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読書感想文『酔歩する男』

『玩具修理者』を読んだ後は必然的にこの作品にたどり着く。
同僚との宴会後に、1人だけタクシーに乗り損ねた「血沼(ちぬ)」が、「小竹田(しのだ)」という奇妙な男と出逢う。

「小竹田」は「血沼」と親友だったと言ったりそうでないと言ったり、同じ大学だと言ったりそうでないと言ったり、関わりたくないと思わせるような人物であるが、「血沼」はその男の話に興味を持ち、「小竹田」の記憶についての回想が始まる。

「小竹田」と「血沼」の大学時代から現在に至るまでが話され、その中で「菟原(うない)」という「小竹田」が大学時代に付き合っていた女性が登場する。

「小竹田」は嫉妬心から「菟原」を傷つけてしまうのだが、ふと私の高校時代の記憶が甦り、自分も嫉妬心から相手を束縛したり、傷つけていたということを思い出した。

学生のうちにこの小説に出会っていたら、恋人に対してもうすこし優しさを持って接してあげれたかもしれないし、嫉妬心を持つことが相手への好意を示す材料だと思っていた未熟な自分に読ませてあげたいと思った。

自分は一人前なんだと大人ぶって我を通していた自分に読ませてあげたら、少しは平静な心を持てていたかもしれない。

結果的に「小竹田」と「菟原」は別れてしまうのだが、ここからの展開に私はこの本の虜になってしまう。

フィクションの小説は作り話だから好きじゃないという人もいるが、小説を作った人は生きている人間もしくは生きていた人間であり、自分が実際に経験して感じたことを世界観を変えて表現しているから、そこに書かれた知識などは自分の意識次第で化けていく。

実際に私はシュレディンガーの猫という言葉を本書で初めて知って、今まで言語化できなかったことが可能になった。

他にもエントロピーや波動関数など、物理を勉強しなければ触れることのない知識も学ぶことができた。

シュレディンガーの猫は、神、死後の世界、幽霊、宇宙人など実在が不確かなものでも当てはまり、それらが実在しているともしていないとも言える。

信じるかどうかという究極の問いに対して、観測するまではどちらの答えも存在するという究極の答えをくれた。

心配事も同じで、蓋を開けてみるまでわからないからポジティブにもネガティブにもとらえることができる。

蓋を開けてみるまでわからないなら、自らネガティブ思考になる必要はないと思った。

私たちは綺麗に並んでいる時間の中で生きている。

恥をかいた時、その時はとても恥ずかしいが、時間が経つにつれて笑い話になる。

失恋した時、立ち直れないくらい悲しくなるが、時間が経てば違う人を好きになれる。

やがてそうなるのであれば、その時のネガティブな思考は必要ない。

私たちが送っている人生は撮り終わった映画のようなものだ。

「今」というのは、脳が記憶を辻褄が合うように並び替えただけの映像を見ている状態と考えれば、本書はSFの枠から脱する。

SFとしてあり得ないもののジャンルに押し込むのは惜しいと思った。

最後まで読んで、これほど鳥肌が立つ本はないだろうと思った。

2週目はどんな感想を持たせてくれるのか楽しみで仕方ない。


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