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『コテンラジオ』からのAmazonプライム、そして『ひとつ』への気づき


さて、最近よく耳にする『コテンラジオ』。

歴史を各テーマごとに、何回かに分けて丁寧に、わかりやすく、かつ時に笑いも取りながら実に興味深く語られている。

ちなみに私も「歴史弱者」である。

以前大好きな小橋賢児さんの、J-WAVEのラジオ番組にも、株式会社コテンの代表、深井龍之介さんがゲストとして出演されていてずっと興味を持っていた。

***


テーマをずらっと見て、まず「最澄と空海」そして「三蔵法師玄奬」と聴いてみた。

特に「最澄と空海」では、“そもそも仏教って?”まで遡り、深く掘り下げ、その哲学を出来るだけわかりやすく語られていて、どんどん話しに引き込まれる。
ここでは詳しく述べないけれど、とにかく熱量があって素晴らしいのでおススメしたい!

一方、「三蔵法師玄奬」では、この壮大な、ただ信念一筋の命がけの西への旅の解説を聴いているだけでも、まるで一緒に旅をしているかのような感覚にさえなった。
(西遊記の夏目雅子扮する三蔵法師の印象を、遥かに超える、それはそれはものすごい方だった・・・)

そこまで世界に入り込んだ直後、Amazonプライムビデオで、「三蔵法師・玄奬の旅路」という映画を目にする。

これは熱冷めやらぬ間に!とすぐに視聴した。
コテンラジオで前知識があるためか、描写にもより深く入り込む。

玄奬が遂に天竺へ到着し、師と対面するときには、私も既に玄奬になっていた(笑)。
そしてクライマックス、天竺で法典の学びを深め、真理を極める様はもはや私自身の喜びでしかなかった(涙)。

すると、これまでずっと触れ続けてきたこの真理探究の世界、一時道を外れたとしてもやっぱり戻ってしまうこの道、そこを今歩めていることに深い喜びと感謝が沸き起こってきた。

これまで、自分ワールドを大切にするあまり、出逢うひと、こと、ものにも、なんか違うな、と距離を取ることも多々あった。
どちらかと言えば、一匹狼タイプである。

でも、この道(真理探究の道)に触れ、実際、ホントこれしか人生の目的はないのではないか、と感じている今、ここに至れたのはこれまで関わってくれた人、もの、こと、すべて、本当に森羅万象まるごとすべてであることが心底腑に落ち、有り難くて、有り難くて、有り難くて、泣き崩れてしまった。

あの日、あれほどまでも憎んだ相手、
あの日、もうこの世の終わりだと思ったほどの深い悲しみ、
あの日、もう消えてしまおうと思ったほどの孤独感
あの日、目の前が真っ白になるほどのショックな出来ごと
あの日、 ・・・

すべて。
頬を優しくなでる風も、降りしきる雨も、
もう本当にすべてだ。

何もかもそれひとつ欠けても、「いま」は生み出せない。

これまで「分離」していたものが一気に「ひとつ」になった。
いや、「ひとつになった」のではなく、そもそも初めから「ひとつ」でしかなかった。

「分離」は頭で勝手に作り上げていた幻想。

私は極端に「分離」を作り出していたと思う。
だからこそ「ひとつ」は、ものすごくインパクトが大きい。

あぁ、これが今まで頭で理解していた「赦し」なんだ。

***

ふとしたキッカケで『コテンラジオ』を聴き、

思いのままにAmazonプライムで映画を観る。

そして、こんなにも大きな気づきに至った。


それぞれに至るまでを振り返ると、、

これから長時間、車に乗るからそのお供に、、
そうだ!コテンラジオでも聴いてみよう!

家に帰り、、、
運転疲れたな、座ろう。
パソコンでも開くかな。
そういえば「空海」ってAmazonプライムで映画なかったっけ?
あ、玄奬も映画になっているんだ!

ざっと表面的な現れとしては、こんな感じである。

長時間、車に乗る、という事象には、またいろいろなことが関わっているし、そもそも私が「三蔵法師・玄奬の旅路」の映画を観て、そこまで反応したのには、これまでの複雑な様々な関わり合いがあったからこそである。

すなわち瞬間瞬間、すべてが影響し合っているのだ。

繰り返すけれど、本当に何一つかけても、それは起こらない。

キライと感じたあの人・もの・ことも、その時「キライ」という感情が起こったことで、「今」が創られる。
(いわゆるネガ感情をピックアップしているのは、特に「分離感」を招きやすいと思うから)

では、「キライ」ではなく「好き」と感じるように努力していたら、「今」は違っていたのか、、、?

「キライ」を「好き」と感じるよう努力しなかったのも、森羅万象の関わりの中で現れた、その瞬間の反応なのだ。

「好き」と感じるよう努力していたのなら、それもまたその瞬間の反応。


そしてそれには、“そもそも”の始まりがない


結局、意志はあるようで無い

***

さて、「ひとつでしかない」と気づいた今(昨日の今日ではあるけれど)、何か変わったか、といえば、起こることは何も変わっていない。
相変わらず雑事にも追われるし、感情や思考も湧いてくる。

でも、ふと目に入るすべてのものに、どこか繋がっている安心感が感じられる。


少し意識的に暮らしてみようと思う。


なかなか言葉にすると限界があるけれど、

なにか、、そう、「間」に漂うものを感じていただけたら幸いである。



さいごに、

こんなにも大きな気づきのキッカケをくれた『コテンラジオ』
 ありがとう。

私の中の感覚を、直接的に呼び起こしてくれた
映画「三蔵法師・玄奬への旅路」
ありがとう。


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