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青ブタ劇場版の感想(ネタバレなし/あり)


※トップ画像は、劇場版の公式HPのスクリーンショットです。問題があればご指摘ください。



<感想本編>(ネタバレなし部分)


いやあ、劇場版まで観てきて、本当に良かった。

青ブタこと「青春ブタ野郎」シリーズは、著者・鴨志田一によるライトノベルが原作。「さくら荘のペットな彼女」と同じ作者です(さくら荘の方はまだ見てませんが)。高校2年生の梓川咲太を主人公にすえて、“思春期症候群”と名付けられたファンタジックな現象を、幾人ものヒロインと経験していくという筋立てです。アニメ版としては、2018年秋に放映されました。

1話は見てたんですが、タイトルにもある麻衣先輩のバニーガール姿が強烈で引いちゃったんですね。あーこういうお色気で釣る展開なのかな、と誤解してしまった。その後は何となく遠ざかって、フォローする機会を逸していました。今思えば、3話までは見ておくべきでした。

で、6月最初に名古屋リスナー会の後で、めの人やちるぶさんと飲みに行った際に、めの人から青ブタを勧めてもらったわけですよ。めの人からは、以前に「すかすか」「終末な」終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?の略称;1話リンク)を勧めてもらい、それが非常に良い作品だったので、そこまで言うのなら……と、青ブタも見に行ったわけです。

アニメは13話構成でしたが、2周しました。

“思春期症候群”は、登場人物の揺れ動く感情とリンクしており、抱えている問題が解決すればファンタジックな現象も解消する仕組み。咲太は、理系少女の友人・双葉理央に相談して、量子力学等になぞらえた話を聞くことで(実際の現象の説明そのものというより、捉え方のたとえ話と取る方が良い)、解決の大きなヒントをつかんだりします。しかし、最終的には登場人物それぞれが気持ちと望みを明らかにし、自ら収束させる必要がある。その心理描写と、互いの心をぶつけ合う会話運びの妙が素晴らしく、それゆえに支持されていると感じました。

で、劇場版の話です。

2018年秋のアニメでは、1~3話:女優にして先輩・桜島麻衣、4~6話:後輩・古賀朋絵、7~8話:友人・双葉理央、9~10話:麻衣先輩の妹にしてアイドル・豊浜のどか、11~13話:主人公咲太の引きこもり妹・梓川かえで、にそれぞれフォーカスが当たりました。

劇場版は、アニメ13話終了後のお話。何度か言及されながら、アニメ最終話に至っても謎が残った、牧之原翔子というヒロインについての物語です。

翔子さんは、主人公咲太がメンタルどん底だった中学生の時、ふいに現れて励ましてくれた恩人です。彼女を追って咲太は県立峰ヶ原高校に入学したわけで、時間軸上では最初に出会ったヒロインと言えるでしょう。しかし入学した高校では彼女との再会はかなわず。やがて、アニメが進むにつれて咲太と麻衣の前に現れた彼女はなんと……という状態だったわけで、この伏線をどう回収するのか、大いに楽しみにしていました。青ブタの大きな区切りとなる話になるのは間違いありませんでしたから。

(以下、ネタバレあり感想に続きます)







<注意書き>

タイトルにも書きましたが、ここからは青ブタ劇場版のネタバレがあります。青ブタの原作ラノベを該当する6~7巻まで見ていない、もしくは2018年秋に放映された青ブタのアニメおよび今回上映された劇場版を未見の方は、ブラウザバックすることを推奨します







<感想本編>(ネタバレあり部分)


ここを見ているのは、既にアニメ全話と劇場版を視聴済みか、該当する原作ラノベ読破済みの方、ということでよろしいですね。

違うなら、ブラウザバックしましょう。









映画がCパートも無く終わって、まず思ったのは、

これほどまで壮大かつ強引かつ御都合主義的でありながら、清々しいほど許せて幸福になれる夢オチは、これまでもこれからも無いだろう。

ということです。

逆に言えば、夢オチという荒唐無稽なはずの荒業を、細部まで説得力を持って描き切りたいがための翔子さん登板であり、これは間違いなく最初から計算ずくですね。作者に、見事にしてやられました。

タイムループものを書きたいのだろうし、小さな翔子ちゃんと大きな翔子さんが同一人物である以上は、大きな翔子さんが「未来」から来ているのだろう、というところまでは予想できていました。読者がそれくらいは予想できる程度に、見える伏線が丁寧に張られていましたから。

しかしウラシマ効果による時間の減速・加速を(比喩としてでも)持ってくるのは読めませんでした。理央の件から、現状に対する拒絶が己の存在を分裂させるのは納得がいきますが、それを時間軸方向に適用するとは。

あと、自らの存在を確定させるため"量子もつれ関係"となった朋絵を持ってくるのも、良い意味で了解できるこじつけ方でした。朋絵ちゃんは、今後もずっとこの線でからかわれ続けるんだろうなあ……


で、劇場版を最後まで見ると、単純なタイムループものというより、シミュレーティド・リアリティの観点で捉え直す方が良いかもしれないな、と思い始めました。

シミュレーティド・リアリティとは、「現実性(reality)をシミュレートできるとする考え方で、一般にコンピュータを使ったシミュレーションによって真の現実と区別がつかないレベルでシミュレートすること」を指します(シミュレーティド・リアリティ - Wikipedia)。

ちなみに、もっと過激に、「いま私たちが生きている(と信じている)この現実も、シミュレーティド・リアリティである」と考える、"シミュレーション仮説"すら提唱されています(シミュレーション仮説 - Wikipedia)。

