旨いかマズイかは、相対的なものなんじゃないの?という話

家の近くに中華料理屋がある。
街中でちょくちょく見かける、中国の方が経営されていると思われる、中華料理屋だ。
(どういうわけか中国の方が経営されている雰囲気は感じ取れるから不思議)

そのご近所のお店、古びたマンションの1階にテナント出店されてるんだけど、まず、入り口が分からない。
看板は大きく派手派手に掲げてあるんだけど。
それに、言いにくいけど、あまりキレイには感じない。
でも、もう長く経営されているみたいだし、一度行ってみたい、でも怖い、、、な感じがしてたけど、
昨日のお昼、意を決して(それほど大げさでもないけど。。。)行ってみた。

飲食店はすべからく「当たりはずれ」はあるもの。
でもこういった中国人の方の経営されてるお店に関しては、その振れ幅が通常よりも大きい、と勝手に思い込んでいる。
事実、今まで何度か中国人経営者さんのお店に入ったことがあるが、「スゲー旨い」と「これは無いわ。。。」の両極端の経験を幾度もしてるのだよ。

日本人が経営している飲食店は、その振れ幅が小さいように思う。
「そこそこ旨い」と「イマイチだ」といった感じ。
それなりの味の範囲に収まっている気がする。
もちろんスゲー旨い店もある。でもクソマズイ店にはなかなか出会えない。

なぜ中国人経営者のお店の振れ幅は大きくて、日本人経営者のお店の振れ幅は小さいのか?
おそらく、2つの要因が考えられる、と思った次第。


1つ目の理由は、日常的バックボーン。

こう書くと「なんじゃそれ?」と思う?
書いてる自分でもそう思うよ(笑)

簡単に言うと、味覚って子供のころから育った環境の影響を受けている(だろうと思う)。
日本に育てば、日本の、もっと言えば関西に育てば関西の、関西でも大阪と京都だと違うだろうし、
そういった生まれ育った環境に左右され、形作られると思う、味覚は。
これをカッコつけて「日常的バックボーン」なんて言ってみただけなんだけど、中国で生まれ育った方と日本で生まれ育った方では、もう、国が違っちゃってるのだから、その乖離はすごく大きい。

だから、その料理が旨いかマズイかもその振れ幅が大きくなるのではないかな、と。
自分が馴染んでいる味覚の範囲の外側に振れてしまう。良い方にも悪い方にも。


2つ目の理由は、心理的期待値。

とりあえず、結論めいたことは難しく言ってみよう、そうすれば賢く見えるのではないか作戦です。

心理的期待値とは、つまり、飲食店などに入る時、こんなサービスで、こんな料理がこんな味と量で、この程度の価格で、、、となんとなく想定しちゃう。
これが心理的期待値。
この期待値のハードルが、中国人経営者のお店と日本人経営者のお店では違うのではないか?ということ。
失礼ながら中国人経営者のお店のハードルは低く設定されているのでは?と思う。
(どちらかとういうと、大当たりもあるのでギャンブルに近いか・・・)
ただこのハードル、上への期待値は上下するけど、下へのハードルは案外固定されているような気もする。

どういうことかと言うと、
「旨い」の期待値ハードルはお店によって上げ下げされるけど、
「マズイ」の期待値ハードルはどのお店でもあまり変わらない気がする。
本来で言えば、旨いハードルが下がれば、マズイハードルも下げて、全体的に期待値を下げなければならんのに、
旨いハードルは下げて、マズイハードルはそのままになっちゃってるのではないかなと。

だから、結果的に期待値の範囲が狭くなっているのが、振れ幅が大きくなる原因かと。


ランチを頂いてみて。。。

結論から言うと、「大当たり」のお店。
知人と2人で行って(一人ではやはり怖かったので付き合ってもらい)、四川ラーメン、中華飯、青椒肉絲、油淋鶏をオーダー。
どれも超絶旨かった。

ただ、、、量が半端ない。
完食など到底無理と判断し、残った料理はテイクアウトして、夜食べた。
マジ旨い。

おそらく、旨いハードルを相当低くして自己防衛していたであろう、小心者の自分を反省します。


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