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KAQRIYOTERROR 沖縄ファンMTG ~ 新奇懐古周遊弐千弐壱真世界 最南端変 @沖縄Output 後篇

前篇から

9月26日。
早朝に目覚めてシャワー浴びてラウンジで朝食をとる。昨日とはちょっと違う盛り付けをしながら。


ここでの盛り付けにもすっかり慣れてきた。
食後のコーヒーをいただきながらテーブル横に置いてある沖縄の各種パンフレットや地図を手に取る。スマホをにらめっこするよりもヒントというものは案外こんなところに転がっているものなのだ。これがアナログの良さである。そうだコザの街を見に行こう。
コザとは那覇市街より少し北側にある米軍普天間基地から発展した繁華街だ。

──僕の住む横須賀にも米軍基地があってその近くには「ドブ板通り」という界隈があり、昔は「子供が行っちゃいけない危ない場所だ」と教えられた。ドブ板通りという名前もなんだか薄汚さそうなイメージ持ってたし汐入駅近くのEMクラブというアメリカ兵たちの社交場も僕が知る頃には老朽化してツタの覆い繁る不気味な建物という印象しかなかった。やがてそこも解体されプリンスホテルとよこすか芸術劇場が建設されたりしてだいぶ街並みも綺麗になった。
僕がドブ板通りに初めて行ったのは中学生の頃だった。当時からプラモデルが好きで、国内メーカーの戦車や装甲車などのキットを友達と競うように作り、それだけじゃ飽き足らずお互い珍しいキットを探すうちにドブ板通りにあるホビーショップを知って、そこで売っていた海外メーカーの輸入キット(舶来物‥‥死語か)に胸を弾ませたものだった。キットには日本語の説明が一切なく、お店が貼った値札シールには円とドルの両方が書いてあった。
他には米軍の払い下げの迷彩服などを買いに行ったり。夜になるとバーなどが開き外国人も増えるそうなのだが、さすがに夜は行ったことはなかった。

ちなみにその当時、ドブ板通りにある小さなライブハウスでライブをしていたのがサーベルタイガーというバンドであり、のちのX(X-JAPAN)に加入するHIDEがギターを弾いていたことは伝説となっている。別のバンドACEでは伊藤一朗(Every Little Thingのいっくん)も活躍していた。いっくんも横須賀出身であり、当時いっくんがバイトしていた練習スタジオで僕も何度か練習に通っていて、そこの受付でいつもギターいじってたお兄さんが、今にして思えばEvery Little Thingになる数年前のいっくんだった。また話は逸れたのだが、そんな横須賀でいつかKAQRIYOがライブをしてほしいというのは僕の夢だ。かつては「いつかつれづれが~」とも思っていたけれど。

ぶらりとコザに向かうため、ホテルからバス停まで歩いた。
路線バスはいろんな系統があるが、僕は行き先の地名にも詳しくないので横窓に付いてる電光板を見てもよく分からない。なのでそこへ停まったバスの運転手さんに「このバスはコザに行きますか?」と訊ねた。すると運転手さんは首を横に降って「ノー」と。まさか運転手さん外国人!?いや、どうやら僕の方が外国人観光客と間違えられたようだ。この髪色だしマスクしてるし無理もないだろう。よりにもよってこの日は「猫派」のTシャツを着ていた。その漢字Tがますます外国人に思えたのかもしれない。

目的地へ向かうバスは少し遅れて到着した。
那覇からバスに揺られて北上すると、沿道は有刺鉄線のついたフェンスが続くようになる。普天間基地、米軍の管轄する敷地である。


昔、通ちゃんの運転する車でこの辺も走ったなぁと思い出す。
那覇の国際通り周辺の観光客向けに洗練された街ばかりでなく、こういう昔の面影を残す街並みも沖縄の魅力だと思う。山あいから反基地運動に熱心な政党の"アジト"も見える。その物々しい雰囲気もまた「沖縄」なのである。
やがて地図で見る目的地に近づいてきた。
コザというバス停は無いが、その近くのミュージックタウンといバス停で降りた。歩いてるとレスポールギターを型どった大きな看板が。