我々の現実が本当にそうかはさておき。

今まさに存在している自分を、「現在」ではなく「過去の自分から見た未来のシミュレーション」として捉えなおす。枝分かれする平行世界を遡って幹にいる「過去の自分」がシミュレーションしているのが、「たった今自分が見ている世界」だと<定義し直す>発想の転換。

何かのガジェットを用いて平行世界の時空間を渡るのではなく、不安定な感情が引き起こす現象:"思春期症候群"を利用し、いま観測中の世界をシミュレーティド・リアリティだと捉え直すことで起きたはずの事象を遡って改変してしまう、というのは、ちょっと類例を思いつきません。(私が知らないだけで、イメージ元となった作品はあるのかも? もしあるよ、知ってるよという方がいれば教えてほしいです……)

※追記:思いつく限りではハルヒが最も近いですが、あれは神視点での無意識的な現実改変ですね……キョンにとっては、意図的に望ましい未来を選択するというよりは、設定されているはずの望ましい出口を探し出す、というニュアンスの物語だった、と個人的に思います。

青ブタ世界は、翔子さん=翔子ちゃんの"思春期症候群"で大きく改変されてしまいました。咲太と翔子さん=翔子ちゃんが出会って織り成したエピソードは、すべて「夢」の中で起こった事だと書き換えられたわけです。それはいわば平行世界での冒険であり、最終的に決定された「幹」から見れば現実の出来事ではなくなった

咲太は「夢の中で」翔子さんと出会って大きな人生の指針を得て立ち直ったし。猫のハヤテを拾った際に翔子ちゃんとは出会わなかったけれど「夢の中では」出会って、彼女の事情を知った。けれど、それはあくまで夢の中の出来事で、実在する人物とは思っていなかった(と改変された)

咲太周囲の関係者は翔子ちゃんのことを覚えていなかったものの、おそらく咲太と同じで「夢の中では」出会っているのでしょう。ただ、咲太と違って、目覚めたときには全て忘れているため、翔子ちゃんの事は知らないし思い出せない(と改変された)。細かく調整もされているに違いありません。

その「自分では気づかない無意識の記憶」があったからこそ、麻衣先輩は臓器移植のドナーを呼びかけるような映画に出演したのだし、その甲斐があって翔子ちゃんは心臓移植を受けることができた。咲太も麻衣も犠牲にしない、第三のルートを切り開いたのです。

初恋の相手との記憶をすべて「夢」だったことにする、ここまでの辻褄合わせを、ICUで苦しみ傷つきながら眠りについた翔子ちゃんが、その薄れて千切れゆく意識の中で、すべて企図してやり抜いたと考えると……涙はもちろん、畏敬の念が溢れて止まりません。なんたる聖人だろう、この子

もちろん、最初から割り切っているのではなく、悩み苦しみ抜いて辿り着いた決意だからこそ素晴らしい。恐ろしいほどの御都合主義であることを隠そうともせず、皆が幸せになるにはこうするしかなかったと、過程を踏んだうえで、堂々と述べて見せる。青ブタに通底する、このブレなさ

そして、ラストシーンでの再会に至って、咲太と翔子はそれぞれの「夢の中で起こっていたはず」の記憶を一気に表在化させたのでしょう。

名前を呼び合う、それだけで、積み上げてきた全てのエピソードが確かにそこにある、忘れてなどいないと想起させる、物語の力を確かに感じました。

幸せな気持ちになれました。

ありがとう、青ブタ




※さらに追記:

蛇足ではありますが、アニメの各ヒロイン回は、それぞれが劇場版へつながる要素を持ち合わせて伏線となっているんですね。

1~3話、麻衣回。忘却される悲しみ・辛さ、その忘却に抗うことで生じるだろう犠牲、その犠牲を許容できないための忘却の受容、そして忘却からの復活と新たな未来。と、こう並べてみると劇場版のプロットそのままです。

4~6話、朋絵回。彼女は望ましい未来が出るまで何度もサイコロを振り直し、最終的にはそれ自体が誤りだったと認め、「サイコロの振り直し」自体をシミュレーティド・リアリティだったことにしてループから抜け出します。劇場版で過去に戻るためのキーアイデアが、既に提示されています。

7~8話、理央回。現状に対する拒絶が分裂させた自己。現実に対して適性の高い人格を導き出そうとする試みは、最後には両方とも自分であることを認めて統合されます。同時に、大きな翔子さんが問題解決のため生み出された「分裂した翔子ちゃん自身」であることを読者に暗示しています。

9~10話、のどか回。互いの立場を入れ替えて知る、相手の思いや辛さ。そして相手への共感と許し。アニメ・劇場版を通じて、小さな翔子ちゃんが咲太から貰った承認と庇護は、大きな翔子さんが咲太へと返していくことになります。時を超えて、翔子さんと咲太は互いの立場を入れ替えています。

11~13話、かえで回。存在するべき者を残すために失われる者。大切な者を喪失する悲しみ拒絶、そして受容。かえでが喪われて花楓の記憶が戻ってきたように、大きな翔子さんは去って翔子ちゃんは生き残ります。しかし、失われた者が残った者へと向けた思いや記憶は、消えずに残りました。

かえで回がアニメの最終エピソードであり、劇場版の直前に配置されているのも、重要な回であるためなのはもちろんですが、劇場版での咲太の選択に大きな影響を与えるためでもあったでしょう。

また、大切な人の喪失を繰り返すのか、と。

(これは、麻衣回のリフレインでもありますが)

かえでを失った傷が濃く残っていてこそ、劇場版で咲太がとった揺れ動く行動に説得力が出るのです。

アニメの各ヒロイン回には、劇場版の翔子回に結実させるための要素が、至る所に散りばめられています。こうした前準備があってこそ、視聴者は翔子さんの物語を受け止められたのです。心憎いほど手抜かりの無いストーリーテリングだと言えましょう。



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