一番濃かった一ヶ月間 -留学生活-

七月から留学に来て七カ月経ち、帰る日までのカウントダウンをするようにもなった、そんな二月。この一ヶ月間は今までの留学生活の中で一番濃くて、一番忙しくて、一番大変で、一番充実した一ヶ月を過ごすことができた。

人生で初めてインターンというものを経験した。始まる前はインターンというものがキャリアとか専門性の面で、将来仕事するうえで役に立つ技術を身につけるためのものと思っていたけど、実際に終わってみて振り返ってみると、そんなスキルもそうやけど、それと同じくらいに、自分の考え方、自分の内面に変化を生みだしてくれた。

インターンを通しての発見、自分の中での変化について書いていこうと思う。

1.インターネットの偉大さ、日本の遅れ

今回のインターンではウェブマーケティングに関わらしてもらった。「日本のオンラインショップのセールスを20%上げる」というゴールをウェブマーケティングを通して達成するというタスクが与えられていた。ウェブマーケティングなど言葉しか知らないくらい、自分とはかけ離れた存在であったが、上司に教えてもらいながら専門的な知識を学ばせてもらった。

ウェブマーケティングを学んでいく中で、インターネットの力が無限大であること、インターネットに発展の終わりがないことを改めて感じた。また学べば学ぶほど、日常生活の中で感じていた「?」がどんどん解決されていく感覚があって、生活の中でインターネットがどれだけ浸透しているかということを身をもって知った。

インターネットの力が無限大であることを感じた一つの要因は、インターネットを通して得られる情報の多さである。具体的には、Google Analyticsやeメールプラットフォームを通してアクセスできる無限大の情報に感銘させられた。もともと知っている人にとっては大したことないかもしれないが、そのような方面に対する知識が皆無だった私にはとても発見が多かった。インターネットという存在のおかげで、そのようなツールが果たす役割はどんどん大きくなっていくだろう。パソコンを見ているだけで、ユーザー情報、顧客の購買状況、コンバージョン率(上げたらきりがないのでこの辺までに)などなど、そのマーケットに対する情報が本当に言葉の通りすべてまるわかり、筒抜けなのである。インターネットという無限に広がる「網」が、企業の、そのマーケットに対するアクセスをいつ、どこでも、無限に、可能にさせるのである。これからの時代、情報の格差が経済や文明の格差を生むと思っている。どんどん便利になっていき進化のスピードが加速してゆく中で、国境を超えたつながりが増えてゆく中で、情報をどれだけ早く、どれだけ多く手に入れられるかどうかがまさにその違いを生む。その核となる「情報」への最も効率の良いアクセス手段となるインターネットの果たす役割はこれからもどんどん拡大してくんだろうなあと改めて思った。

もう一つ、ウェブ広告の偉大さにも感銘した。最近不思議だったことの一つとして、たとえば、「ケアンズ 旅行」とググった後、インスタをスクロールしてたら、「ケアンズ 旅行」に対する広告投稿がタイムラインに流れてくる、ということがあった。うわ、どっからその情報取ってきたんや!ってずっと思ってたが、ウェブマーケティングを通してそのカラクリがわかった。気になったものをググったあと、いったん忘れてインスタに移ったとしても、その広告が流れてきたらそちらの方に気がまた向くのは人間の心理だろう。インターネットを利用して無限につながるネットワークの中で広告が配信されていくと。その効果は倍どころか累乗に波及していくだろう。

このようにウェブマーケティングを通してインターネットの偉大さを感じた。と同時に、日本のインターネット事情を考えたとき、とても遅れているということも感じた。

インターンの中では、日本のオンラインショッピングの売上向上がタスクとしてあったが、その参考として、オーストラリアのオンラインショッピングを事例を利用し、様々なリサーチを行った。オーストラリアではインターネットの力を最大限に利用して、最新の取り組みを導入していっているのに対して、日本支社では、その進化がほとんど見られなかった。たまたま自分がインターンした会社が極端だっただけかも知らないが、少なからず、ほかの会社にも日本の遅れがみられることは共通していると思う。そう思うのは、日本がテクノロジーの面において進化のスピードが衰えているからだと考える。日本にいたときは、「日本はテクノロジー大国」という概念があった。オーストラリア人にもその考えはあったようだが、一緒にプロジェクトを進めていく中で、「日本のアナログさ」にショックを受けていた。典型的な例は、オンラインショップの利用率、オンライン決済利用率である。