もしかしてハードロックカフェ?いや、ここがコザのミュージックタウンという複合商業施設なのだ。そのテナントには楽器屋やレコード屋やリハーサルスタジオやエイサーの展示館など、音楽にまつわるものが立ち並んで、周囲には飲食店など‥‥というコンセプトと街づくりだったそうだが、この日この時間に開いてるお店はほとんど無くあたりは閑散としていた。緊急事態宣言を解除する前だったので営業自粛しておるお店もあったと思うが、それを差し引いたとしても物寂しい佇まいをしているように思えた。
調べるとここは2007年にオープンした施設だそうで、おそらく2000年前後に沖縄アクターズスクール勢がJ-POP界を席巻していた頃に構想が生まれたものと推測する。
回廊を歩くとDA PUMPのISSAの大きなポスターが訪れる者を迎え入れている。もう少し上の世代にとっての具志堅用高みたいな、沖縄の地元が生んだヒーロー的なポジションに今はISSAがいるのだろう。

そんなことを思ってると館内のBGMでは安室奈美恵の「never end」が流れてきた。やはり安室奈美恵も沖縄が誇るアーティストである。この曲はコンビニで夜勤してた頃によく流れていた曲だなぁなんて思い出しながら。あの頃はバンド活動のスタジオ代のためにバイトしていたっけ。調べると2000年7月の「第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)」のテーマ曲だった。上原多香子ちゃんのソロアルバム「first wing」の発売が…ちょうど同時期だった!つまりこのアルバムのジャケットの壁画が北谷(ちゃたん)にあるということで、その”聖地”を訪れるために、僕は沖縄初めて行ったんだった!

さて、ここで何度か名前の挙がってた”通ちゃん”について。

───だいぶ昔に僕がSPEEDファンだった頃沖縄に来たことをロンドちゃんに話したが、ロンドちゃんは世代としてピンとこなかったようだった。それも無理ないだろう。「親が好きで‥‥」とか言われたらちょっぴり凹んでいたかもしれない 笑
そのSPEEDのライブが沖縄であったからという直接的なきっかけとはちょっと違ってた。
当時普及し始めたインターネットで各々がSPEEDのファンサイトのホームページを作り、そこで知り合った僕と同じ多香子推しの人と仲良くなり、彼は「通ちゃん」ってハンドルネームで呼ばれていた。
その由来は、沖縄在住の彼が「君も沖縄通!?」というホームページを作っていて、そこで"うちなーぐち(沖縄の方言)"などを紹介していて、管理人として"沖縄通"と名乗っていたので、みんなから"通ちゃん"と呼ばれるようになった。
通ちゃんはSPEEDのライブのために沖縄から福岡や大阪、そして東京まで遠征してきて一緒にライブを楽しんで、福岡や大阪などではそれぞれの地元のファンの家に泊まったり(僕も)、東京に来たときは通ちゃんが僕の家に泊まり、翌日SPEEDのメンバーが主演だった『L×I×V×E』というドラマの舞台が横須賀だったので、そのロケ地を案内したりした。

SPEED主演ドラマ 『L×I×V×E』主題歌 Shooting Star (八反安未果)
https://youtu.be/XxHEzWrCeVU

懐かしくてその『L×I×V×E』のED映像を久しぶりに観たのだが、ドラマの舞台は横須賀のとある高校の吹奏楽部。戦後のGHQ統治下の中、アメリカからジャズ音楽が入ってきた横須賀の街だからこそ、その舞台に選ばれたのであって、横須賀で暮らす僕としては誇らしかったし、エキストラとしてこのドラマに参加したこともあった。この映像に出てくるシーンの街並みは全部どこだか知っている。今観てもエモいなあ。

