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愛読書とギター、そして濃いめの珈琲。ときどき人間性が生み出すデッキ構成案の証明。


 二日続いて仕事が早く終わったのでウキウキ気分で定時に帰宅した私。そして即、この日記を打ち込んでいる。日が落ちないうちに書く日記は、なんだか日が昇り始めたばかりに飲むビールのように悪魔的だった。なんて巷の飲んべえたちはよく「平日の日中に飲む酒は最高」などと口を揃えて言うが、私は特にそんな風に思ったことはなかった。むしろ「日中に酒を飲んでしまったら筋トレできないよ」とチューブでパンプアップされた上腕二頭短筋を盛り上がらせて困り顔となってみせるだろう。はてしなくうざいと思われる。二年も筋トレを続けているが言うほど筋肉も非成長甚だしいし、本気で筋トレに勤しんでいる人が見れば鼻で笑われるどころか、彼の逞しく育ち続ける大胸筋の大渓谷に落とされ二度と、私は日の目を見ることは叶わないだろう。日中に酒など論外である。まず日が見え無くされるのだから。
 とこんなくだらないことをつらつらと綴りながら今日で記念すべき三日目の日記である。無事に三日坊主を逃れられそうで一安心。というか三日坊主って三日目には飽きてることなんですか。以前なのか未満なのか。そこのところよく分かっていないがまあ良し。

 今回のタイトルの意味、実は私がこの日記を書くまでのルーティーンだった。愛読書を読むことで脳の識字パワーを底上げし、ギターでひとつふたつほどしかない選曲を奏でながら気分を盛り上げ、そしてあつあつの濃い濃いのにがにがのインスタント珈琲を口にし睡眠欲を消し炭にする。これら行動を順繰りに回し、そうして一体何を書こうか熟考するのだ。驚くなかれ、一見こんなオシャレなルーティーンで日記のネタが思いつくとは私も荼毘に付すまであり得ないと思っていた。なぜ、この方法が効率がいいと気づけたかというと三ヶ月前のあの日『ポケモンカードゲーム』のデッキ構成に頭を捻らせていた時だった。
 私と友人達はポケモンカードゲームで晩ご飯を賞品に週末ごとにバトルしている。


 負けたくないのだ。だから本気でデッキ構成を必死に考える。勝って祝杯を上げる日もあれば、負けて陰鬱とした負の感情を募らせることもあった。それが日常にほどよい刺激となって私は勝てるためのデッキ構成へ一層拍車を掛けていた。
 しかしある日、私はなにごともないように躓いてしまった。考えても考えてもなにも良い案が浮かばなく、しまいには「一体お前はなにをしているの?」と正気に戻ろうとする至極まっとうな人間性が浮かび始めたため、私にできるのは必死に思考を繋ぎ止めるのがやっとだった。しかし私の最後の抵抗虚しく、人間性は私を正気にさせた。そうして大人となった私が提示してきたのは「おしゃれなことをしろ」だった。

 まずは服を買った。そろそろ暑いので春物を少しと夏物を一点。前から欲しかったなんたらかんたら色の短パンと、なんたらかんたら色のロングシャツである。これでほのかに暖かい春も厳しい暑さの夏も乗り越えられるだろう。その差分は我慢である。

 ギターの弦を張り替えた。さびにさびて音も飛び飛びだったのでアマゾンで買いそろえて見せた。以前、調子に乗って何も調べず張り替えたら一弦が練った納豆の糸のごとくぷちんぷちんと千切れてトラウマになっていた。無事に張り換え終え、改めて弾いてもそんな音が変わっていないことに絶望する。しかし過去のトラウマを乗り越えたことには満足する。

 インスタント珈琲を大量買いした。普段私は珈琲をコンビニのレジで注文するのだが自宅で気軽に飲めた方がしゃれっぽいと思い立ち箱買いする。そして家にマグカップがないことに今さらながら気づき絶望する。

 愛読書を改めてアマゾンで購入する。ハードカバーは持っていたので、どこかの喫茶店で読もうと持ち運びしやすい文庫本版を購入したが、改めて思うに電子書籍で購入すれば良いのではと気づき絶望する。後にそもそも電子書籍化がされていないことを知り更に絶望する。なんでですか、アマゾンさん。

 そうした大人の私がぽんぽこおもい付いたオシャレをこなしていると、あれよあれよという間に、あのルーティンがこの世に生まれてしまっていた。何故かオシャレ側に一度振り切ってしまうと私の中の人間性も満足するらしく、私はギターを弾きつつお茶碗で珈琲を飲み、愛読書で脳みそを活性化させ、ポケモンカードデッキ構成案をひねり出すことができたのだ。実に不思議な体験だった。しかしこれを活用せずにはいられんぞ、ということで近日にnoteで日記を書こうと思ってたしやっちゃうか→できました。証明終了である。







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