛に値する価値のある言葉もたくさんあるでしょう。
ただその内容はその人の心がその時に心に響くところにいたのか?
いなければ何の意味もないんだと思います。
誰にでも響くのであればその本だけ見ていれば治るはずなのに治らないという事はそういう事でしょう。
段階的に「今何が適しているのか」
これこそ最重要視するべきなのではないでしょうか。
話は戻ります。
自分はどうありたいかで逃げたきゃ逃げれば良いけど何かあれば家族を捨てて逃げようって逃げグセもついてしまいそうな自分がいやだから逃げませんてした。
立ち向かいたければ立ち向かうのも1つの選択肢。
周囲がどうのこうの、本ではどうのこうの、そんなの関係ないんじょないかなぁと思った次第です。
自分の場合はぼろぼろになりました!
自分の中の常識を軽くこえる出来事が簡単に、しかも連続で起こるので…
止まることのない嵐のようにというような表現でしょうか。
経験しなくて良い事もたくさんあるので幸福な人生を送りたいのであれば経験しないのも1つの手段です。
経験する事により知らない世界や人の心について上辺だけでない部分まで知ることも可能です。
人間らしさ、自分らしさって何なんだろうとか、自分らしく生きようって自分と向き合ったりですかね?
経験した僕からは軽々と向き合った方が良いとは言えません。
逃げたら楽で楽しい人生だっただろうけど自分だけ楽をするために妻を捨てるという行為は許せなかったからです。
自分を選んでくれた妻だしとことん付き合うよ!という話ですかね。
だけどそれだけじゃなくてここまで来るのには僕という人間が出来上がるまでに出来た人生観が大きく関係していると思います。
サイコパスなのかもしれないですね!
本当にどれだけ考えても答えなんてないのだろうけど…
考えるなよそれならは通りません。
考える側の人
考えない側の人
そう思って下さい。
どちらからも生み出される大切な事はあるんでしょうね。
人類にはどちらも必要なんだろうなぁ。
境界性パーソナリティ障害と向き合い続けた中身はどんなものだったのかをそのうち書いてみます。
今向き合っている方などへは心をへし折られる内容になる事もあるかもしれませんが覚悟をもって向き合いたい方など何か決心したい方は見てもらえればと思います。
自由な事ですが僕の本心は向き合って欲しいなぁという思いだという事は伝えさせて下さい。
結果的に向き合った側での妻との生活をしていますので向き合った側の意見になる事が中心になると思います。