────
そういう交流から、僕はライブじゃないけど是非沖縄へ行ってみたいということで、通ちゃんの家に1週間くらいお世話になって、通ちゃんにいろんな場所に連れていってもらった。
かつてSPEEDがレッスンをしていた沖縄アクターズスクールの前や、多香子ちゃんのアルバムのジャケットで使われた壁画のある北谷(ちゃたん)や、SPEEDにまつわる色々な「聖地」を。


また、浦添市は仲間由紀恵の出身地であり、彼女が雑誌で紹介していたお店でソーキそばを食べたこともある。それだけじゃなく、首里城や琉球村など沖縄の歴史を見学できる場所や、平和祈念公園やひめゆりの塔という"先の大戦"、いわゆる第二次世界大戦・太平洋戦争(大東亜戦争)の悲しみ苦しみの歴史を学べる場所、そして伊計島という穴場のビーチへ。

沖縄に来たらトロピカル気分な楽しい場所たくさんあって二泊や三泊じゃ回りきれないだろうし、美ら海水族館のある名護まで行くにはもう一泊が必要なくらいだけど、そういった「負の歴史」にも触れてこそ、それを乗り越えてきた沖縄の力強さを感じられて、以来僕はますます沖縄を好きになった。


僕は行ったこと無いけどバカンスの代名詞でもあるハワイだって、かつては日本軍の真珠湾攻撃に遭ったのだし、その真珠湾だってハワイの原住民からしたら植民地として侵略してきたアメリカによって開発された街である。
ヨーロッパだって他の地域だって、そんな戦争を繰り返しながら今の国の形が出来上がったのである。

聖徳太子よりも昔の時代からずっと日本は天皇家を守りながら脈々と日本として続いているから日本人にとっては分かりづらいだろうし、僕もきっと分かっていないかもしれない。
しかし沖縄は明治以前には琉球王朝があり、戦後はアメリカによって占領され、日本列島全体も一時期はGHQによって統治されていた。しかし沖縄はGHQが撤退して日本の首相が国家元首になっても尚、"アメリカ"であった。
自動車もアメリカの法律に従って右側通行で走っていたし、当時は沖縄へ行くにはパスポートが必要だった。沖縄が日本に返還されたのはそれからおよそ25年後のことで、いわゆる「内地(沖縄以外の都道府県)」とは少し異なる歴史を歩んできた。
僕の両親や祖父母と同世代の人たちは返還前のことも知っているし、決して"教科書の中での昔の出来事"とは言えないのである。
そして僕がSPEEDファンとして通ちゃんのいる沖縄に来たあの頃とも比べても、沖縄の街は絶えず目まぐるしく変化と進化を遂げている。
沖縄の空気を吸っているとなんだかポジティブな気持ちになれる。それはきっとこの沖縄の陽気な風土と、苦難の歴史を乗り越えてきたたくましさにあるのだと僕は思う。
そんなことを思い出してると、安室奈美恵の「NEVER END」が沁みてくるのだ。

Never End Never End
私たちの未来は
Never End Never End
私たちの明日は

しかしあれから21年が過ぎた「私たちの未来」では、音楽の聴き方も人それぞれ変わってきて、国民的ヒット曲だったり国民的人気歌手というのも少なくなってきた。

そして今はKAQRIYOTERRORと一緒に過ごしたいという動機で沖縄へ来ている。初日にタクシーの運転手さんに「昔SPEEDが好きで~」と話したら伝わったけど、今回誰のライブを観に来たと言っても伝わりそうにない。そりゃそうだ、規模も違えば知名度も違う。しかし今はインディーズもメジャーもそれほど変わりないし、むしろ僕にとってそれが最も大切な音楽であることに、その流通規模はさして問題ではない。
昔も今も僕は音楽によって、好きという感情によって駆り立てられてこうしてここまで来たんだなって。僕は今でも自分のこと15歳だと称している。運転免許も持ってるしお酒だって飲むけど。初めて沖縄へ来た時だって泡盛を(合法的に)飲んだ。だけどあの頃から変わっていない15歳のままでいる。

