「自分」を否定する前に、「自分の行動」を見てみる。
昨日、「このお題について書きたい」という記事を書いたら、そのタグが反映されてしまい(あたりまえ)、タグを追って見てもらった方には申し訳ない気持ちです。せっかく見ていただいたのに、予告に過ぎずすみません。
ティーザー記事はこちらです。
でも、ちゃんと書こうという気持ちになりました。
今日で63日目となる「毎日note投稿」は、本当に心を軽くしてくれた。軽くしてくれている。
毎日ホームランが打てなくても、毎日バッターボックスに立ってバットを振るだけで学べる「何か」が確かにある。それは「文章力」ではないかもしれないし、自分のスタイルの確立、でもないのかもしれない。まだ。
でも、何かが少しずつ変化している。
必ずしも「身につけている」のではなく、その逆で。
少しずつ何かを「手放している」のだという気がしてならない。
今まで文章を書きたいと思っても、以下の三兄弟が必ず邪魔してきた。
・プライド
・恐怖心
・完璧主義
ひとつにまとめると「どう思われるかファミリー」。
どう思われるのか。わかるまで書かない、表現しない、様子見ることをずっとしてきた
でも毎日書くぞと決めた日から、プライドも恐怖も完璧主義も少しずつ居場所をなくしていった。あなたたちとつきあっている暇がない、となった。
「何書こう〜」と考えていたら1日なんてすぐに終わってしまうし、自分が特別面白いことが書けないとわかったら、いじけてないで練習するのみ。Let's go 1000本ノックです。Let's do it.
アメリカではよく、I'm a bad personと「自分」を否定するのではなく、I did something badと、何かを否定するのなら「自分の行動」にしなさいと言われる。
子供に「You're mean」(あなたは意地悪な子)というのではなく、「You did something mean」(あなたは意地悪なことをした)と伝える。
その人を否定するのではなく、その人のその時の行動、または判断が違っていた、と伝える。
存在を否定されたら行き場がなくなってしまうけれど、自分の言動に対して「違うよ」と言われたら、「変えられる・変えよう」と思える。
文章を書くことに置き換えてみると「私は面白くない人間だ」よりも、「今日の文章は面白くなかった」のほうが、少しの可能性を残してくれる。
毎日noteを書いて感じるのは「面白くないことを書く」日もあれば、「ちょっと伝わることが書けた日」もある。たまたまバットがボールに当たっちゃったみたいな。
でもとりあえず、バッターボックスに入らないことにはチャンスもないから。
今日もちょっとだけ書いてみました。(こうして重ねていたらいつかnoteの「お題」も書けるかも、と願って。)
読んでくれてありがとうございます。
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