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社会の縮図

こんばんは。

れふとです。
私は20代を音楽に捧げ、人とお金に裏切られたような形で音楽の道を諦めました。
そういったもののせいにして、自分を正当化しようとしていたのだろうと、
今では思えるようになりました。

それから、今の会社に拾ってもらい、今後の人生は誰かの為になり、
誰かの為に生きようと、心から思い今の会社に勤めています。

見える景色はとても変わりました。

人の幸せが嬉しい、人に喜んでもらえる事を出来たと思える事が誇らしい。
そんな風にここ数年、思えるようになってきました。

私がこのように思うようになったキッカケは単純なもので、
当時音楽をしていた頃、社会の縮図のようなものを感じた事がキッカケでした。

課金の出来るカードゲームのようなもので、
お金と時間のある人には良いカードがやってきて、
お金も時間もない人はどんどん離されていくような、そんな感覚に近いです。

そういったゲームにハマった訳ではないので、語弊はあるかもしれませんが、
社会はそういったものに近いと感じました。
もちろん、運もありますし、売れるべくして売れた人、
報われるべくして報われた人もいると思います。
ですが、そういった方は本当に一握りで、日の目を浴びる事なくその道を退いてしまった方も多数いる事を見てきました。

運がなかったのか、努力が足りなかったのか、時代に合わなかったのか…
時間があればよかったのか、お金をかけてくれる人が見つからなかったのか…。

世の中がそういった流れで出来ていると個人的に感じてしまった中、
一線を退いた私が何か出来る事は何だろう。

それはきっと、先輩に殴られて来た部活で、後輩が出来た時に後輩を殴る事ではなく
超えられない壁に遭遇した人の、その踏み台であれば、こんな私でもなれるんじゃないだろうか。

そう思った事が始まりでした。

その子が超えたい壁に遭遇した時、社会は簡単に蹴り落とすイメージが強くあります。
それはきっと音楽という界隈にいた事もあるかもしれません。

音楽の才能がなくてもお客さんを呼べて、お金になる匂いのするバンドマンに声をかける事務所が存在するような…

カードゲームに似た感覚だと思いました。

ゲームは楽しめれば良いですが、人生はそうではありません。
私はそういった壁に遭遇した子の手を取って、引き上げてあげられるような権力も名声も、何も持ち合わせていません。

なので、せめて踏み台にだけでもなれたら…そう思い、今の会社に拾っていただいてからは
人の為にできることはなんでもしようと、心に誓いました。

結果としてそんな必要は今のところなく、みんな輝いて毎日を過ごしています。

それでも今、私のような非力な力でも必要としてくれる方がいるかもしれないと、
その時が来たら命を差し出してでも、力になってあげたいと思っています。

実際のところ何を出来るのかわかりませんが、そういった変人も世の中にはいて良いのではないかと、
自分を言いように肯定し、今を生きています。

せめて私に関わってくれたみなさんには、幸せになってほしい。
知らない人にも心の底から幸せを思える程の器はありませんが、
そう思って日々を生きています。

どうか、せめて良い夢を。


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