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育児は覚えることが多すぎる

夫婦ともにそこそこ家事ができる前提はあるけれど、二人で暮らしているときは、お互い仕事して遊んでいても全然部屋は散らからないし、ストレスもなかったのに、子どもが生まれたとたんに家事が回らなくなる。我が家ももれなくそうだった、と思う。

単純に家事に育児の仕事量がプラスされる、だけでなくて、求められる知識量も増え、家事の難易度も急に上がるからだ。

一人暮らし、あるいは夫婦二人暮らしのときは、同じおかずを作るだけで済んでいたところが、離乳食はじめ子ども用のメニューを作る、という一工程がまるまる増える…どころではなかったりする。

料理のうまい人なら、同一工程で取り分けできるレシピなどもすぐに習得できたり、自分で思いつけるのかもしれない。けれど、それまで自分のぶん、自分と同じように食べられる人のぶんだけを作っていたときとは違って、分量も味付けも、発達に応じて食べられる柔らかさも一口サイズも、全く変わってくる。
アレルギーのある食品を段階的に少しずつ試し、その年齢に応じた食事量などを把握し、なるべく好き嫌いの無いようにいろんな食材を食べさせる。
それがすんなりうまくいくはずもなく、手間暇かけて作ったものは拒否され、泣きわめいて暴れた末に、ぼろぼろとこぼれ、食卓も床も汚れていく。

食事だけ挙げてみても、これだけの仕事量が増えるので、単純に2倍どころではない。
生活のあらゆる場面で、たくさんのことを親も覚えていかなければならないのだ。予防接種の種類、子どもの体調不良のときの症状や子どもがかかりやすい感染症、家の中の危険な箇所の対策、発達に合わせた遊びや運動、心身の発達や身長・体重の平均的な推移、保育園・学童などの仕組み、PTAや地域のこども会、自治会などの仕事、子どもの喜ぶイベントやおでかけスポットの情報、そして食にまつわる先に見たようないろいろな知識…。加えて、雑多な情報の中から、正しい知識や情報をインターネットや書籍から探し出すリテラシーもまた問われている。

親になってから、初めて知ったこと、初めて見た世界がいっぱいある。

それらを覚えるのも大変だし、覚えた知識を活かして日々の家事・育児をこなしていくのも大変だと思う。もちろん、なんとなく経験則で乗り切れることもあるかもしれないし、そんな全部を完璧にちゃんと理解して家事・育児にあたらなくても、というものなのかもしれない。それで苦しくなるくらいなら、多少間違ってもいいからもっと気楽に育児も家事もしていいんじゃないか、とも。
一方で、「ちゃんと」育児をしていないと、簡単に叩かれてしまう世の中の風潮もある。ちゃんと食べさせていない、好き嫌いが多い、ゲームやスマホばっかりで遊ぶ、ルールを守れない、怪我や病気が多い…、子どもの姿を通して、親の育児や家事の程度が測られてしまう。もしかしたら、親だけの力じゃどうしようもないかもしれないのに。

家事・育児でなにがつらいのか、なにがそんなに難しいのか、言語化しにくいものだと思う。一つ一つの覚えることは難しくなくても、それが積み重なっていけば覚えきれなくなるし、つい間違ったり、忘れたり、できなくなることだってきっと出てくる。ちゃんと教科書どおりやっていたって、そのとおりにいかないこともある。
そんな「ままならなさ」がずっと日々の生活にまとわりついている。それをすべて帳消しにしてしまうくらいの我が子の「かわいい」で乗り切れてしまうこともあるし、「かわいい」だけじゃやってられないこともある。
親がたくさんのことを覚えているあいだ、子どもはもっとたくさんのことを初めて見て、初めて知り、そうしていろんなことを覚えていくし、どんどん次の「かわいい」がやってくる。


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