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「一般就労」への目標値設定の報道を知り、企業のスタンスと小規模事業所としての考えについて

こうきたかー!

就労継続支援A、B型に目標値 厚労省が障害福祉計画で指針 - 福祉新聞
http://www.fukushishimbun.co.jp/topics/23462?fbclid=IwAR1IKM_TSN1H6FcboylZ8PuCo4bLui-75zENel4ZxoTF5gF2GbqCsV3mgoY

 厚生労働省は1月17日、2021年度から3年間の障害福祉の基本指針をまとめた。障害福祉サービスの就労継続支援A型、同B型の利用を経て一般就労に移る人の数に目標値を設ける。23年度までにA型は19年度実績の1・26倍以上、B型は1・23倍以上とする方針。都道府県・市町村はこの指針に沿って第6期障害福祉計画、第2期障害児福祉計画を20年度中に作る。


就労継続支援A型は雇用契約を結び、B型は結ばずに、就労支援を受け、給与や工賃の収入や就労に向けた準備やその機会の支援を受ける制度です。上に記事のように基本計画の中に目標値を盛り込むということは、現在の対象サービス利用によって雇用につながった人の 1.23〜1.26倍以上の雇用実績を国として目標にしていく、ということです。つまり、その目標をベースに今後の福祉サービスを運営するための制度や、運営者が県市町村へ請求し国保連合会から受け取る報酬の単価や加算の設定が決まっていくということでもあります。


こうしたサービスを受ける人、特に就労継続支援B型を使うような人の中には、毎回、その日その月、その時間に、やっと家の外に出てなんとか家族の介助や支援を受けて事業所のドアをくぐれる、通える人もいます。たぶん、一般的な「障害者」のイメージ―物理的な障害によって生きづらい人―とはまた違うスペクトルがそこにはあります。いわゆる発達障害や精神疾患、難病などで、それらが慢性化・重篤化(発達障害の場合はそれとは違うけど、、、むしろ二次障害の方)によって、いわゆる「がんばれば、がんばれる」状態がより症状や状態を悪化させてしまう人もいます。そうした人にとってサービスを受けるということは、社会参加であり地域活動であり、もしそこで対価が発生しているのであれば、それは経済活動でもあります。就労継続支援B型の場合、工賃という収入のことも話題になることが多いですが、今回は「就労」に重きを置いて書いています。もちろん工賃も無視できないところで、いわゆる最低賃金よりも非常に低い基準での支給になっていることが問題視されます。ただし、この話題はもう少し字数を割いて説明が必要なのでここでは取り上げません。

障害者自立支援法により、現在は障害者総合支援法ですが、こうした人がサービスを公的な制度によって使えるようになりました。しかし、どんな「障害」でもそうですが、様々な障害があり、個々それぞれの人が抱える困難による影響は多岐に渡ります。例えば、週1回の通所、それだけが地域のつながりの要になっている人も、実際に福祉サービスを利用する人の中にはいます。ぼくたちリベルテでも「今は来れない」けど、電話やメール、LINEだけだけどと、半年繋ぐ人だっています。相談支援員や自治体職員との連絡共有がない日もありません。どこの事業所もそうでしょう。毎日、順調で休まず、ちょっと無理もできて週5日働ける人ももちろんいます、が、そういう人だけではないのです。

なんとか家や部屋の外へ出て、仕事をしたい、居場所が欲しい、人とのつながりが欲しいという人は、たしかにぼくたち支援者や家族や関係者からすると「困っている人」に映ります。しかし、当の本人はそんなふうに見られたいとは思っていません。いや周囲の人以上に「困っている人に見えているだろうという」意識が、より相手を困らせたくないと頑なになって、人とのつながりを遮断してしまうことさえあるように感じます。

だから、どんなに障害者支援施設(この場合は「入所施設」といういみではなく、支援するところ程度のこと)を使おうとしている利用希望者や利用者として、偶然出会ったとしても「隣人としてともに居る」、「地域に一緒に居る」ことをぼくや自分が運営するリベルテは目指しています。できているかどうかはわからないけれど、それをやろうとしています。支援者も正義感や正しさのステレオタイプで自身を固定化しないよう、管理や生産性を省みる価値観を模索しています。それは「私たち」が正しいと思っている「働き方」を施設の中に持ち込むと、利用者となって目の前に現れた「あなた」が経験してきた障害を再生産してしまう可能性もあります。そのことを回避したいです。

