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僕が愛した彼のこと


 今日はなにもしていません。大好きなしょうゆのことを考えてソファーにずっと寝転がっていました。あの万能調味料しょうゆ君はなぜあんなにも素晴らしいのか僕の貧弱な語彙ではとても語りきれないでしょうけど誰かに僕の友達であるしょうゆ君について聞いて欲しいなと思ったので書き綴っていこうかと思います。

 しょうゆとは単体でも調理にも実力を発揮するポテンシャルの塊。誰かに寄り添い影で支える縁の下の力持ちであり、しかしメインで出張ってもなんら見劣りなどしない、のだと僕は思っている。漬けてよし、垂らしてよし、混ぜて良し、なんと焦がしても良いし、香りだけ残す程度に入れるなんて驚くことしか出来ない。お前いつから居たんだい? 当時の僕はニンニクチャーハンを美味しくごちそうさまと食べ終わって彼の存在をそばに感じてびっくりしたことを憶えている(チャーハンは名称様々であるが大体最後の行程に『しょうゆをフライパンの縁に沿って廻し入れる』と書かれる。ただの香り点け程度の存在である)。だがそれでは彼を愛する身としてあんまりにも悲しいことだと思うので、僕は最初から誰かのために支えている彼を僕だけでも見つけてあげようと普段から気を配ってみようとしてみるけれど、やっぱり彼は「気にしないで良いよ」と笑ってきっと誰かに場を譲ってしまうのだろう。

 僕は彼に報われて欲しいと常々思う。
 彼の価値をわかっているのは僕だけなのだと自認していた。

 昨今、健康に嘱したクリーンな食事が我が物顔で出張っているが、なにが塩分が高いだい。味が濃い。しゃれたオリーブオイルのほうが良いなんて言いやがって。僕はネットにアップロードしてる料理レシピに書かれた以上に醤油を入れることを決めた。香り付け程度ではなく味がするまで入れたし、醤油ラーメンには醤油を数滴入れた。だし巻き卵には作ってからかければいいのに作る前から入れたりもした。僕の彼に対する愛は止めどなかった。どこかのラジオ局を占拠して全人類の耳に彼の素晴らしさをジャックしてやりたいと思い募らせて居たのですが、SNSで偶然に見つけたアカウントで「こんなことを続けてたら今に死んじまうと思う」という投稿でかなりの衝撃を受ける。



 素晴らしい。
 私は仰天突破にて文明開化の音をこの時に聴いた。これほどまで「塩分」を愛するモノがこの世にいたのかと僕は唸ったものだ。だから僕もあまりの蛮行に続かんといなげやでパック寿司をかってお酒を用意し、試しに同じ事を試した。

 吐くかと思った。
 キャパを越えるしょうゆの濁流に視界がチカチカと光った。

 愛で越える壁。そんなものが僕の中に存在していたのかと衝撃を受けた。しょうゆが持つポテンシャルに僕のポテンシャルが着いていけないなどあってはならないと思った。けれど一口で得られる塩分濃度に僕の身体には限界があって、決して寿司を醤油味のみで味わうことが正解じゃないだとは分かってもいたが、僕の愛では彼の気高い存在について行けない事実に打ち拉がれしまった。そして、彼の立場についていける希有な存在がいることに僕の心は震えた。塩分ショックで手も震えていた。悔しさに溢れた涙もきっといつもよりしょっぱかっただろう。

 僕はソファーで寝転がりながらあの日のことを思い出す。僕はいつでも彼を愛し、どんなときでも彼が手に取れる場所に置いている。コンビニで買った物足りない弁当に数滴かけたり、煮物を作るときに最適な量を匙で量るし、チャーハンには香り付け程度に回り垂らす。だし巻き卵にはすり下ろし大根にしょうゆを掛けている。昔と変わらず僕は彼に寄り添っていた。彼の存在は僕にとって無くてはならない存在だ。けれど彼は僕より他の誰かがより求めていることを、今の僕は知っている。そして彼がとても凄いことをその他の誰かが声高らかに綴ってくれるのだろう。僕のような貧弱な語彙と、身体では彼の素晴らしさを最後まで語りきれない。僕は彼を愛していた。彼の塩分の濃い味と健気な香りが僕の舌に残っていた。

 僕はいなげやの寿司パックしょうゆ漬けを食した日を思い出す。きっと今日も誰かが彼の素晴らしさについて語って、想いを綴っている。僕がソファーに寝転がっている間にも彼を愛する人々は過剰塩分を摂取しているのだろう。あまりの蛮行に笑って、塩分過多で顔をパンパンにして、味の濃さにお酒を嗜むのだ。そんな訪れることのない未来を夢見ながら僕はこの日記を綴っている。

 僕は彼のことを好きだった。そんな想いを誰かに読んで欲しくて。

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