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推し活約20年のヲタクが今思うこと

こんちくわ。
ヲタクです。

noteは初めまして。
今まではヲタクのブログははてブロやろ!とそっちに書いていたけど、最近読む物がnoteに増えてきたので、こっちに移行してみたよ。

以前にも推し方についてはてブロで書いたことがあるけど、ここ最近理解出来たこともあったので、改めて書きたい。
以前のものはこちら

とんでもない汚い文章。
今も変わらないけど。
自分のスタンスには何ら変化はないけど、周りに思うことや、昨今の推し活事態が変わってきたのでそれを書きたいと思う。


1.私自身の推しスタンス

まず、私自身の推し方のスタンスを書きたい。
私は平たく言えば「推しに対して全肯定」であり、「お花畑」といわれるタイプだと思っている。
以下の詳細は長いので、読み飛ばしていただいても構わない。
(ただし、この先の文章で言ってることがわからないといわれても責任は持たない)
似ているスタンスの人がいれば本当にお友達になりたい。

①推しは生きているだけで尊い
そもそもこの世に存在してくれているだけでありがたい。
推しのお父様、お母様、推しをこの世に生み出してくれてありがとうございます。ご先祖様にも感謝したい。

②応援をさせていただいている
私が勝手に好きになって私が勝手に応援したいと思っているから勝手に応援させていただいているという気持ち。
チケット代もプレゼントも手紙も私が好きで出している。
それについて見返りはいらない。
見返りがあった時はお金を払いたくなる。

③推しの人生を推す
芸事やパフォーマンス、仕事ぶりに惚れて注目し始めたとしても、結局その人個人の人間性や生き様に惚れ込んでしまうことが多い。
二次元では大体そう。キャラクターに惚れ込んでいく。
推しには推しの人生がある。
結果、私はその推しの人生を応援しようと決めて応援させていただいている。
熱愛が出ようが、合コンに行ってようが、結婚していようが、不倫してようが、自殺未遂をしようが、芸事を辞めようが、極論死んでしまっても、それは推しの人生である。
こちらが好き勝手応援をさせていただいている以上、本人の決定に口を出す権利など毛頭ない。
息抜きすぎて芸事がボロボロの時は何してんねんとは思うが、そんな人間でも応援したいと思うことに変わりはない。
盲目と言われたらそれまで。

④認知はされたくない
特に芸事に身を置いている方へはラジオなどにお便りを投稿したりファンレターを出したりはするが、この人間だというのは本当に知られたくはない。
姿を見られるのは本当に嫌だ。
ただ、応援している奴がいるぞと言うのは知っていてほしい。
永遠のジレンマ。

⑤他者への嫉妬がない
同担さんや同じものが好きな方が何かを勝ち取っても、いいなぁ!すげぇな!やったじゃん!としか思わない。
座席がよかった、ランダムグッズで推しが当たった、ファンサをもらった、街で推しと出くわした。
その人の運が勝ち取ったものだ。羨んでもしょうがない。
でも、その運を金で買おうとしてる人間は嫌悪する。
大概、そういう輩はその金に見合わない対応をされた時に「どんだけ金使ったと思ってるんだ」と憤怒している。
自分が出したくて出した金だろ。受け入れろ。

⑥私は推しの看板
自分がこの人を推しています!と公言した瞬間、私は推しの看板となる。
私が悪い行いをすれば、「あの人を推してる人やばいらしいよ」と推しの迷惑になる。
逆にいい行いをすれば「〇〇推しの人の人いい人だったし、〇〇さんもいい人なんだろうな」と推しのいい面に触れてもらえる機会が増える。

⑦ガチで付き合いたいなら本気出せ
ガチ恋、リアコ、どちらも経験がある。
二次元のキャラクターとの結婚式もしたことあるし、現在8年くらいガチ恋をしてる声優さんもいる。
ガチ恋はいい。ガチ恋してる時の妄想とか楽しいしね。
ただ、結ばれたいなら本気を出さなければいけないと思う。
特に同じ次元に実在する人であれば、まず出会わなければならないし、その人に好いてもらうしかない。
そうなった時に、どうするか。
「ファン」としてあうのでなく、「1人の人間」として出会わなければいけない。
現場で認知もらったりしたところでファンでしかないのだ。
稀にファンの方とご結婚された、付き合ったなどの事案もあるが、それはまず難しい。
付き合いたいと願うのであれば、その業界に入って、人として出会うしかない。ファンであることを悟られず、その人と普通に出会って普通に恋愛をする他ない。
そのためには自分磨き、スキルアップ、いろんなことが必要になる。
現場に行きたいなら、接近に行きたいなら、一生の片想いの覚悟をする。
自分がそうなりたいと思うのは勝手だけど、相手に言ったとこで「お前誰?」となってきしょがられるだけだから。
安易に相手に伝えず、ひっそりと「私が好きなだけ」と見返りを求めない。
結婚とかした時は1人でゆっくり噛み締めて泣く。
これがガチ恋相手にも嫌われずに生きて行く方法だと思う。