一昔前は、日本も海外からの投資先として魅力的ではあったが、今この時代、インターネット、テクノロジーという無形の資産を通してビジネスが生まれていく中、事実として、日本の魅力はどんどん落ちていっている。

その遅れの要因としては、新しいものに対するフレキシビリティが低いことと情報の少なさがあげられると考える。

慣習的に古き良きものを大事にする文化の影響が少なからず残るため、新しいものに対する移行に時間が要する。もう一つは、情報の受け皿を十分に用意できていないということである。オーストラリアほど移民が多いこともなく、ヨーロッパみたいに国同士大陸がつながっているわけでもないため、人や文化の交流が少なく、またみんながみんな英語を使えないため、大体英語で流れてくる最新の情報を最新の状態でキャッチできない。

このような要因が、世界と比べた「日本の遅れ」を生み出しているのではないかなと考える。

インターネットの偉大さを身をもって感じたからこそ、日本について考えてみたとき、このような発見があった。

これはただの自分の発見であって、これに対して自分が何かをしたいとはまだ思えないが、そのようなきっかけが出てきたら、また考えてみたいと思う。


2.  文化の違い

オーストラリアの労働環境に入ってみることで、普段の生活ではわからないオージーカルチャーを存分に感じることができた。同時に、オーストラリア本社で働きながら日本支社のスタッフと共同プロジェクトを進める機会を得られたことで第三者的な立場で、文化の違いというものを目の当たりにした。いろんな発見の中で思ったこと、それは、将来いつかオーストラリアに帰ってきて、働きたい、またはオーストラリアの人たちとどこかで働いてみたいという夢ができた、オーストラリア人ていうのもそうやけど、多国籍の中で働いてみたいという感じかな(まだまだ先の話になりそうだが笑)

重要なのは、私が日本のカルチャーではなくオーストラリアカルチャーにいることが居心地が良いと感じた。これは何も日本のカルチャーに対する批判などでは決してない。ただ、日本のカルチャーがもつ性質に違和感を抱き始めたということだ。

日本のスタッフとオーストラリアのスタッフと会議をするたびに思ったこと、それは日本のスタッフは意見をあまり求めないということだ。なんというか、言われたことを鵜呑みにして作業をするという感じだろうか。どう思う?て聞かれたら、そのままオッケーて感じで、自分たちはこう思うと言っているのをあまり聞かなかった。それに対して、オーストラリアのスタッフはどんどん意見を求める。初日から私にもプロジェクトに対する意見を求めてきた。

オーストラリアのカルチャーでは、たとえ上司がこれしてといっても、仕事をするのは自分である。そこで違和感を感じたら、自分はこうしたほうがいいと思う、という意見をすることが必要なのだ。あくまでも、仕事は自分が考えたうえで行うという前提が強くある。逆に、上司の意見に従ったまま、自分の考えを通さず仕事をすると、なんで自分の思うようにしなかったの?というようなスタンスである。後述するが、この経験は自分にとってカルチャーショックだったがすごく良い経験だった。

もう一つは、職場環境だ。日本のオフィスで働いたことがないから憶測でしかないが、日本のオフィスはみんなパソコンに向かって仕事をしてして、きりっとした雰囲気なイメージがある。私がインターンをしていたオフィスが特別そうなのかもしれないが、とてもアットホームな感じだった。それほど大きくないオフィスだったということもあるが、デスク隣の人とコミュニケーションが常に行われているような環境だった。隣の人だけでなく、向こう側の列の人たちとも会話が空中で飛び交い、その会話にまた違う人が飛び込んでくるということもしょちゅうあった。その会話の内容は仕事のことももちろんそうだが、日常生活のことまで多岐に及んだ。他愛のない話をしながら仕事をしていたのである。

私はこの環境がとても心地よかった。こういうコミュニケーションを通してチームワークなどが生まれるんだろうなあと思った。仕事はもくもくとするもの(特にオフィスワークなど)と思っていたが、そうではなった。日本のことはわからないが、このコミュニケーションがみられるのはオーストラリアらしいなあと思った。この他愛のないコミュニケーションは、誰でも意見のしやすい環境を作り、チームワークの面で重要な役割を果たしているのではないかなと思った。

