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画壇の明星(18) 発見、発見、大発見!

古本屋さんで見つけた1951-1954年の月刊誌『国際文化画報』。
特集記事【画壇の明星】で毎月一人ずつピックアップされる世界の巨匠たちは、70年前の日本でどのように紹介されているのでしょうか。

今回は1953年9月号について投稿します。

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まずはコチラの記事から。
夏姿浮世絵景物なつにちなんだうきよえばなし
表題のルビのふり方が平成の Jーpop 歌詞のようで面白いですね。

『国際文化画報』1953年9月号の記事より

表題の通り、夏の景色を描いた浮世絵が並んでいます。
右上に掲載された二枚、「虫うり」のお姉さんや美人のお姉さん方の絵も良いのですが、今回取り上げるのは まず左上の作品。

解説には、円山応挙が描いた『四条河原』【眼鏡めがね絵】とあります。
【眼鏡絵】とは江戸時代に描かれた浮世絵で、45度傾けた「のぞき眼鏡」という凸レンズを通して見る風景画の一種。絵や文字が左右反対に見えるのだとか。。。西洋画の遠近法を応用して描かれた風景画は まるで実景のように立体的に見えて、当時の人々に喜ばれたそうですよ。
参考画像を検索してみました。

左)鈴木春信の描いた【眼鏡絵】を楽しむ女性たち
右)参考写真「覗き眼鏡」

優雅なお金持ちの趣味・・・にも思えます。一般の庶民は「のぞきからくり屋台」なる見世物で【眼鏡絵】を楽しんでいたらしいです。
いずれにしても「覗く」という行為自体に少しドキドキしそうです。

応挙の作品をじっくり見てみると、確かに「のぼり」の文字など全て反転しています。
あらっ、人物は黒塗りで影のように描かれていますね。

円山応擧【眼鏡絵】『四条河原』

そして解説にあるとおり、本当に遠近法が用いられています。西洋絵画を見慣れた私は何の違和感も抱かないのですが、浮世絵では珍しいのでしょうか。

そうか。
人物を影のように黒く表現することによって、眼鏡を覗いた時に 奥の景色に吸い込まれていく遠近法の効果を倍増させているのですね! 面白い。
若かりし円山応挙は【眼鏡絵】で生計を立てていた時期もあったそうです。

続いて掲載されている右下の作品に目を移すと、北斎『富嶽三十六景・諸人登山』とあります。

葛飾北斎『富嶽三十六景・諸人登山』

1830年代に作られ、有名な赤富士を以ってだれもが知る連作ですが、富士山そのものに民衆を結びつけたのはこの一点だけです。人の集まりをたくみに整理して効果をあげています。

記事の解説より

「名所から」眺める富士山や、遠景で望む「四季折々」の富士山は多く描けども、人々が富士登山をしている様子を扱った作品は 富嶽三十六景の中でこの一点だけということなのですね。
人々の「被り笠」の黄色がバランス良く散らばって、さすがの安定感を出しています。

ふむふむ、このページの解説はなかなか専門的で面白い!と思って読んでいたら、最後に「文・小野忠重」と記載があります。
あら、編集者以外の人が記事を書いたのね。。。と調べてみると、
小野忠重(1909-1990年)氏は日本の版画家であり、版画史や古地図、浮世絵の研究者とのこと。ご自身の作品を展示している<小野忠重版画館>が杉並区にあるのですね⁈。全く存知あげませんでした。

ネットで小野忠重氏の版画を検索してみると、何とも素敵な作品ばかり。
新発見!です。

画像で検索した小野忠重氏の作品

もっと知りたくなりました。
版画家 小野忠重氏、そして杉並区の小野忠重美術館。要チェック!メモしておきます。

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お次は、楽しみにしていた特集【ルーブル博物館 案内】の第2回。

ウジェーヌ・ドラクロワ『サルダナパールの死』1827年

ドラクロワ『サルダナパールの死』ですね!。
ちょうど4年前。名作が並ぶルーヴル美術館の回廊でドラクロワ『民衆を導く自由の女神』をじっくり鑑賞したあと、ふと後ろを振り返って驚いたのがこの作品です。
392 × 496 cm のカンヴァス上に “てんこ盛り” に描き込まれた惨状は、ある種の秩序を持って渦巻く「情熱ほとばしる色彩のトルネード」のようでした。
「【ロマン主義】ってこういうことなのね」と体感した瞬間でした。

以前、この作品について note に投稿するにあたり いくつかの本を読んだのですが、今回さらに資料をみていると大発見がありました!
コチラ(右下の画像)をご覧くださいませ。

左)『サルダナパールの死』1827-28年(392 × 496 cm)の「部分」
右)『サルダナパールの死のための習作』19世紀前半(81.2 × 65.2 cm)

なんと、右の習作は松方コレクション、つまり国立西洋美術館が所蔵しているのです。日本の上野にあるのですね!。わおーっ。

巨匠の描く習作ってワクワクします。
女性の姿勢や表情、女性の左腕を掴む男性の手、背景、そしてサイズも完成品(左上の画像)に限りなく近いため、これは最終段階の習作なのでしょう。完成品を観ただけではわからない ドラクロワの筆運び、色の乗せ方がはっきり見て取れます。
そして習作(右上)を知って完成品の画像(左上)を見ると、やはり素晴らしい!のひと言です。
もし国立西洋美術館に展示される機会があったら、絶対に絶対に見逃しません!

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さていよいよ本題の【画壇の明星】。今回は竹内栖鳳せいほう(1864-1942年)です。
近代日本画の先駆者で、戦前の京都画壇を代表する大家。「西の栖鳳、東の大観」と称され、横山大観と画壇の双璧をなしたお方だそうです。

『国際文化画報』1953年9月号【画壇の明星】より

日本画にうとい私は、お名前をかろうじて存じ上げている程度。
今回調べて興味をそそられたのが、画号についてのエピソード。
1900(明治33)年、36歳の時に訪れたパリ万博がきっかけで7ヶ月間ヨーロッパを旅行。そこでターナーやコローなどに強い影響を受けた竹内氏は、帰国後に西洋の「西」にちなんで号を栖鳳と改めたそうです。
西洋画の技法を自らの作品に取り入れるぞ!という決意を感じます。

さまざまな流派(ex.【円山・四条派】【狩野派】そして【西洋画】など)を独学で学び 作品に取り入れた栖鳳は、常に新しいことに挑戦し続ける人だったのですね。
また、面倒見がよく大らかな性格だったという栖鳳は、画塾を主宰して後輩(上村松園、西山翠嶂、橋本関雪ら)の育成にも力を注いだそうです。

そんな栖鳳は身近な動物から 当時の日本では珍しかったライオンまで、多くの動物画を残しています。
「けものを描けば、その匂いまで表現できる」と評された、その描写力は如何いかほどか・・・と作品の画像を検索していたら、こんな発見が!!
来る10月7日から12月3日まで京都市京セラ美術館で<竹内栖鳳展>が開催されるそうです。何ともタイムリー!。

京都市京セラ美術館のHPで出展作品を覗いてみたらその作品群にドキドキしました。

<竹内栖鳳展>展示作品(京都市美術館HPより)

竹内栖鳳・・・名前をインプットして今後の要チェック人物に認定いたします。

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この秋、杉並区の小野忠重美術館、国立西洋美術館に出かけてみましょうか。
そして京都旅行に出かけたならば(予定はありませんが)京都市京セラ美術館に立ち寄りたいです。
そしてそして。
いつの日か必ずルーヴル美術館に戻り、あの回廊を歩きます!。
何度訪れても、新たな発見をする自信がありますから。。。

<終わり>


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