見出し画像

父の関わったアート

2015年に父が亡くなり、2018年に母を東京に迎え入れるために実家を整理していたとき、本棚の奥で長年眠っていた美術本の束を見つけました。
美術展の図録と美術関連の本は、黄ばんでところどころにシミがあります。
実家の整理 =「物を捨てなくてはならない!」という異常な精神状態の中で、持ち帰ってきたのは冒頭の写真にある17冊だけです。全部残しておけばよかったなぁ。

***********

かつて父は、勤務していた地元のテレビ局で「美術担当」をしていたそうです。 “していたそうです” … というのは、母から間接的に聞いた話だから。
父は厳しくて少し怖かったので、子供の頃は あまり話をした記憶がありません。
その当時は メディアと百貨店が協力し、店内や付設の美術館で本格的な展覧会を盛んに開催している時代だったようです。地方のテレビ局が単独で美術展の主催者となることもあったらしいですよ。

図録は1971ー1973年に開催された美術展のものだけなので、父は仕事で美術に携わることになった数年間、一生懸命 アートの勉強をしていたのですね。
1970年代にテレビ局の「美術担当」。。。今から思うと、なんと羨ましい仕事をしていたのでしょう。父がどんな思いで、どんな内容の仕事をしていたのか 聞いてみたかったです。
本を購入して美術史や美術技法を学び、他県のデパートや美術館で開催される美術展に足を運んで熱心に鑑賞していた若き日の父を想うと、今の自分と重なって胸が熱くなります。

「美術担当」から総務部に異動となった以降の美術本はありません。
しかし、ずっと我が家には複数の絵画が飾られており、新年にはお付き合いのある画家の方からの年賀状が届いていました。葉書いっぱいに描かれた干支の動物がなんとも魅力的で、毎年楽しみにしていたものです。
仕事で担当を離れてからも 父はアートが好きだったのですね。

私は全く、本当に全くアートに興味がなかったので、実家に飾られていた絵画にほとんど興味を持ったことはなく、ときどき連れて行かれる美術館では暇を持て余し、当然のことながら美術本の存在にも全く気が付きませんでした。

私が物心ついた時から父の部屋に飾られていたのがピカソの版画。ダ・ヴィンチであろうとピカソであろうと、どこがどう素晴らしいのか全く理解できず、どうやら裸の女性が描かれているらしいその作品が飾られていることを恥ずかしいとさえ思っていました。
そんな次女の気持ちを察したのか、いつの間にかあのピカソは部屋に飾られなくなっていました。どこに行ったのかしら。

***********

そういえば…。
私は、父が手首を痛めてゴルフができなくなってからゴルフを始めました。
父がバイクに乗らなくなってから、中型免許を取りました。
私が絵画鑑賞に目覚めたのは2017年5月。父が他界してから2年以上経ってからでした。

父の跡を追いかけていくのが、いつもちょっと遅すぎたようです。
もっと早くに絵画鑑賞の素晴らしさに気がついていたら、全国の美術館を一緒に回れたのにね、父さん。
いろいろな話がしたかったです。
父が定年退職を機に 「ヨーロッパ旅行に出かけるんだよ」と電話してきた時も、「仕事が忙しくて休暇が取れないし、海外旅行にも一切興味がない」と 一緒に行こうとは思いませんでした。
仕事なんか放っておいて、父とスイスの山を登り、ドイツやイタリアで歴史を語り、パリの街並みを見上げればよかった。
ポンペイやルーヴル美術館を一緒に歩きたかったなぁ。

***********

2022年、本屋に行けば 初心者の私にもわかりやすい美術本から、専門家の研究成果のような分厚い本までありとあらゆる美術本が並んでいます。インターネットで検索すれば、過去本から最新刊まで欲しい本をすぐに取り寄せることができます。便利な時代ですね。

私が実家で発見し持ち帰ったのは、50年前 地方に住む父が「アート」について勉強するために苦労して探し 購入した美術本、そして出向いた美術展で手に入れた図録たち。
黄ばんで独特の臭いがしていようが、多少シミがあろうとも大切な形見です。

1971ー1973年に開催された美術展の図録たち

30代の父がどんな絵画をどんな風に鑑賞していたのか…。
探究するのに遅すぎることなどないのです!
少しずつ父の軌跡を追いかけてみることにします。

<終わり>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?