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つながり過ぎないでいい

「つながり過ぎないでいい」。そう言われると、どういうことだろう、と思う。「つながり」が大事、紛れもなくそう言われ、孤立や孤独は問題視されてきた。でもどこか「つながり過ぎないでいい」という言葉には不思議な安心感や優しさがある。

人がつながることでできあがるものが「社会」であるとして、人は社会なしでは生きられない。でも同時に、その「社会」に生きづらさを感じる多くの人がいる。社会なしでは生きられないけれど、社会だけでは生きづらい。それ以外の何もない場所、何もない時間が必要なのかもしれない。

自分は社会を受け入れられない、自分は社会に受け入れられない、そんな気持ちを抱えたことはないだろうか。社会に馴染む、というのは、一定の作法や行動様式、文化を学び、それに準じた動き方をすることでもある。うまく馴染めない、としたら、やっぱりどこかに苦手なことや抵抗感があるのだと思う。私も上手く馴染めない、そう思うときがいくつもある。

無理につながらなくてもいい。毎日、学校に行き、毎日、仕事に行き、毎日、ごはんを作り、どこかに出かける。みんな同じことを、同じように繰り返し、同じように生きている。そのなかにいられることの安心感と、いつか置いていかれるのでは、とか、そんな社会の流れについていけないことの不安。その両方を常に抱えている。でも、流れに合わせなくてもいい、少し遅れてついていくだけでもいい、遠くから見てもいい、そんなふうに社会との付き合い方を覚えたら、少し楽にならないだろうか。

もっと「楽」にいこう、と思う。こわばりすぎない、肩の力を抜く、そうして「つながり」をひとときでも忘れられるような場所をつくる。「社会」にはよくわからないことがたくさんあって、ときどき理不尽なことも多い。そのなかに参加して分かることもあれば、一歩引いてみてはじめて分かることもある。あまりに「つながり」に縛られていると、一歩引くこともできなくなる。そうやって、自分や誰かの生きづらさの正体を確かめてみる。

つながり過ぎないでいい、というメッセージはそんなふうに受け取れるような気がしている。


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