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学芸大学のカフェに通って

京都の大学を出て、東京の会社に就職した。東京に知り合いは少なく、とりあえず知り合いを増やそうと思って始めたのが、フィルムカメラとカフェ通いだった。

東横線沿いに住んでいたおかげで、フィルムカメラで写真を始めるのにも、お気に入りのカフェを見つけるのにも困らない環境だった。

学芸大学にはちょうどオシャレなカメラ屋とカフェがあり、フィルムの現像がてら、学芸大学のカフェに通うのが、週末の日課になった。

当時、学芸大学にできたばかりだった“torse”という小さな急な路地裏のカフェによく通っていた。

白く塗られた壁とエジソン電球のぶら下がったシンプルな照明、古木とアイアンで作られた椅子とテーブル、クチポールのカトラリー。どれも統一感のあるセンスで整えられたしつらえだった。

メニューはよく覚えていないが、アルマタリの豆を使ったコーヒーとオムライスのおいしいカフェだった。

昼も夜も足繁く通ったおかげで、オーナーの男性とも、店長の女性とも仲良くなったし、ときどき行われるイベントにも参加していた。まだ若い二人で30代くらいだろうか。でも、社会に出たばかりの私にとっては、とても楽しそうに人生を生きている大人との出会いの場だった。彼らの仲間はいつも自由で、ときどき大変そうな仕事に頭を抱えながらも、お酒を飲んで騒いで、楽しんでいた。

私は、落ち着いた昼の時間帯、薄暗い店内でわざと照度を下げている灯りを頼りに本を読むのが好きだった。読んでいる本を店長さんとよく貸し借りもした。落ち着いた雰囲気の彼女は、古い絵本や古典を貸してくれた。私は何を貸してたかな。

東京で暮らし始めて1年半ほどは、ここの存在に本当に救われた。小さな会社で学歴だけ買われて就職して、ろくに仕事ができなかった私をたくさんなぐさめてくれた。そして、何より楽しそうな大人の姿を見ることができた。居酒屋で内輪で会社の愚痴を言うようなつまらないのじゃなくて、とにかくその場を楽しむ人が集う。開かれていて、いろんな人が混じっていた。

引っ越して、東京の東に新しく住み始めたら、自然と足は遠のいていった。久しぶりにいくと、いつのまにか店長は辞めていて、お店もその後移転した。

最近、なにかの便りに久々に名前を見かけて、ふとこんな昔の話を思い出した。

ずっと同じでいられる場所、というのは少ないし、私もほかの皆も絶えず歩き続けている。

でも偶々短いあいだでもすれ違って接した時間は簡単には忘れないし、当時救われたおかげでいまも続けられてることもある。別々の生き方をして、離れていても、そのときの関わりあいは、いまもどこかで作用している気がしている。記憶の中にあるあのカフェは、今も新しい場所で新しい人を迎えて、新しい記憶が刻まれていく。




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