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アカデミックな絵画と 2023年

国立西洋美術館の常設展の中に、普段は版画や素描を展示している 少し暗い小部屋があります。そこに展示された “正統派” 画家・7人の24作品を展示した小企画展 <もうひとつの19世紀> 。
とても面白くて、大いに刺激を受けてきました。

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副題は「ブーグロー、ミレイと “アカデミーの画家たち”」。
この “アカデミーの画家たち(the Academic Painters)” とは、
正統的で堅実な教育を受け、伝統的・格式的な作品を描く画家たちのこと。

19世紀フランスにおいて画家が目指す出世コースを例にとると、
・ エコール・デ・ボザール(国立美術学校)で教育を受け、
・ ローマ賞を受賞して公費でイタリアへ留学したのち、
・ 毎年サロン(官展)に出品し評価を得る。
・ そして美術アカデミーの会員となり、
・ エコール・デ・ボザールの教授になること。
そんなエリートたちが美術界の中枢を担っていたのですね。

そういえばアカデミーの画家たちについて何も知りません。
美術展に行くと、主役である【印象派】など新たな芸術運動の “反面教師的” 作品としてアカデミックな絵画が数点展示されていることが多いため、画家の名前や作品を目にする機会はあります。
しかし、詳しく調べよう!と 美術史本や資料を探しても、彼らに関する記述は非常に少ないのです。
それどころか「世界の名画100選」「美術史を変えた100の名画」といった類の本にも、アカデミック絵画はほぼ登場してこないのです。

正統派・伝統重視 →  格式ばって古風 →  古臭い、チャレンジ精神に欠けて面白味がない…。
急速に近代化を進め 大きな変化を遂げた20世紀には評価が下がり、その存在が軽んじられてきたのでしょうか。

どれどれ。
2023年を生きる私は、彼らの作品をどのように鑑賞できるのか、展示会場で感じてみることにしましょう。

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[ウィリアム・アドルフ・ブーグロー(1824-1905年)の場合]

前述、画家のエリート・コースを真っ直ぐに歩んだのがブーグロー。
彼の油彩作品、5点が展示されていました。

左上)『姉弟』(1887年)/ 左下)『純潔』(1893年)
中)ガブリエル・コットの肖像(1890年)
右上)『小川のほとり』(1875年)/ 右下)『少女』(1878年)

これぞ私のイメージする【アカデミック絵画】!
絵画鑑賞を始めた5年前、実はブーグローが苦手でした。“写真のような” 絵画にその意味はあるのかしら?と生意気なことを感じていたのですが、ひたすらに美しい仕上がりは【写実絵画】とは全く違います。
ブーグローの作品は、近くで見れば見るほど、恐ろしいまでに美しいのです。

展示されているブーグロー作品の拡大部分
こちらは展示室で撮影したため、照明の影響を受けています。

彼女の滑らかな頬、この子の柔らかい肌に思わず手を伸ばして触れたくなります。ブーグローの描いた裸婦像が大人気だった理由がわかります。
今にも動き出しそうなモデルたちをいつまでも眺めていたいのですが、その妖しさに吸い込まれてしまいそう・・・。
身震いがするほどの美しさに「ほーーーっ」とため息が出ました。

展示されている5作品のうち4点は、寄託作品(美術館が所有者から作品を借りて 保管・管理・展示する)です。同時に見られる機会は貴重ですね。
そして小さなスペースに展示されているため、とても近くで作品を鑑賞することができるのです。
エナメルのような仕上がりのブーグロー作品に極限まで近づけるチャンス!
なかなか良い体験ができました。

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ここで訂正して追記します(10月25日)。
ブーグローの作品は5作品ではなく、以下の3作品も展示されていました。銀行家の邸宅のために描かれたこれら作品も面白いので是非ご覧ください。

左)『クピドの懲罰』(いずれも1855-1856年)
中)『音楽』
右)『武器の返却を懇願するクピド』

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[日本の西洋画に影響を与えた画家たち]

ラファエル・コラン(1850-1916年)の展示作品(画像・左と中央)は、2枚とも幻想的で優美です。もやがかかったような牧歌的な風景の中に神話に出てくるような女性が描かれています。

左)ラファエル・コラン『詩』1899年
中)ラファエル・コラン『楽』1899年
右)黒田清輝『湖畔にて』1897年 ← 注※ 今回展示なし

解説パネルには、
「伝統的な奥行き表現ではなく、明度の高い色彩で画面の統一を優先した色調、やや荒く筆触の残る背景からは、アカデミックな表現手法に囚われず、独自の感覚と表現を追及する画家の志が看取できる」
とあります。

外光の中で女性を幻想的に描く・・・なるほど。アカデミー画家たちも新しい絵画運動の出現に直面して、変化せざるを得なくなっていくのですね。

そんなコランに師事したのが日本で西洋画のアカデミーを築いた黒田清輝(1866-1924年)。
ふむふむ。黒田清輝の繊細な筆運び(画像・右)は、師であるラファエル・コランに拠るところが大きいのかも知れません。

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展示会場には、肖像画家として人気のあったカロリュス=デュラン(1838-1917年)の作品もあります。

左)カロリュス=デュラン『母と子(フェドー夫人と子供たち)』1897年
右)藤島武二『黒扇』1908-1909年 ← 注※ 今回展示なし

自身の娘と孫たちを描いた『母と子(フェドー夫人と子供たち)』(画像・左)は、ズッシリとした構図と肖像画のもつ “重み” を感じるのですが、近づいてみると粗い筆致が見て取れます。やはり【印象派】の筆運びを部分的に取り入れてアカデミスムとの折衷を試みていたのでしょうか。

