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消えない、異物感。

生まれて、育ってくるまで、自分のなかの異物感、が消えない。
思い返せば、所属、の安心感も帰属感もなく、振り返れば、数多の場所、場面でお前はなんなんだ、としか言われてこなかったな、と。

オタクコミュニティもクルマコミュニティもどこにも属せなかった。
会社、というコミュニティも属せなかった。
属せば属すだけ、迷惑しか掛けていなかった。

個人事業の真似事をやるようになって、自分=迷惑しかかけない存在って事が一ミリだけ癒えた。
そもそもが、わたしの生きてきたジャンル的にもわたしの人間性的にも、自分のファンや信者を作って味方になってもらうって事すらもまともにできやしない。
SNSやnoteのフォロワーを増やす事もできなければ、現代に於いて魅力を発信する努力が足りないと言われる、思われるのも火を見るより明らかだ。

共感、がキーワードになって、信用が経済に直結する世の中になってきた。
ますます、不適切な育ちをしてきた人の居場所や活躍の場は少なくなるように感じる。

そもそもが発達障害、なんて概念も人間が進化、ある意味では退化したからに過ぎない概念で。

わかりにくいもの、めんどくさいもの、と思われた瞬間にシャッターが下される人間関係や仕組みがどんどん増えてきたように感じる。

でも、短絡的になりすぎてて、俺はついていけないし、これから生きてく上でわかりにくいもの、めんどくさいもの、見たくないものに、沢山の人が直面するように感じる。
そのとき、不遇だった人が勝てる土壌が出来上がると睨んでもいますが。

自分自身は30過ぎて、日本が豊かな国である事を知ることができた。
九州や関東に自分で行き、過ごせるだけ過ごして、日本って豊かな国なんだなって学ぶことができた。

山形県に連れてこられ、整備士になり、数えきれない差別な偏見に苦しみ、トラウマが刻まれ、それでも色々な事に挑んできたつもりだった。
家族がなくなり、機能不全の育ちで生き延び、馬鹿高校、専門扱いされているとこでも、卒業や修了をするために人の何倍も苦労したのは事実だ。
それくらい、わたしの育ち上、頑張るとか努力するなんて環境、なかったもん。
それでも、若い頃、それを教えてくれた人やキャラクターがいたから、その教えを大事にしてるだけで。
頑張れば頑張るぶん、居場所がなくなり、話が合わなくなり。

今の世の中を見てすごく複雑な気持ちになるけど、人一倍、弱さも痛みも悲しみも怒りも共に歩いてきたからこそ、わたしの技術を持ってして、誰かに寄り添える人間になりたい。

悲劇のヒロイン気取りとかめちゃくちゃ言われてきたけど、医療機関にヒアリングされて色々を話したら、あなた犯罪者か人殺しになっててもおかしくないとか、社会福祉のもとに保護される権利があったとか、私が見てきた発達障害者の中で1、2を争うほど頑張ってきましたねとか言われて、結局無駄に傷ついただけかよって思って、悲しくして悔しくてやりきれない気持ちも消えない。

それでも歩いてくしかないんだけどね。

何のための技術の進歩で、社会の進歩、なんだろうと様々な当事者として生きてきてすごく思う。
肩書きや立場で態度が変わる人もた〜くさん見てきた。

わたしはどんなわたしになりたい、とのろしになって登ってゆく。

そんなことを大切にしようと感じる。

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