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Will bloom soon.

ずっと見ていたものや、信じ続けていたことが
突き落とされて、逆さまから見えることがある。

私は、絶え間なくずっと、大切な人を幸せにすることを考えていたけど
不幸にしないことを考える方が適切なんかもしれへん。

不幸やから絶望し、不幸やから希望を見失うのかな。
不幸やから死を選んでしまうのかな。

そんな単純なことじゃなくて幸せが怖い人だっておるし、
常々、死にたいと願っている人間は、死んでしまうことは夢が叶うような幸せかもしれない。

恵まれた環境に置かれている自分が恐ろしくなる人だっている。
人から注目されることを怖がる子もいれば、
自分だけが評価されることに絶望する子だっておるんやろう。

全部ひっくるめて、大切な人のことは丁寧に見て、
不幸せだと感じさせてはいけない。

何が不幸せだと感じるかということは
何が幸せかという問いかけよりも複雑で難解だと思う。
わかるわかる!とあまりならない、その人自身の地獄がそれぞれある。

不幸せだと感じさせないような言葉や寄り添いをして行くことを心がけよう、しばらくは。

好きな人を幸せにすることばかりを考えて、いろんなことを間違えてきたような気がする。
深い絶望と後悔に苛まれている。

すっかり自信を失ってしまった。
昨夜は全く眠れなかった。

才能がある人を亡くすこと
容姿が美しい人を亡くすことが辛いのではない。
そばにいたはずなのに、彼らを不幸せにしてしまっていたかも。
という事実が辛いのであって。

幸せにすることと、不幸せだと感じさせないことって実は全然違う。
大切なことは、不幸せだと思わせないことなのかもしれない。

私は幸せにしたいという大きな目標を掲げて頑張っていたけど
そうじゃなかったのかもしれない。

視点が少しずれたら、全てのことがズレていく。
自分はこうやって少しずつ、いろんなことを間違ってきたのかも。
正しいことを言ってるようで、少しずつ、そして大きく間違えていたのかも。

そして、大切にしたかったはずの人を、小さく大きく、
絶え間なく傷つけてしまっていたのかもしれない。

生きることも、寄り添うことも難しい。
幾つになっても難しい。
つらいなあ。
人を失うことは、すごくつらいなあ。

何度も突き落とされて、立ち上がっても、
また何かに突き落とされる。
そして立ち上がる。
立ち上がるときは、辛さに打ち勝つよりは、
幸せに出会ったり、ポジティブな衝動も確かにあって。

でも、人を愛したら、また突き落とされる。
つらいなあ。つらい

もうこんな想いするなら誰にも出会いたくないわ、
と思うけど、それでもまた出会う。
明日も。今日もね。


愛がないと人間は死んでしまう。やはり。



@QuoraJP での質問: 歴史上、もっとも歪んだ科学の実験は何でしょうか?

もし言葉を教えなかったら赤ちゃんは何語を話すか、という実験のために、赤ちゃんに充分な栄養や睡眠を与えて一言も話しかけないでいたら赤ちゃんはみんな死んでしまったと言う。

愛情をかけなければ人は死に、
価値なく、利用だけされているというのは赤子でも理解し絶望するのか。

そして、人は死ぬ。

愛がないと赤ちゃんは死ぬし、
大人の男女も死ぬ。

確実なんや、愛は生命であり、愛がないと人は死ぬ。
愛は注がず、お金ばかり注いでいても意味がない。

抱きしめて、頭を触って、ほっぺに触って、肯定して、味方になって、いっぱいいっぱい話を聞いて、一緒に喜んで、一緒に怒って、一緒に泣いて。


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