だから、前述の障害福祉計画の中でこの目標値は、どれだけ「多様な働き方」が含まれれるのだろうということが気になります。例えば「超短時間雇用」は含まれるのか?とか。

三好春樹さんが『関係障害論』の中で取り上げた「関係の障害」をできるだけ解きほぐすことを、たまたま出会った人たちと試みたいと考えています。企業への雇用を支援で働きかけることもありますが、地域の企業の受け入れが非常に柔軟で手厚いかたちで実現したこともあります。もちろん、それは本人のキャリアや資質もあったということもありますが、しかし、では就労支援が目指すような「週40時間」や段階的な「週20時間」には全然みたない、しかし重要なポジションで、ということも実績としてはあります。さて、こうした弊社による実績は果たして、この計画の中でいう「実績」になるのでしょうか。その範囲になるのか。そういう点でこれは福祉施設だけの問題ではありません。逆に、そうした短時間の雇用形態を認めていくことで、本当は働きたい時間や日数、同じ条件の雇用されている「障害のない」職員よりも「短い雇用」はそれに含まれてしまうのか。

目標値をクリアできるかどうか、それは実は地域の理解や個別具体的な「あなた」と「わたし」の関係性はどれだけできているかが、本質的な課題になるでしょう。いや、ならないとおかしいと思います。それらを媒介する人や取り組みが、施設や「理解ある企業」だけでなく、「一般的に」どれだけ積み上げられているかが、本当は問われないといけないはずです。むしろ、それを紡ぐための目標であり、制度が設計されているとして、それはどうしたら数値化されるのでしょうか。ぼくはまだ勉強不足だ。知っている人がいたら、そこはぜひ教えて下さい。数字で未来が見えることや目指すことは出来ると思います。それらを媒介する人や取り組みが、施設や「理解ある企業」だけでなく、「一般的に」どれだけ積み上げられているかが、本当は問われないといけないはずです。とても気になります。

また企業が障害者の雇用を進める中で、たぶん、という絶対に雇用時間や頻度には関係なく、障害のある人と「健常者」との軋轢や葛藤は今は出ます。だからといって、障害のある人だけを集めて「支援」すればうまくいくっていうのはぼくも「本末転倒」だと感じています。例えば、企業が「一般」雇用から、障害のある人を「切り離して(そう思っていなくても)」、同じ場で働くという機会が失われてしまうようなことが、制度を使うことで起こっているかもしれません。それは「働く人」や「働いている人」は望んでいることなのでしょうか。私たちにとってそれは生きている日々や社会が、より豊かな世界に変わるような関係性が失われることになっていないだろうか。
と、カプカプの取り組みのように言えたらと、まだまだできていないなと、悔しいなと思ったりもします。

カプカプのつくりかた(鈴木励滋)
https://note.com/carebros2017/n/nbb14b35903c2

ある数字を出したとき、その数字は何が含まれて(いない)のか。こうきたからには、できれば雇う側となる地域企業の人も一緒に考える機会が必要だと思います。「働きやすさ」を考えるこの時代に、「福祉から求められること」が、え?それ?こうくるの?となるのか、ならないのか。職場をわける、障害のある人は制度の中で雇用するということが、マーケティングや経営の効率化、生産性を重視したところから出発している考え方ではないこともあります。それは善意や優しさであることも。善意として「そうした方がいい(だろう)」というところから生まれてくることに対しても、ぼくたち「福祉」ということの鉤括弧を外して拡張していく取り組みとして、何かアンサーしていかないと、という焦りもあったりします。

2019年度小規模な事業者の倒産が全体の80%だったというニュースがありました。

2019年「障害者福祉事業」の倒産状況
http://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20200130_02.html


ある程度ダメダメな施設や事業所が淘汰されるようになってきたのだと思いました。と同時に、小規模(ぼくたちなんで超小規模)の施設は、地域の人や資源と顔の見える関係でどれだけ依存関係を増やしていくことでその地域に「棲息」できています。そんな施設も、「一般ではない雇用の在り方」、「疎外されない地域の中の働き方」の一つ在り方として、福祉サービスや制度を使うこと選ぶことをネガティブではなく、むしろそれによって地域の中に多様な人が存在できるという意味についてもっともっと認められていいと思っています。そして、改めてそうやっていきたいなとも思いました。

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