3.変化一つ目:自分の意志

これに関しては、このノートを参考に詳しく書いてます。(笑) 下のやつはちょっと短めにまとめてみましたので面倒な方は下の文章だけでもどうぞ。


自分の弱みとして、協調性がありすぎて、自分の意見を人に言うことがないということがあった。人と合わせることになれて、何か思うことがあっても、自分の中で消化することで、外に表現することがなかった。自分の意見はちゃんとあるけど、「人それぞれ、意見は違うのが当たり前」という考え方から、意見が違ってもそれに対して自分が折れることで、意見を声に出すことがなかった。それは、自分の意見を発することよりも、相手を理解し、譲ることが大事だと思っていたからであって、自分が折れることに対しても特に苦痛や不満を感じることがなかった。

しかし実際にインターンをする中で、こういうことがあった。上司に言われたことをするなかで、これはすこし間違っているのではないのかということがあったが、そのときも、いつものように、上司も何か意図があるのだろうと思って、言われたことを進めた。しかし、そのあと、その仕事に対して、そのまた上の上司が、私が考えていたように、それは間違っているという指摘をしたのであった。その結果、私はやり直しをすることになり、プロジェクトは遅れをとるようになってしまった。つまり、私が意見をしなかったことで、二度手間をおこしてしまったのである。

この経験から、私はどれだけ意見をすることが大事なのかということを身をもって感じた。意見が間違っているかどうかなどは関係ない、自分が思ったことを口に出すことが、その会社にとって役立つことのできる機会につながるということを学んだ。

それから私は、自分の意見を言うことをいとわなくなった。その結果、その後のインターンでは自分の思ったことを積極的に発言できたため、自分の思うようにプロジェクトがスムーズに進んでいった。もちろん、議論を要することもあったが、そこでお互いの意見を出し合うことで妥協せずに、納得して課題を解決していくことができた。

これは私生活にも大きな影響をもたらした。性格的にNoを言いにくいたちであったが、自分の思ったことを言うことがどれだけ自分にとって楽であるかを学んだため、Noを言えるようになった。自分のしたいこと、思うことを周りを気にせず言えるようになったのが、自分にとって、とても大きな意味を持った。

Noを言うことに対する難しさを感じたことがない人にとっては当たり前やん、たいしたことないやんて思うかもしれないが、今まで周りに合わせて生きてきた自分にとっては、大きな前進であった。

自分の意見を発信し、自分の意志で考えて行動すること、本間に大事。

4. 変化二つ目:背伸びをしないこと

さっき書いた自分の意見を主張することから派生して、私は「背伸びをしないこと」ができるようになった。わからないことはわからない。無知は恥ずかしいものでも何でもない。人に頼ることはなんも悪くない。

自分の中で、なんでもできないといけない、できないことは恥ずかしいという考えがあった。それは昔から勉強なり運動なりある程度できたため(調子に乗ってはいませんのでぜひ温かい目で見てください笑)、できないことがあればそれをできるようにならなければいけない、という固定観念が育っていく中で身についていった。

私はプライドの高い人間になってしまってたんだなあと思う。できないことを認めるのが嫌いだった、それこそなんて恥ずかしいやつだっただろうか(笑) 私は、全然そうでもないのに、「私はなんでもそつなくこなせる人間なんだ」という嘘を自分につき始めたときから、その固定観念に支配されるようになったかもしれない。その結果、「なんでもできる風にみせる」ようになってしまった。

私は自分の中に存在するこの部分が嫌いだった。自分に嘘をついているこの感覚がすごい煩わしかった。

でも自分の意見を言えるようになってから、気づいたら、相手にも自分にも正直になっていた。できないことはできない、知らないことは知らない、わからないことはわからない。これをすんなりと認められていた。大事なのは、できるできないでなくて、どうしたらできるようになるかということだ。

その解として、私は人に頼るということ選んだ。わからないことがあればすぐに人に頼る、知らないことはすぐに聞く。知っている風に見せることにささげていたエネルギーは人に聞くことに取り替えられ、それまでは何も生み出していなかったそのエネルギーは、ちゃんとした知識として生成されるようになった。

自分のなかでこの変化が生まれてから自分に正直になれて、周りを気にしてできる風に見せる必要もなくなり、とても快適である。

今の時点でこの転換を覚えられて本当に良かった。

自分に正直になってみると、毎日毎日快適な朝を迎えられる。


だいぶ長くなったが、このインターンは本当に自分にとって考え方を変えてくれるきっかけとなった。オーストラリアでの記憶に残る思い出の一つになるだろう。



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