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ドキュメンタリー『静寂を求めて』に観る音の探求

世の中騒音が多過ぎるのでもっと静寂を大事にしようという切り口の作品。そして、静寂とはそもそも何かということについて追求したドキュメンタリー映画です。

http://unitedpeople.jp/silence/

言われみれば、たしかに世の中騒音が多過ぎる。道路、鉄道、オフィス、施設の中、家電と、朝起きてから寝るまで何らかの音を常に(複数の)ノイズを聞かされている。人間の身体というのはずっと騒音を聞いていると知らず知らずのうちにストレスが溜まるそうだ。山や海に行ってリラックスするのは、騒音の代わりに自然の音に囲まれる効果も含まれているとか。研究者曰く、自然音に囲まれることは予防医学的に極めて高い効果を持つそうだ。人間の遺伝子には風の音や遠くの鳥の声などを聴き分ける能力が元々備わっている。

しかし現代社会は音を心地よくコントロールするよう設計されていない。英国の建築家は修行に5年を費やすが、そのうち音響の学習は僅か1日に過ぎないという言葉が印象的だった。音に気を使う場所って図書館や劇場ぐらいか。それ以外の場所では常に機械や動力、話し声や電子音などの不協和音が存在する。

私の父が音に敏感な人だった。テレビの音を下げろとおそらく1000回以上は言われた。それほど大きな音でも無いのに、神経質だなと思っていた。家の外を走る車の音に文句を言ったり、ハスキーな大きな声で話すおばちゃん同士がいたりするとソワソワする。舗装工事の監督業を長くやったせいでそうなのかもしれない。私もバイトでたまに行ったが、むせかえるようなアスファルトの匂いと湯気、ユンボのキャリキャリという機械音と大型ダンプの排気音、スコップで掘り返すザクザク音と親方や人夫の叫ぶ声、夜中の工事だとちょっとした油断でガードマンが車に跳ねられることもある。騒音と危険の隣り合わせの仕事を30年以上やった父は、おそらく元々は繊細だった聴覚が色んなストレスで限界に達したのだろう。

そのせいか父は定年してからは「登山バカ」になった。まるで地理学者や旅行業者のように登山路を調べまくり、嬉々として登山や探査に向かう。母も呆れるぐらいだ。聞くと、山にいくと気持ちいいんだとか。私も何回か付き合った。趣味が高じて今では地元の伝統ある登山協会で理事になり、予算もある中で調査や引率事務もこなし、半分仕事みたいになっている。静寂を求めた結果、楽しくやっている。(その息子である私は現在ゲーム音声のディレクターをやっている)

本作では、静寂を求める奇特な人物が何人か登場する。一人は言葉を封印して(まるで僧侶のように)全米を徒歩で横断する若者。求道者といえば良いのか。
もう一人は音楽家のジョン・ケージ。無音の演奏である『4分33秒』が作中最後に登場します。
それと、日本の住職。教えのなかで沈黙を追求されている方。このような方たちの存在を知っただけでも勉強になった。

そもそもdB(デシベル)で計ると完全なる静寂というのは存在しないようだ。何かしらの音が入る。なので、静寂というのは人間がそうと感じる概念のようなもの。例えば同じdB数でも、電子音や工業音と異なり、自然の発する音だと静かに感じるのだろう。

ところで、映画にとって音声というのは重要な要素であり、例えば『パトレイバー』などで有名な押井守監督は、自作の音声は高い金を払ってでもわざわざルーカススタジオで仕上げていたとか。曰く、どんな作品でも音声の質を上げると確実に作品の質も何割か引き上げてくれるからだという。では、本作『静寂を求めて』の音声はどうかというと、上映される劇場の音響設備によるのかもしれないが、少し物足りない気がした。せっかく良いテーマでの作品だけに、今度はBBCあたりと組んで金掛けて決定版を作って欲しいものだ。

#映画 #静寂を求めて #ドキュメンタリー #ジョンケージ #音 #音声

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