20年近くヲタクとして生きてきて、固まったスタンスはこの通りだ。
私はこのスタンスが正しいと豪語し生きてきた。
「人には人の」なんていうがそれは「正しくない推し方を正当化する用語だ」と、自分の考えるスタンスから一脱したものは悪と考え、生きてきていたのだ。


2.人には人の推し活と推し方がある。

ここ数年でいろんなタイプのヲタク、オタクと出会い思ったことは、推し方に正しさなどないということ。
知らないことを理解すること、自分の型にはまらないものを拒んでしまっていた頭の硬い私に、にコンコンと説明をしてくれた友人たちには感謝しかない。
現にあたしは、自分と違うスタンスの人の気持ちは理解できなかったし、曖昧な説明だと理解ができなくて、言語化されないと納得ができなかった。
結果的には、自分がASDという発達障害であることもわかった。
(ASDの詳しい説明はこちらから)

ゆるく推していきたい人、この推しだけに全力を注ぐ人、いろんな人が好きな人、推しに処女性を求める人。
私とスタンスが違うだけで、その人が楽しく推し活をしている。
推しに迷惑がかからなければ、正直それでいいんだ。
このことが自分で理解できた途端にすごく楽になった。
自分のルールが周りに適応されなくて、ずっとプリプリしてた。
もっと推し活は楽しいはずだもの。これでいいんだ。


3.推しやガチ恋相手は誰のもんでもない

いろんな推し方があっていいと本当に思う。
ただ、大事なのは「推しの迷惑にならない」という点は守ってほしいと強く思う。
二次元が好きな人も三次元が好きなにも共通するんだよね。
推しは、ガチ恋相手は、生きてる。
生きてるってのは自分の意志で動いてるってこと。
推しが自分の思う通りになるのは、自分の頭の中だけ。
だからこそ、ファンサあった時に嬉しいし、リプくれたら嬉しいし、差し入れの服着てくれたら嬉しい。
自分の思い通りにならないとイラつくこともあると思う。
「ファンサくれなかった」とか「結婚しちゃった」とか「好きな髪型じゃなくなった」とか。
思うことは全然いいと思う。
ただ、これを推しが聴いてしまったら、見てしまったら、これはただのアンチになってしまう。
好きって言われたい、あたしばっか好きじゃんって思うことあると思う。
好きになってもらうって超難しい。
自分の中で「ガチ恋に抱かれたい」とか「ガチ恋と結婚したい」とか全然いいと思うし、正直この妄想って超楽しい。私もよくやる。
リアコの芸人さんとかとの妄想デートとか寝る前によくやってる。
でも、自分が知らない人間とデートしてる妄想とか聞いたら純粋に気持ち悪いと思うよね。
そうでない人もいるだろうけど、世の大多数は気持ち悪いと感じると思う。
そうでない人は自分の大事な性癖だと思うから、自分の中だけでオナニーしてくれると助かる。


4.昨今の「推し活」

「推し活」という言葉が流行ってから、ファッションのように推しを作って楽しんでいる人もいると思う。
それ自体は否定しないし、楽しいなら全然いいと思う。
ただ、本気で好きな人、人生をかけて追ってる人もいる。
これは、ゆるく推してる人、本気で追ってる人、どちらも念頭においていてほしい。どちらも楽しい推し活なんや。
ただ、推しは生きてる。
自分が楽しくなくても推しのせいにはしないであげてほしい。
そうなったら、住みやすいところに移住したほうが精神衛生上絶対いい。
「嫌なら見るな」ってすごいいい自衛方法だから。


最後は説教くさくなったけど、私はこうやってどうにか推し活をつづけている。
結果何が言いたいかというと「推し活は用法と用量を正しく守って、楽しく活動しよう」って話。

皆と皆の推しが幸せな世界になりますように。
全ての推しに、これからできる推しに、感謝しながら。

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