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『逃げ恥』と男性の育児のはなし

お正月の特別番組で以前話題になった『逃げ恥』の続編が放映されていた。ようやく、見ることができて、思ったことをネタバレしない程度に書いておく(いや、ネタバレばっかりかも)。

ふだんから家事に協力的な夫でさえ、つい育児においてサポートする、手伝う、と言ってしまうことがある。本人の気持ちとしては同等程度に育児もやる、という意識を持っていても。あるあるな話ではあるけれど、そういうときにモヤモヤを抱えずに、違和感をちゃんと言える信頼関係が大事よね、と思う。

男性育休を取る、と宣言し、さも当然のように振る舞うくだりが見事だ。古い価値観の上司を仲間で説き伏せるところも含め、ひとつの見どころだと思う。

男性の育児参加は本当に理解されない。そもそも育児に参加しない夫のことは知らん。都市部の比較的若い人が多く務めるIT企業ですら、ドラマで描かれていたような光景が実際に起こる。古い体質の企業、ぎりぎりの人数で回している中小企業は言わずもがな、じゃなかろうか。

男性育休という表向きの言葉や制度上は理解されていても、どうしても不公平感は募る。育児しながら働く男性は、さも当然のように妻に子どものことを任せて仕事にフルコミットするほかの男性と比較されながら、評価される。と同時に、それはこれまでフルタイムで働く女性が抱えていた問題と同様だと気づく。そして、男女かかわらず誰もが育児をしながら、仕事も定時で完ぺきにこなす、キラキラしたスーパースターになれるはずもない。

あのドラマを見て、夫婦共働き、実家の両親もともに健在、関係良好、職場の理解もあって、まさにファンタジーの世界だ、こんなの虚構だと思ってるのなら、たぶんそれは違う。こんなに恵まれた状況なのに、妊娠、出産、育児って大変なんだ、私には無理、というのもまたちょっと違う。そういう議論を超えたところの、もう少し先の話を伝えているドラマだ。

男性であっても女性であっても、本当に働きやすく子育てしやすい、そんな理想の社会にはまだほど遠いけれど、少しずつ、問題が可視化されるようになってきた。「つらい」と言える男性の声だってちゃんと聞こえるようになってきた。いろんな立場の人の「つらさ」が共感できる、見えるようになった、それを教えてくれるドラマだった。

少し前なら、育児しながら働く男性が「つらい」なんて言っても共感されなかっただろう。逆に、育児も家事も参加せずに仕事ばかりで家に居場所が無くて「つらい」なんて言ってる男性の声が、共感されなくなっているのではないか。

もちろんどちらも「つらい」ことに変わりはない。植え付けられた古い性別役割の呪いを解く作業は難しいし、自分の考えが古い、なんて言われて面白いひとはいない。呪いを解いたところで、まだ周りには呪いにかかっている人がいっぱいいる。

若い子育て世代は、いろんなものと戦っている。古い価値観のままではいられない世の中で、新しい方向性も先行きも不透明なまま答えを探しながら生きている。なかなか楽には生きられない。それは、たぶん皆そうだ。じゃあなんのためにこんなに考えながら悩みながら生きるのか、と思ったときにすぐに浮かぶのは自分の子どもの姿だ。次の世代につなぐために、いまを悩みながら変えようと。変わろうとしている。

男性で時短勤務をさせてもらって毎日子どもの晩ごはんを作れる恵まれた環境で、私は仕事をさせてもらっている。けれど、つらいことが無いわけでもない。いろんな葛藤は、もはや男女関係なく存在している。自分ひとり生きているだけでも悩みは尽きないし、子どもを育てるとなったら、また悩みが増えるのも当たり前だ。悩みながら生きるのは悪いことじゃない。

さて、次回は育休復帰・保活編なのだろうか。また、いっぱい悩みは尽きない。


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