2015年10月19日の記録
だいぶ夜が長くなってきたから、なかなか患者さんも目を覚まさずに、ゆっくり眠っている。“5時のラウンド”を懐中電灯を持たなきゃ回れなくなると、ああ、冬が来るなあ、と思う。5時半くらいに、やっと明けるなあ、と思ってからは、怒涛の2時間がやってくる。
忙しくなる前のまだ暗い廊下ですれ違った男性患者さんに、「起きるの、早いですね。おはようございます。今日は採血がありましたよね。採血、今やっちゃいますか?」と聞くと、「これから朝陽を見に、上の階まで行ってこようと思って。採血、あとでいい?」と言われた。私は、「もちろん。どんな朝陽だったか、教えてくださいね。」と、笑顔の彼を、笑顔で見送った。数分経って戻ってきた彼は「ちょっと曇っててさあ、富士山、見えなかったよ。」と、笑いながら教えてくれた。そのあとの採血は、一発で取れた。採血が終わる頃には、雲が晴れて、窓ガラスを越え、廊下いっぱいに朝陽が眩しく射し込んでいました。
ある女性は、「リハビリの先生が買ってくれた洗顔の道具を試したいの」と私に言いました。泡立てた洗顔を、ブラシで更に泡立てて、顔につける、っていう、そのブラシをみつけてきてくれたんだって。とても美意識の高い、肌もすごく綺麗な彼女。彼女のためにと考えて、準備したんだろうなと思った。でも、彼女のリウマチの手では、一泡もたてることができなかった。「私の手じゃ無理ね」って言いながら、それでも辛そうな顔ひとつみせずに、彼女は必死に手をこする。そしてほぼチューブからだしたそのままのそれをブラシにつけた。どうしようかなと思いながら「今日は私が泡、たてますよ。」と言い、私は手袋を履いて、手の中で泡をたてた。「ああ、ありがとう。ああ、こんな風にできたらね、いいのにね。」と言いながら私の手にできた泡をブラシで取り、顔につけた。「泡立てるネットとか、試してみましょうよ」、と言うと、彼女は「そうね、そうね。」と笑った。
「当たり前だったことが当たり前じゃなくなる時が来る」って、
嘆くように、微笑むように、それは悲しみそのものであるように、それが奇跡であるかのように、そう語っていたあのお芝居を、時々私は思い出すよ。
この朝は、今の私にとっての当たり前なのかもしれないなあと思う。
そして、起こることは、ひとつひとつ、どれも当たり前じゃない瞬間瞬間なのだ、とも思う。採血が一度で成功することだって、奇跡かもしれないじゃないか。なんて、そんなこと、言ってたら患者さんに逃げられるな。
私、なんでもない、特別のない今日の夜勤を、忘れないと思う。
2015/10/19
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