ローマにあるフランス・アカデミーで校長を務めていた当時のカロリュス=デュランから教えを受けたのが藤島武二(1867-1943年)です。
『黒扇』(画像・右)をアーティゾン美術館で初めて見たとき、真っ直ぐこちらを見つめる、粗い筆遣いで描き出された女性が大好きになりました。
そして先ほどから二人の作品を見比べていて、
私が大好きになった彼女の「気品」や「凜とした強さ」は、師であるカロリュス=デュランの画風を受け継いでいるに違いない!
とiPadを前にして大興奮している次第です。

ちなみに展示されていたカロリュス=デュランによる挿絵本も素敵でした。

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[レオン・ボナ(1833-1922年)の場合]

以前から国立西洋美術館の常設展で気になっていたレオン・ボナ『ド・ラ・パヌーズ子爵夫人の肖像』(画像・右)。
手指の膨らみや しぐさを見ただけで、上流社会の人であろうと思わせる子爵夫人が、深緑色のビロードが張られた椅子に座っています。彼女がまとう黒色の服飾品の質感・黒色の深みの描き分けから、ベラスケス作品を思わせます。
国立西洋美術館は、そんなレオン・ボナの描いた肖像画を他(画像・左と中央)にも所蔵していたのですね。
初めて観ました。

左)『ジョゼフィーヌ・デトロヤの肖像』1861年
中)『アシル・デトロヤの肖像』1862年
左)『ド・ラ・パヌーズ子爵夫人の肖像』1879年

画像・左と中央)は一対の作品で、レオン・ボナが大変お世話になったデトロヤ夫妻なのだとか。
解説には「彼らに対する恩義や敬意を窺わせる作例」とありました。
厳しくも実直な叔母・叔父さんの人柄が伝わってきます。モデルの人間性をうまく表現するあたりに、やはりベラスケス作品を思わせます。

と、レオン・ボナについて調べていると
「ボナの肖像画にはベラスケスなどのスペイン写実主義の影響が強く見られる」
とありました!。そうでしょ、そうでしょう。
若い頃 マドリードで過ごしたボナは、プラド美術館でベラスケスをはじめとする巨匠たちの作品から多くを学んだのですね。

そんなレオン・ボナは、生涯をかけて収集した美術品を生まれ故郷フランス・バイヨンヌ市に寄贈したのだとか・・・。調べてみるとバイヨンヌにありました!「ボナ美術館」。
そのコレクションはエル・グレコやムリーリョ、リベラ、ゴヤといったスペイン絵画と、ダヴィッドやアングル、ドラクロワをはじめとする19世紀フランス絵画まであるのだそうです。
バスク地方に旅行する機会に恵まれたならば、絶対に行きたい!。
しっかりメモしておきます。

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[ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896年)の場合]

あれっ?
アカデミーの教育に不満を抱いて結成された【ラファエル前派】のメンバーであったジョン・エヴァレット・ミレイが、イギリスのアカデミー画家に分類されていることに驚きました。【ラファエル前派】=アカデミーを真っ向否定 ではなかったのかしら?
と疑問に思いつつも、
「そうか、ミレイは後年にアカデミーの画家として名声を得たのね」と簡単に受け入れて 素直に鑑賞を進めました。
(↑ これ、断片的でいい加減な知識しか持たず、短絡的な思考ですぐ理解したつもりになる私の悪い癖です。)

常設展の年間パスポートを購入して何度も鑑賞してきたはずの作品。なのですが、展示場所や照明によって本当に違う表情を見せてくれるのですね。
今回は照明の暗い小部屋、そして撮影した写真から記憶を辿ると、壁の色は navy より少し深めの midnight blue に近かったかしら。

左)『あひるの子』1889年
右)『狼の巣穴』1863年

そんなスペースに展示されている『あひるの子』(左)には少女の影、そしてアヒルが浮かぶ水面がはっきり見えるではないですか!
そして『狼の巣穴』(右)では、子供たちが狼の巣に見立てたグランドピアノがくっきりと描かれているではありませんか!。
コレ、広くて明るい常設展では全く意識できなかった部分なのです。
細部がよく観える=画家の筆遣いをしっかりと感じられたことに感激です。

国立西洋美術館が新収蔵作品として『狼の巣穴』(画像・右)を迎え入れたときに、この作品について投稿しました。
なので、ジョン・エヴァレット・ミレイについては機会を見つけて次回しっかり勉強します!(と先送り癖があるのも私のダメなところです)。

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いやぁ〜。アカデミーの画家たち、面白いですね。

実は、<メトロポリタン美術館展(東京)>(2022年)に並べて展示してあったこちらの二作品。

左)ギュスターヴ・クールベ『水浴する若い女性』(1866年)
右)ジャン=レオン・ジェローム『ピュグマリオンとガラテア』(1890年頃)

私は断然クールベ派なのですが、SNSのコメントを見ているとジェロームの作品に強く惹かれる人が意外に多かったような気がします。
不穏で先の読めない現代。今だからこそアカデミック絵画にみられる正統派、堅実さ、伝統的・格式的といった安定感を人々は求めているのではないかしら。

2023年、【クールベ前派】【印象派前派】なるアカデミーなグループが出現するかも…。
もしくは私が知らないだけで、既にそんな活動をする人たちが新しい表現方法を生み出しているのかも知れません。

<終わり>


ジョン・エヴァレット・ミレイ『狼の巣穴』についてご興味ある方はこちらの投稿を。


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