見出し画像

2016年2月19日の記録

一昨日、だいすきな患者さんが、逝ってしまった。早朝に亡くなられた彼は、出勤した時、まだ、病室に居た。その二日前に、私は、準夜勤で彼を受け持っていた。翌日が休日だった私は、深夜勤の同僚への申し送りのときに「もう私は彼に会えないと思う」と言ったらしい。覚えてなかったんやけど、「村上さんの言った通りでしたね。」と言われて、そうかーと思った。

私は、12月まで、彼の受け持ちの看護師だった。認知症のある彼は、看護師どころか医師の名前もなかなか覚えなかったし、認知症故に突然怒り始めることもあった。入院してすぐに認知症が進んだりもして、色々大変だったなあ。
ある日、そんな彼の入浴介助をしたときのこと。どうしても湯船に浸かりたいという彼のすこし無茶な希望を叶えるために、筋力がおちた彼を必死で支えた。ちょっとコントみたいな入浴介助だった。その日、湯船に浸かった彼と世間話をした。私の出身地の話になり、愛媛で村上だから、「村上水軍の末裔?」っていう話になった。その日から、彼は担当の私のことを覚えてくれた。「僕の担当は村上水軍の末裔なんだよ。すごいひとが担当してくれてるんだ。」って、いろんなひとに言ってた。それがなんだか面白くて、奥様と一緒に、何回も、笑った。

そんな彼が「君がいてくれないと困るんだ。君が、最初からの僕の担当だから。」と言ったことがあった。私は、看護師として失格だなあと思った。看護師は交代勤務やから、私がいなくてもいいようにちゃんと調整するのが、担当看護師の仕事だ。反省したし、看護師としての自分の仕事の仕方を見直すきっかけにもなった。
でも、その言葉が、「自分なんて誰も必要としてないんじゃないか」と思ってしまうくらいに闇に迷い込んでいたそのときの私を、どれくらい掬い上げてくれたことか。だから私は、彼に、感謝しかなかった。出会えたこと、彼の担当になれたことは、奇跡だと思う。

死後処置を終えた彼に会いに行くと、本当に穏やかな死に顔で眠っていた。後輩看護師が「綿菓子食べてるみたいになっちゃって」と言ってたその通りになっていたから、綿をとって、少し口を閉じてやった。うん。夜、寝ているときの、彼みたいだ。亡くなる時にはいられなかったけど、すこしだけ彼の最期のそばに居られた気がして、このタイミングで逝った彼に、また、最期のプレゼントをもらった気がした。

患者さんが亡くなられたら、そのときにいるスタッフでご焼香をして、お見送りをして、病院から、出発される。私は、ご焼香のときにはお顔を見せてもらい、「出会えて嬉しかったです」といつも言うようにしている。それはひょっとしたら常套句なのかもしれないけれど。奥様は、本当に穏やかな顔でしょ、って、すこし泣きそうになりながら、微笑んだ。そのときだけ、私は、すこし、泣きそうになった。

その夜に行ったライブは、プレイヤーのうちのふたりが結婚報告をしたばかりで、祝福に満ちたライブだった。その、ある一曲から、ふっと、音が、きらきら、きらきら、光るように聴こえ始めた。陳腐なことばかもしれんけど、あー、今は今しかないなあ!って気持ちが、ぶわあって沸き立った。そして、その朝は流せなかった涙が、たくさん、流れました。流せて、よかった。

看護師と患者さんとの関係を、何と呼べるんだろう。友達でも肉親でもない。でも、踏み込んだやりとりをしたりして、濃密な時間を共に過ごすこともある。他人だから言える弱音も怒りもあるのかもしれないなあと思う。やっぱり、そういう時を共有したら、単なる仕事のクライアントとも思えなくて。あー、そうか、よく生きるための、よく死ぬための、同志、みたいな感覚なのかもしれない。

もうすぐ春が来る。彼と一緒に桜が見たかったなあ。
今年の桜を見られなかった沢山のひとへ、それぞれの想いを咲かせましょう。なんて、下世話な私が、泣き笑う。

ありがとう。出会えてしあわせでした。たいせつに、生きていこうと思う。

2016/02/19

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?