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警察批判をする前に理解しなければならないこと

警察が普段から相手にしている人間たちは、普段私達が関わっている人たちとは違います。街で精神障害のある人が暴れている時に相手をしているのが警察官であり、薬物中毒の疑いがある人、反社会的組織の人たちを相手にしているのが警察官です。私達は暴力事件に出くわした時に怖い思いをしますが、警察官は逃げるのではなく容疑者を確保するために怖いところに向かって行動します。

ここで忘れてはいけないのは警察官も暴力的な人に恐怖を感じるということです。

そして、誰がいつ暴力を振るってくるのかはわかりません。だから、警察官が自分の身を守るためには「今すぐにでも自分を攻撃してくるかもしれない」という前提で相手に対処する必要があります

これが、警察官が私達の目から見て過剰に体を取り押さえる理由です。3人で1人を取り囲んでいたとしても先制攻撃されれば怪我は免れません。殴られるかもしれないし、隠し持ったナイフで刺されるかもしれません。どれだけ訓練をしても、危険には事前に対処しなければ身を守ることはできません。

警察官の力の行使が問題になる時によく言われるのが、「取り押さえられた人が何もするつもりはなかった」ということですが、相手が何を考えているのかを警察官が読み取ることは不可能です(テレパシーがなければ無理です)。

「何もするつもりがないのだから優しく身柄確保しろ」と言う人は、警察官に対して相手の印象だけで判断して命をかけることを要求しています。しかし、「武器を隠し持っていない素振り」なんてものがありますか?押さえつける以外に100%殴りかかって来ないと保証できる手段はありますか?押さえつけるにしても、腕を振り回したり足をばたつかせたりされるだけでも、大きな人ならばとても危険です。

前提として、警察官は犯罪者や犯罪を犯した可能性が高い人たちを相手にします。それゆえ、指示に従わずに抵抗の素振りを少しでもみせたらそれは命を脅かす意図のある行動だという前提がなければ警察官は自分の命が守れません。

それゆえ、警察官は私達の目からみて過剰に対処することになります。ただしこの時絶対に忘れてはいけないのは、私達から見て過剰でも、警察官の命を守るためには必要な行動であるということです。警察官が働く現場は、私達の常識が通用する現場では無いのです。

アメリカで起きたFloyedさんの事件でも、取り押さえてから首を10分ちかく踏み続けて殺したことが問題であり、取り押さえたこと自体は問題ではありません。ここを勘違いして日本でも無闇に警察批判をするのは非常に危険です。首を踏み続けた警察官は殺人であり、それを傍観した他の警察官も処罰されるべきですが、だからといって警察官が力を使って取り押さえるべきではないというは話が違います。

もしも警察官に「犯罪者らしき人にも優しく対処しろ」と言うのであれば、その対価として治安を失う覚悟が必要です。それが嫌なのであれば、警察を無闇に批判するのではなく、警察官が自分の身を守りつつ仕事をするためにどんな方法を取るべきなのか一緒に考えなければなりません。自分の身を守れない状態で他の人を守ることを警察に強要しても、喜ぶのは逃げる機会を得る犯罪者たちだけです。

警察官の行動が問題でれば批判を向けることもあって当然ですが、その時には慎重にならなければなりません。「どうすれば警察官は力をつかって取り押さえずに犯罪者らしき人間の身柄を安全に拘束できるのか?」この問題への対策を提言出来ずに「暴力のない世界」という理想を語るのはあまりにも無責任です。

警察官には暴力を振るってくる人たちに対処するという現実があります。それは私達が普段目にする現実とは違うものであり、私たちにとって心地良い”現実”を押し付けることは許されません。自分の身が守れないような危険な状態に追い込んで「警察官なんだから文句言わずに仕事しろ」と言えば、それができると思いますか?

どうすれば警察官自身の身を守りつつ、暴力行為に訴える可能性のある人に安全に対処できるのか。この問題は非常に難しいです。気持ちのいい答えはありません。

ただひとつ間違いなく言えるのは、警察を敵視することで得られるのは治安を失った社会だけだということです。

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