見出し画像

みそ汁の身体感覚

みそ汁を作る。毎日のようにやっていることなので、動作も分量もすべて体が覚えている。

鍋に一定の水を入れる。火をかけて、顆粒だしをパラパラ入れる。冷蔵庫の野菜を探しててきとうに切る。冷凍した菜っ葉や油揚げもある。

野菜が煮えたら、味噌を入れる。お玉でガッとてきとうに掬う。溶かしたら、崩れないように豆腐を入れて出来上がり。

こんなレシピがあったら、たぶん怒られる。でも、だいたい味はほとんど変わらない。だしの違い、味噌の違いはある。

最近の味噌は麹の含有量が多いらしく、そのぶんだしがなくても十分味は出るらしい。もちろん、麹で濁りやすくなるので、わりと澄んだみそ汁にする場合はみそ濾しを使う。残った麹をつまみ食いすると辛くておいしい。

みそ汁はおかず論が最近増えているという。土井さんの『一汁一菜』まさにそれだ。

現場の身体感覚で覚えたものを定量的に分析するのは難しい。毎日みそ汁作ってておいしいみそ汁を作れていても、みそ汁検定みたいなのがあったらだしの分量はいくら?種類は?という問には答えられず落ちてしまうだろう。

家事全般にいえるかもしれないし、仕事のなかでも当てはまる業務も多いかもしれない。

経験と勘や身体感覚の言語化、誰かに認めてもらうには、それも必要なのかもしれない。けれど、言語化されないもののほうが、ずっと価値のあるもののようにも感じられる。伝統工芸の作り手の技、作家の構成力・想像力、詩人の発想と感受性、言語化されないものだから価値がある。

そんなしるもの時代の話。



読んでいただいて、ありがとうございます。お互いに気軽に「いいね」するように、サポートするのもいいなぁ、と思っています。