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めんどうなのは人か社会か

世の中、めんどうなことが多い。めんどうな人もいる。わたしも、たぶんめんどうな人だと思う。世の中のめんどうなことを、いつもめんどうだな、と思ってしまうから。

スーツを着て仕事をしたくない。だれかに忖度して、嘘をつきたくない。よくわからないしきたりや礼儀作法に疑問を投げかける。集団のなかでの共感や同意を求めてくる雰囲気を避けたくなる。わからない他人の感情に「わかるよ」なんて言いたくない。

できないことはできないし、やりたくないことはやらない。わからないことは、わからない。

そんなふうに生きているだけで、たぶん「めんどうな人」と思われる。

でも世の中におかしなことばかりが続くと、おかしいのは世の中のほうじゃないかと思う。でもそれを作っているのもまた、おかしな人たちだ。

だめな人たちが生み出したこんなにもひどい世界でも、お寿司はおいしいし、わたしたちはそれを食べて、今日も明日も生きていかなければならない。 『雨夜の星たち』p152.

世の中は、目に見えるものだけでなくて、目には見えないものでもつくられている。いろいろな暗黙のルールや「空気」、察しなければいけないなにか、合わせなければいけない雰囲気。目に見えないものを、なかったことにはしたくはない。見えないものが大切なことだったりもする。でも、見えないもののせいで、どこかやりづらくて生きづらい、誰かを傷つけてしまいそうになるなら、確かなものだけを頼りに生きてもいい。

世界は複雑で理解できないものだから、目の前にあるおいしいものや、かわいいもの、気になるなにかに目を奪われて、よそ見しながら生きてもいいんじゃないかと思う。

雨の夜には、星は見えないけれど、雨音はたしかに聞こえて、それが心地いい。


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