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メディチ家のマリー様

≪ パリ滞在記・その11 ≫
   〜Musée Louvre ルーヴル美術館・② 〜

前回、『モナ・リザ』が「ルーベンスの間」にあって衝撃を受けたと書きましたが、「ルーベンスの間」に『モナ・リザ』があってショックだったというのが正解かも知れません。
ルーヴル美術館で「必ず見たい絵」はたくさんあるのですが、その一つがルーベンス作『マリー・ド・メディシスの生涯』だったからです。

ここで、ルーベンスが描いた『マリー・ド・メディシスの生涯』について。

マリー・ド・メディシスは、ヨーロッパ随一の大富豪の娘で、莫大な持参金とともに世継ぎのいないアンリ4世の2番目の王妃としてフランス にやってきました。

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ルイ13世の母で摂政として絶大な権力を行使した彼女は、リュクサンブール宮殿の大壁面を、自らの生涯を描いた絵画で埋めることを決意し、その大役をフランドルの宮廷画家ルーベンスに命じたのです。
(←今回の旅行でリュクサンブール宮殿を見て来た私にとって、ワクワクする☺️ポイント!)
ルーベンスは、3点の肖像画を含む24点からなる大連作を約3年の歳月をかけて完成させました。
リュクサンブール宮殿の待合室の壁に時系列順に時計回りで飾られていた作品を、ルーヴル美術館においても「ルーベンスの間」に同じく時系列順に展示してあるのです。

ルーベンスが描くマリーの生涯は、
『運命』で始まり、『誕生』『教育』…そして第6作目が結婚のための『マルセイユ上陸』です。『王子の誕生』…『サン=ドニの戴冠』『マリーの摂政宣言』…『至福』…『平和』『完全なる和解』『真理の勝利』と、題名を聞くだけも彼女の歩んだ道を想像する事ができます。
マリーの生涯をルーベンスは神話や類稀なる筆力で、見事に“美化して“描きました。

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特筆すべきは、その契約書に「全ての人物像をルーベンス自身が描くこと」とされている点。弟子は背景や細やかな部分しか手掛けることはできなかったといいます。

契約書がかわされた1621年頃、著名な画家は大工房を持っており、作品ごとに親方である画家本人の関与度合いが異なっていたといいます。顔を親方が描くからいくら、仕上げを親方がするからいくらなど、作品の値段も異なっていました。
しかし私のような素人にとっては、どの部分を画家本人が描いているのかを細かく説明してくれないと、違いがよくわからないのです💦

ーーーここからは余談。
現在、国立西洋美術館で開催中の<ハプスブルク展>のベラスケスもそうだったようです。
展覧会場の中程にあるベラスケスの作品を展示した部屋に『青いドレスのマルガリータ』、その右隣に『緑のドレスのマルガリータ』があります。
『青』はベラスケスが描いた作品、『緑』はベラスケスの弟子で娘婿のマーソが『青』を模写したもの。並べてみると全然違うことが私にもわかります。しかし、専門家の間でも長い間『緑』がベラスケスの作品だと思われていたそうです!!

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また『青』の左隣には、マルガリータの父親フェリペ4世とその前妻イサベルの肖像画が展示してあります。
図録によるとフェリペ4世の肖像画は大部分が工房により描かれているそうですが、前妻の肖像画はベラスケスがかなりの部分を描いたそうです。

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言われれて、両者を比べてみればなるほど、とそんな気がしないでもないのですが、フェリペ4世の絵だけを見たら、ベラスケスの関与がほとんどない!など、わからないのが本音です💦
ーーー余談終わり。

という訳で、大部分がルーベンス本人の筆による事が明確である『マリー・ド・メディシスの生涯』は、本物のルーベンスの筆跡をこの目で見る事ができる貴重な機会だったのです。

前回書いた通り、
待望の「ルーベンスの間」には、『モナ・リザ』を見るために整列させられた人々がウジャウジャいました。私も『モナ・リザ』も見たいので整列しましたが、キョロキョロして全く落ち着きません。
結局、マリーの生涯を堪能することも、モナ・リザに話しかけることも出来なかった、という訳です。

いつの日か、必ずリベンジしたいと誓うのでした☺️
                                                                                  <その11>おわり

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