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言葉に頼りすぎているのかもしれない

こんばんは。

れふとで御座います。

先日、ショッピングモールへ行き映画を観に行きました。
待ち時間を利用してお買い物をし、お昼ご飯を食べていた時。

私の斜め前にお母さんと、ベビーカーに乗っていたお子さんがいて、
ギャン泣きしていました。

メタルで言うところのホイッスルボイスに近い、
人によっては何事かと思うような、本気のギャン泣きでした。

お母さんはいつもの事だ感が出ていて、
「ここ来るまで笑ってたじゃ〜ん。も〜どうして〜?」
みたいな事を言いながら困っていた様子でした。

そこで私は考えてみました。

この子は、なぜこんなにもぐずっているのだろう。


人様の子ですし答えを聞く事はないですし、
あの子はまだおしゃべり出来ませんから答えは永遠に闇の中です。

しかし、私考えてみました。


・いつもと違う環境、人の多さに緊張していた
・慣れたお家ではない為に安心できないと言う不安な心があった
・純粋にお腹が空いていた
・したい事があるが出来ず、現状に不満があった
・外モードのいつもと違うお母さんで心の拠り所がなかった


色々な事を考えながら、私はさっぱり鶏肉のフォー&五穀米黒炒飯のセット
一点見つめで食べていました。

ちなみに飲み物はラッシーにしました。
とても美味しかったです。


普段のこの子の感じがわからない今、
唯一の手がかりはお母さんにしかないと判断しました。

ヒントは2つ。
⒈ギャン泣きしている子を見ていつもの事だ感を出している事
⒉ここに来るまでは笑っていた

ここに来るまでは笑っていて、ここに来たら泣いてしまったという事はきっと
このショッピングモールの外では泣く理由はなかった
と、いう事はきっとこの人の多さと、
広いながらも閉鎖感のある空間が嫌だったのではないか。

もしくはご飯を食べたいお母さんはテーブルの横にベビーカーを置いている為、
ベビーカーを押しながら天気を見て、お散歩をもっとしたかったのではないか。


なんとなく、私にはこの2点が濃厚ではないかと思えてきました。

ここまで、ものの5分ではありますが、
あのお子さんは5分間ホイッスルボイスで叫び続けているのです。

きっとガチ目に嫌な状況なのだと思うのです。

結局耳も痛くなってしまったのと、答えを知る事が出来ない問題の為私はラッシーを飲み干し、
その場を後にしました。



動物とのやりとりも、まだ喋れない赤ちゃんでも、
言葉でのコミュニケーションが出来ない外国人であってもきっと同じで

言葉に頼りすぎているのかもしれない 


今回は何気ないぐずる子に対してですが、
私はよく答えが出ないような事に対して思考を巡らせます。

音楽をしていた頃は言葉はいらなくて、
今の職場とは真逆の世界で生きていました。

その辺も込み込みで私の趣味は当時から一貫して、
悩む事と書くようにしています。


あの子はどうしてギャン泣きしていたのか、
どうしても知る事は出来ない訳ですが、知りたいとは本当に思うのです。


もしそれが出来たなら、あの子をモールに入る前のような笑顔にしてあげる事が出来たのだろうか。

そう思うと関係ないのですが、
何も出来ない自分がなぜか悔しく、
言葉に頼らないといけない自分がとてもちっぽけに感じました。

その分、私はもう少しだけ新しい事が出来るのではないかとも思いました。

どうでもいいような事に本気になれる自分であり続けたいと、強く思います。

もし、万が一答えが見つかったらシェアさせてください。
それでは、皆様どうか良い夜を。




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