短編小説『歌舞伎町の女王』

いつからか人を信じなくなった。
何も信じないほうがラクだと気付いた。
それには孤独に耐えなければいけないと分かった。
一人ぼっちでも淋しくなんかなかった。

いつからか一人で生きていけるようになった。
料理も洗濯も自分でできるようになった。
何を作ってもお母さんの味になった。
淋しくなんかなかった。

いつからか感情を表に出さなくなった。
そうせざるを得なかった。
うまく嘘がつけるようになった。
母親が私にそうしたように。
全然淋しくなかった。

嘘だらけの世界で、
嘘だらけの大人たちに耳を貸し、
自分のために嘘をついた。
そうしてのし上がった歓楽街。
誰もが私を一目置いた。
誰もが私と会いたがった。
女王という肩書きを誇らしげに掲げていた。

「同情を欲したときに全てを失うだろう」
常に自分にそう言い聞かせてきた。
心の内を誰かに見せる事はなかった。
弱さを見せる事は絶対になかった。

あの人以外には。

私は娘を捨てた。
地位も名誉も何もかも捨てた。
たった一人の男のために。
本気で愛した男のために。

目を閉じれば思い出す九十九里町。
大嫌いだった町。
母の温かい手。
知らない誰かの笑い声。
そして足を踏み入れた歓楽街。

あの子は今どうしているだろう。
それだけが気がかり。
私に似ないで、素直で可愛い子だった。
きっと私の事を憎んでいるだろう。
自分の娘より男を選んだ私を。
最後に見た母の顔には、シワがいっぱいあった。
最後に見た九十九里浜は、波の音がこわかった。
最後に見た歌舞伎町の真っ赤なアーチは、とても綺麗だった。

さよなら、私の庭。
さよなら、歌舞伎町。
もう二度と戻る事はないだろう。
今夜からは違う町で生きていく。

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