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男性が子育てを語ること

こんな記事を読んだ。夫婦ともに研究職で、夫が1年10ヶ月と長めの育児休業を取った、というお話。いくつか、気になったところを抜粋してみる。

女性が「まだ子どもが小さくて」というと、「お子さんがいて大変ね」という話に結びつくのかもしれませんが、男性が言っても「かわいい年ごろでしょう」で終わってしまう。もっとリアルに大変で、ごはんもつくってるし買い物もしてる、みたいなことは、たぶん相手には想像の端にものぼっていない。

今は、育休を長めにとる男性も増えていて、記事などで取り上げられているのもみますが、けっこう「さとってる」人たちが多いように思います。「男性だけど、仕事ばっかりやるのが人生じゃないよね」とか、「子どもと一緒に生きるのもありだよね」とか、ある意味、達観している人たちです。一方で、そうではない声は、まだなかなか出てこないように思います。仕事との両立をはかり、家庭を大事にして身も時間も削っていながら、所属先にも、社会的にも理解されていない人たちは、男性ゆえにけっこういるかもしれません。

男性にかかっている、「仕事しろよ」「競争に負けたらアウト」みたいなプレッシャーは、それはそれですさまじいものがあります。そういう状況で「私、競争から降ります」とはなかなか言えないですし、そうなると、もっと家事も育児もやれるじゃないか、やるべきだとなったときに、壊れてしまう男性もたくさん出るだろうと思うのです。

共感できる部分はいくつかあるけれど、ちょっと違う気がする、と思う部分もある。子育て、こんなに大変だと思わなかった、という男性の率直な気持ちが現れているけれど、本当に大変なのはこれまで声をあげても聞いてもらえなかった女性たちだったんじゃないだろうか。いまは、まだ男性の声を聞いてもらえる機会は少ない。男性もまた仕事と育児の両立に苦労している、そういう時代になっている。

わたしは育児や家庭のことを最優先に思っているけれど、それを悟っている、達観している、と言われると少し違う気がしている。
自分の楽しみだって捨てたくないし、仕事も(もともとあんまり好きじゃないだけで)しなきゃいけないのはわかっている。「競争から降りる」ときはそれなりに覚悟をもって降りたし、自分のなかで積み上げてきたものが崩れる音がしたように感じた。
そうして、寝込んで、また布団から出てきて、ようやく家族が回るようになって、娘も10歳になったところで、今度はまた息子が生まれた。

10年前の子育てと、いまの子育ては全く違う。10年でこんなに変わるのか、と思うくらい、当時といまとでは育児のしやすさが変わっている。一方で、それでも、ひとり子どもを見るのは本当に大変で、家族だけで子どもを育てる、という前提を壊し、男性も女性も仕事を諦めることなく子育てできる社会になるべきなのは変わらない。変わりつつあるけれど、まだ全然、道の途中だ。

この記事の著者もちょうどその過渡期を経験した男性の一人だ。そういう声をもっと男性から出してくれるのは大歓迎だし、わたし一人の経験だけじゃなく色んな経験を共有したい。どちらかにしわ寄せがいくようなこのシステム自体が改められないといけない、という思いはわたしも一緒だ。

今日も、平日にもかかわらず、公園にはたくさんのお父さんがいた。春休みだから、でも普通に仕事はあるよな、と思いつつ、こんな晴れた日に外で桜が咲いていたら、子どもと一緒に公園に来たくなるよね、と納得して、わたしも桜の木の下でたくさん子どもと遊んだ。

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