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「ちょっと嫌」考

平日の朝っぱらに吐き出してしまった弱音ツイートに、おもいがけず数名の方が反応してくれた。改めて考えるきっかけになったので、メモ。


「ちょっと嫌になった」の内訳

ツイートした時点ではどういう気分だったのか振り返ってみた。

その1、自己嫌悪。前提として、リジェクトされたのは研究の中身、もしくはそれを文章で表現する力や位置付ける力が足りなかったためだということは理解しております…。ということで、「ちょっと嫌になった」その1は、こういうことを言われ続ける自分の力不足に対してです。ほんとただの弱音だな…。

その2、世界嫌悪。こういった表現↑が、評価の低さを端的に伝える共通語として成立している(ように見える)世界って、なんか嫌だなって思った。「記載型研究が過小評価されている」と憤っているというのとはたぶん違っていて、研究の型を評価に持ち出すことがおかしいと感じているんだと思う。しかもその否定が一方向にしか起こらない状況。

その3、トラウマ嫌悪。こういう言葉↑を引き金に、過去に言われたあれこれまで頭の中に自動的に蘇ってくる仕組みになっていて、今受けた言葉そのものの5倍くらいのダメージをいちいち負ってしまうこと。これがこの先も続いてくと思ったら、もう嫌だなと思った。←もはや「ちょっと嫌」どころじゃなくなってる

なんやかんや言いつつその3が一番嫌なのかもしれないけど、その状況はその1やその2の結果でもあって、そういうのをひっくるめての「ちょっと嫌になった」だったんじゃないかと…。


どうする?

他の方々のコメントを読んで上のように内訳を考えてみて、その1とその3のような自分事と、その2のような外の事がごっちゃになってたことがわかった。あとは、その3によって過剰反応気味になっていることも否めないから、そこは今後気をつけないとなぁ、とも思った。

で、どうする?については、自分の研究力を高める努力をし続ければその1その3は解消される可能性がゼロではないけど、その2こそがその1その3の根源なわけで……ってとこで止まってる状態。

その2関連では、こちらのツイート↑で紹介されていた『科学革命の構造』の話や「strong inference」に関する記事を読んでいるときに、なにかがわかりかけた気がしたんだけどまだ掴みきれてない。『科学革命の構造』ももう一度読もうかなぁ。

そして他の方々のコメントを読んでいくうちに、私は記載研究についてもよく知らないし、論文が「記載的」とは言われるけどその記載も浅いものでしかない、つまり記載型でも仮説検証型でもないのでは...…とハッとした。凹。


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