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ドラクロワが愛した住居・アトリエ

 ≪ パリ滞在記・その2 ≫ 〜musée Eugene-Delacroix 
      国立ウジェーヌ・ドラクロワ美術館(ルーブル美術館の別館)〜

 サン=ジェルマン・デ・プレに借りたアパルトマンから歩いて10分、ドラクロワ美術館に行ってきました。
巧みな色使いと躍動感あるドラクロワの作品からは想像もつかないほど、建物入り口は静かで落ち着いた雰囲気。そこを訪れたすべての人を吸い込んでしまいそうな魅力を持っています。

私がドラクロワについて知っていることは、
・有名な「民衆を導く自由の女神」
・アングルの新古典主義 VS. ドラクロワのロマン主義
・国立西洋美術館にあるルノワールの『アルジェリア風のパリの女たち』は、
 ドラクロワの『アルジェの女たち』に着想を得ていること
・ポール・シニャックが新印象派を歴史的・理論的な文脈で紹介した『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』に、ドラクロワの名前が挙がっていること
くらい。画家本人のことについてはほとんど知りませんでした。

 受付にあったチラシを見ると「ドラクロワは、サン・シュルピス教会のフレスコ画製作のためにこの場所に移り住んで来た」の一文がありました!
 🔔リンリーンっ!
ドラクロワさん!わたくし、サン・シュルピス教会の大作、見てきました。ここで制作されたのですね❗️と一人で勝手に興奮してしまいました(笑)

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 ジェリコー、ドラローシュらとともに、古典主義の形式から脱却した絵画を目指し、ドラマティックで情緒的なロマン主義の先駆的な作品を制作したドラクロワ。ここは、彼が晩年、住居兼アトリエとして使用していた場所だそうです。
 デッサンや絵画だけでなく、直筆の手紙やアトリエのパレット、寝室や図書室、家具など彼が実際に使用していた物も展示してありました。
絵画だけでなく、音楽や文学にも造詣が深かったドラクロワ。展示品からショパンやジョルジュ・サンドなどとも親交があったことがわかります。

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 そしてドラクロワの構想に則って最近再造園されたという庭園がまた素敵❗️
霧雨が降りそぼる中、庭園に降り立つと、興奮していた自分の気持ちがスーッと落ち着いていくのがわかりました。
普段は使い慣れない「静謐」という言葉を口にしていました(笑)これ本当です。

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 この平穏な隠れ家で暮らす喜びを、彼は日記や手紙に綴っています。
「私のアパルトマンは本当に魅力的。翌日は、向かいの家に降り注ぐ優雅な太陽を眺めながら目覚めた。アトリエのうららかな様子も、小さな庭の眺めも、私をいつも幸せな気持ちにしてくれる」(1857年12月28日の日記より)
私も幸せな気持ちになりましたよ。

 1857年、59歳で王立アカデミーの会員となりここに移り住んだドラクロワは、1863年65歳、この場所で息を引き取ったそうです。まさにドラクロワの私的な場所であり、彼の創作に対する精神を感じ取れる空間なのです!!
思い切り深呼吸して、その空気を体中に取り込んできました☺️

 ドラクロワには跡を継ぐ子孫がいなかったため、彼の死後、一時取り壊されそうになっていたこのアトリエ。しかしモーリス・ドニやポール・シニャックらをメンバーとする「ドラクロワ友の会」が阻止し、国立美術館としての公開に繋がったそうです。
 🔔リンリーンっ!
新印象派を代表するポール・シニャックによって著された『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』(1899年)。埼玉県立近代美術館のガラスケースに展示されている実物を見ましたよ(意外にも薄い冊子で驚きました😅)!
シニャックは、ロマン主義のドラクロワが印象派に大きな影響を与え、結果として彼が新印象派に連なる系譜の筆頭に位置していると考え、深く信奉していたのですね。

 ここは現在、独立法人ルーヴル美術館に帰属しています。
そういえば、職員さん(監視や警備?)がスーツを着てパリッとしていました。気のせいかしら?
常設コレクションは、頻繁に展示替えを行い、年に一度ドラクロワの創作に関わるテーマを巡って大企画展が開催されているそうです。
“もし私がパリに住んでいたならば、年間パス(←ないかも知れませんが)を購入して何度も訪れたい美術館リスト” に「ドラクロワ美術館」と書き入れました✌️

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・                <その2>終わり


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