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想いと想いを重ねるために。

前回書いた通り、社員の成長を信じていて、それにつながるコンテンツを書きたいのにどう書いたらいいのかわからない。今日はその理由が少し見えた。”道が見えてすっきり~”ではなく、”おぉ・・・・”と立ちすくむ状態ではあるが、これを絶対に忘れてはならない。自分のものにしたい。

社会人をやって20年近くたつと、いろんな術が身についてくる。
「あの上司は、これには興味ないな」「あの人はこういう風に持って行ったほうがいいな」そんなことばかり考えているうちに、”なんとなく、それっぽいこと”を語り、"まぁこんな感じだよね"と資料を作るのがうまくなってしまった。年の功ってやつだ。

社員向けに書くコンテンツは、会社の「想い」が入っていないといけない。創業者の「想い」の場合もあれば、今の社長の「想い」を組み入れなければいけない場合もある。いずれにせよ、その案件のオーナーの「想い」が組み込まれていないと、とたんに平社員が、勝手に感じたことを書いているにすぎない。直属の上司がどういうか、ではなく、オーナーの「想い」がどこにあるのか。これを知らないといけない。

平社員の自分が社長や創業者の目線を持っているとも思えない。じゃ書けないのか?私には書けないのか?そんなはずはなかろう。そんなこといったら、社長がなんでも書かなきゃいけない。人事として、私は、会社の「想い」をなるべく多くの社員に伝わる形にする必要がある。むしろ、そのために私(平社員)がいるのではないかとすら思う。難しい言葉で話す人(経営層)と一般社員の橋渡しをできるには一般社員の言葉を持つ人も必要だろう?

外国人とのコミュニケーションをちょっと思い出してみた。相手が何を考えているのか、思ってるのか、あまりわからない。その時、どうするか?
「これは好き?」「こういう場合はどうする?」とあれやこれや、聞いてみて、自分の想像がつくところに行きつくと、急に相手の「想い」が見えるときがある。それと似たようなものではないか?なんとか相手の「想い」と自分の「想い」が重なるところを探して、それを膨らますしかないんじゃないか?

もう1つ問題が残っている。ただ誰かの言っていることを書こうとすると、まったくストーリーがわかない。小説を書いているわけではないので、適切な表現ではないかもしれないが、「筆が進まない」というやつだ。何故か? 100%他人にはどうしてもなれないから、どこか自分も共感したり、「これを伝えたい!!」と思えないと書けない。自分が信じてないことをひとまず書く場合など、大体数行仕方なしに書くしかない。ということは、相手の「想い」と自分の「想い 」の重なりを見つけないとだめだ。

「想い 」と「想い」の重なりのために。一番大切な「想い」の持ち主を見極め、それを知ること。そのトピックに対する自分の「想い」も自覚しておくこと。知らないものは重ね合わせようがない。

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