見出し画像

また来たな、怠惰君

私の心に怠惰君がやってきた。怠惰君は一日のうちに頻繁に出入りするときもあれば、2か月に一回巨大になってきたりする。心の中のありとあらゆる自分を「元気」に保つエネルギーが彼は大好きなので、それはもうよく食べる。怠惰君はそのおかげで中々出て行ってくれないし、元気を搾取されたこっちは布団の中に隠れることしかできなくなるのだ。

この怠惰君がいる間は何もできないし、できる気もしない。赤の他人の目線が怖くなるし、人が不特定多数に放った言葉なのにそれに縛られて動けなくなったりする。一日は机にしがみつくだけで終わるから、覚えていることは一つもないし、やらなくてはいけないことも頭に入ってこない。文字も読めないし、話も右から左に流される。歩くのも億劫になる。

動けなくなる日のほうが多い気もする。でも、この怠惰君もいろいろあると思うのだ。怠惰君は、「怠惰」だけで構成されていない。日常の中の怠惰になってしまうような小さな出来事の権化が奴なのだ。それも、私の中の何をするにも臆病で、恐怖心に負けて生活している中でそれらを助長させるもので怠惰君は成長し続けている。だから、怠惰君が生まれるのはむしろひねくれている私が悪いのかもしれない。食い尽くしたい欲求だけで来ている怠惰君は何も考えていない。怠惰君と長らく付き合ってきているが、段々友達に近いものになってきたように思う。

悪いことばかりでもなくて、怠惰君が来ると自分に戻れた気もするのだ。いつも、大勢の中では自分で自分を勝手に抑圧しているから、怠惰君が来ると自分ってこんなやつだったよなと思い出せる。無理に人に合わせなくてもいいし、たくさんの目が私を囲うこともなくなる。それにしては対価がでかすぎる気もしなくはないが、怠惰君は何にも考えていないのでしょうがないかもしれない。

今はやっと出ていきそうに見せかけて、ずっと居座っているけど、まあ気が済むまでいろよと思えるようになった。どうせまたすぐやってきそうな気がするから、無理に追い出すのもなんか嫌なのでこのままでいようと思う。

またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?