2月16日。もうひと月以上が経つが、母が死んで2年が経った。この日は2月にしてはとても暖かい日だった。二年前の厳しい寒さの中、室温設定を18度にしたエアコンのリモコンを転がして自室で亡くなった母を思い出し、「今日のこの気温なら亡くなることもなかったのかもしれないな」と思いながら、わたしは通勤電車に揺られていた。
この日、このことで連絡がきたのはひとり。
母の生前幾度となくお金を貸してくれていたが、珍しく母がきっちり返済していた相手、父の姉だった。
父と母はわたしが二歳の時に離婚しているが、離婚後も母と父の姉は仲が良かった。時々連絡を取ったり、食事に出かけたりしていたようだ。
離婚後わたしは二十歳になるまで父には会わなかった。二十歳のある日、当時写真の学校に通っていたこともあり、写真館を営む父に突然興味が沸いた。しかし何かキッカケが無ければなかなかどうも、会うには腰が重い。そんなある日、恋人が趣味のために所持していたカメラが壊れたことを知り、「父の写真館にこれを持って行って、修理ができるか尋ねてみて。ついでにどんな人か見てきてほしい。」とお願いをした。
郊外の駅前にあるその写真館の前に車を停め、恋人はカメラを片手に父がいると思しき写真館へと入って行った。わたしは悪いことをしている時の心境で、少々ドキドキしながら車の中で身を縮めながら、時折目線を写真館の方にやる。
数分後、写真館の扉が開いて、カメラを抱えた恋人が出てきた。傍らには客を見送る中年男性の姿があった。わたしは咄嗟に座高を低めた。
車のドアが開き、シートに腰を下ろした恋人は少し興奮した様子で、「カメラは直せないって言われたよ。」「とても感じの良いおじさんだった。」「ふたつ先の駅のビルの中に修理できるお店があることもおしえてくれたよ。」「どんな写真を撮っているのか聞かれて、少し写真の話しもしたよ。」と、中での状況をおしえてくれた。
わたしは、客を見送ったあの中年店主が、まだこちらを気にして店の外にいるような気がして、さっさとその場から離れた。
数日後、気持ちがまとまったわたしは、また恋人にお願いをして、今度はわたしも一緒に写真館に行くことにした。初めてのシチュエーションにかなり戸惑いながらも、写真館の扉に手をかけた。
「いらっしゃい…あ!」父と思しき中年男性が、突然来た若い来客に戸惑いながらもわたしの恋人を見て、安堵の表情を示した。恋人は、「あの後おしえてもらった所にカメラを持って行きました。」と言った。父と思しき中年男性は、「そうですか、それは良かった。」とほほ笑んだ。
わたしはどのタイミングで「あなたはわたしの父親ですよ」の類の言葉を放てば良いのかわからなかった。そもそも本当に父親という人がここに存在しているのかを疑ってはいたが、わたしの一番古い記憶が、その疑いをすぐに晴らした。離婚直後、母がわたしを連れ、父に時々会いに行っていたらしい時の記憶がわたしには残っていた。
二歳児の背丈の記憶。
視線の先にはニコニコと満面の笑みで両手を広げた父。テーブルの上に置かれた旧デザインのキャスターのタバコ。
キョロキョロするわたしの目に、キャスターが確認できた。
緊張というよりも、緊張性の何らかの感情に包まれたわたしを察した恋人が、何事もない話をする口調で、「お父さんのお子さんですよ。」と伝えた。父と思しき中年の表情がこわばりを見せ、すぐに緩んだ。
わたしは振り絞るような声で、「久しぶりです。でも、こんなに時間が経ってしまったら、もう初めましてだね。」と言った。
あの日からわたしたちは、ごくごく自然に仲良く会うようになった。
ある日父がわたしに会わせたいひとがいる、とターミナル駅のレストランにわたしを連れて行った。聞けば父の姉に会わせたいらしい。母から時々聞いていたその人に会えることを、わたしは嬉しく思った。待ち合わせ場所に着くと、まだその人はいなかった。
数分後、わたしたちの元に駆け足でやってきたその人は、「ごめんなさいね、少し遅くなってしまったわ。」と申し訳なさそうに笑いながら席へ着いた。
わたしは父の姉だというその人を見て、大層驚いた。その人は、母そのものぐらい背格好や話し方も一緒なのである。父の好みを一瞬疑い、あれやこれやと考えたが、父と、父の姉の話を聞いているうち、そんなことはどうでも良くなり、3人で抜け落ちている分の年数を埋めるように、倍速で話した。別れ際父の姉は、「今度うちにもいらっしゃいよ。あなたのおじいちゃんにも会えるわよ。」と言って帰って行った。
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