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「助けてください」と言えない社会の言えなさ

うまく、周りの人に「助けてください」と求められたらいいな、と思う。けれど、いろんなことがそれを妨げる。

言わなきゃ、伝わらない。それはたしかにその通りだ。でも、助けを求めることで、どうしてもネガティブな想像が先に来てしまうこともある。

何度もたくさんの場面で助けを求めて、めんどくさがられないだろうか、「できない」ことが障害ではなく能力の無さとして思われないだろうか、「みえない障害」があることに気づかれず怠けてると思われないか、
これまでも助けを求めてきたけれど、全然助けてくれなかったという諦め、
同じことでもできるときとできないときがある、という特性への無理解。

いろんなこれまでの環境や社会生活の中での経験や記憶、「社会」の側にある障害が、上手く「助けて」と言えない雰囲気を作っている。言えなくて、その言えなさに悔しく思う。
助けを求めることもひとつの能力、として捉えればそういう能力を身に着けていきましょう、というのも正しいのかもしれない。けれど、個人の能力ではどうしようもない部分での「言えなさ」の要因がある。

心を病んで、いまだに治療を続けている私も、やっぱりうまく言えないときがある。困ったら助けを求める、無理なときは無理って言う。体の変調に素直に言うことを聞く。頭ではそうわかっていても、そう言えない場面がたくさんある。自分だけ、特別扱いしてほしい、そういうつもりでもない。そもそもが画一的な決まりごとばかりな社会ではなく、もっと多様な選択肢があれば、自分だけが特別にはならないのだから。

障害や病を抱えている、なにか困難がある、そういうケースに限らず、助けを求めるスキル、というのもたぶん大切なんだと思う。それはそれで、みんながそういうスキルを身につければ、お互いに優しくいられるはずだ。
でも、同時に「なぜ言えないのか」といういまの社会の「言えなさ」の要因も解決しないと、言えないまま大変な思いをし続ける人は減っていかない。これを、個人のスキルだけの問題にするのは、ちょっと酷な話だ。

もともとある社会の偏りに気づいてそれを直す。言えないことはあなたのせいじゃないし、言えなさを解消していくために社会を変えるほうがきっと生きやすい社会でいられるから。


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