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2020年3月14日の記録

2月から夜勤専門看護師を始めた。約4年ぶりの病棟勤務に不安もあったけれど、思った以上にすっと仕事に入れたのでほっとしている。ナースコール対応、点滴管理、他人に針を刺すこと(採血やルート確保)、吸引すること、ドレーンの観察、医師への相談や指示受け等、久しぶりに取り組むことばかりだったけれど、どれも思いの外、昨日までやってたことのように自然にできる。不思議なものだ。排泄介助や更衣は、前より上手くなってる。訪問入浴のおかげだ。ありがたい。

 
働いていると、一緒に働くナースや他職種の人の言動に、驚くことがある。患者さんに対しての気持ちや向き合い方、ふるまいが、表にも裏にも酷いんじゃないかと思うようなこと。驚くと同時に、いや、それはないだろうと思って、腹が立つ。そして、悲しくなる。しんどいなあ、と思う。
そういう時には物凄く悶々とした気持ちになる。やんわりと自分の気持ちを言葉にすることもある。先日は、堪えきれずに「その対応は無いと思う」と、すこし強めに言ってしまった。
 
と思えば、ナースステーションで雑談をしていると、呼吸をするようにヘイトな言葉がぽろぽろ出てきて、また、頭が痛くなる。またやんわりと、そういうことじゃ無いと思うんですよね、と言ってみる。

 
思えば、11年働いた病院で、こんなふうに頭を悩ませたことは殆どなかった。や、ヘイト的なものはたまにあったか。当たり前のように患者さんにとってどうか、と語っていた。それは“当たり前”ではないのかもしれないな、と思う。

 
病気や老化の影響で様々な機能が落ちていたり、疼痛などの苦痛に襲われていたり、生と死の不安を抱えていたりする患者さんは、それ故にわがままに見えることもあるし、めんどくさいことが沢山あったりする。正直、理不尽やな、と思ってイラっとすることもあるし、対応しきれませーん!ってなってもーってなることもある。人間やもん、仕方がない。でも、そのひとの人生や生命、生活を思うと、患者さんを責める気にはさらさらなれないし(明らかにモンスターな人もたまにいるけどな)、短い時間でも、このひとに真摯な自分でいたいと思う。綺麗事かもしれないけれど、その方がずっと楽に呼吸ができる。

 
自分は非正規職員だし、余計なことはあんまり言えない。自分が正しいと思ってもいない。や、思っちゃってるんじゃないの?と、ここしばらくずっと、ぐるぐるしていた。

 
そんななかで、ふと、「ああ、私が、嫌だなと感じているんだな」と思う。
看護観、人生観、倫理観など、たくさんの価値観が、ある。ひとの数だけ、きっと、ある。そういうことなんだろう。

 
だから、私はこう思う、って、さらっと言えたらいい。
 
だから私は、月や朝焼けを一緒に見て歓ぶ時間を大切にしたい。
痛みや不安で呼んでくるひとに、辛いですね、とそばにいることを、時間の限り惜しまないようにしたい。
それでいいんだな、と思って、急に楽になりました。

 
写真は、夜勤の朝、空床の窓から。
患者さんとふたりで朝が来たことを歓び合う時間と、夜勤明けの青空の下でビールを飲むことが、夜勤の醍醐味だと思っています。

  

  
「何かきっかけがあった訳でもないけれど、急にいろんなことを思い出す。その時は感情が溢れて、どうしたらいいのかわからなかった。確かにみえるのは失望だけで、沢山の言葉を吐き出して、沢山の言葉を飲み込んで、自分も迷路だったけど。ああ、私、悲しかったんだなあ。ちゃんと言葉にしてみよう。」

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