変わったことと言えば、SPEEDに出会う以前の僕は遠征おろか、コンサートへもめったに行かなかった。旅行といえば家族と出かけることと、同級生とスキーに出かけたことがあったくらいだったな。
「かわいい子には旅をさせろ」ということわざがあるが、僕自身もっと昔から旅行を楽しんでいればよかったなと思う。
初めて沖縄に来たのも今となってはけっこう昔のはずだが、感覚としてはそんなに昔の気がしない。今でも相変わらずSPEED好きだし。よく若い子なんかが、つい数年前のことを「懐かしい~!」って言うけど、僕にとってその頃のことなんて「つい最近」なのだ。それだけ若い子は日々を濃密に過ごしているから時間の経つ感覚が遅いのだという説もある。果たして僕は‥‥。
僕もそんな風に毎日を濃密に過ごしていたいと思う。


しかしこの沖縄の日々については、振り返りながら書き連ねてるだけでこんなに時間と文字数を費やしている。そうしているうちに半袖じゃ寒い季節になり、KAQRIYOも新しいライブを重ね、もうすぐ新曲も発売されるというのに。
しかし沖縄のことはいつまで経っても書き尽くせない。それほど僕にとって特別な日だったんだなと、日々の通勤途中の電車やバスや休憩中に思い出しながら書き足している。
しかしその半分以上は沖縄そのものの記述ではなく、そこから思い出される随想だったり、脱線だったりするのだが。

※新曲「Not Killed」発売後もまだ書いてるw

閑話休題。
それからネットで見つけて美味しそうだと思ったハンバーガーやさんを目指しながらコザの街を散歩する。やはりこの時間はまだシャッターの閉じてるお店がほとんどなのだが、夕方から営業の居酒屋などのの飲食店が多いようで、広いバス通りから一本裏の小路にはスナックやキャバレーが並んでいた。キャバクラではない、あくまでもキャバレーなのだ。そんなところも横須賀のドブ板通りの一本裏の路地に似てたりする。そういった界隈で昔から続くようなお店を探せば"当たり"に出くわせるイメージがあるのだが、「シャッター通り商店街」と化して存亡の危機に立ったあと、外から来た若い店主が空き店舗を開業したシャレオツなお店も割と多かった。僕はそういった"肉バル的な"お店はどうも苦手だ。遠征に行ったならばその土地を感じられるものを食べたいというのもあるが、いつから各地に増殖したのだろうバル。
バルと言えば太陽戦隊サンバルカンのバル・イーグル、以下シャーク、パンサーですよ。


それは置いといてお腹がすいてきたのでマップに印つけてたハンバーガーの美味しそうなお店を目指した。しかしそこの店構えも昔から続く"バタくさい"アメリカンな感じというより、もっと近代的な"バル的な"雰囲気も少しあったのだが、お腹がすいてたので突撃することにした。
突撃となりの晩ごはん!
いやまだお昼だしシャモジも持ってないし。
カウンターに着くとメニューは日本語でも通じるのだが、店員さんは生粋のアメリカ人らしく片言の日本語しか話せないようだ。注文の会話に齟齬がありあやうく1人で食べきれない量を注文するところだった。
注文をして席で待ってるとハンバーガーとパッションフルーツジュースが届いた。ファストフードのとは違って価格もそれなりにしたがそれ以上に味は美味しかった。近所の常連さんとおぼしき人が慣れた様子でテイクアウトを注文して端の席で待っていたりする。


案外こんなシャレオツなお店もいけるんじゃないかな自分。ぼっちだが。そろそろバスでまた那覇市街へ戻らなきゃ。

バスの高い車窓から景色を眺めているとA&Wやブルーシールなどの郊外型の大きなお店かあるのが見える。その華やかな姿は60年代のアメリカの田舎町のようにも思える。流線型のシボレーやフォードなどが似合いそうだ。
そして泊港でバスを降り、ホテルに戻って一旦のんびりしてライブへ向かおう。ホテルから沖縄outputへは徒歩3分くらいで着く。しかしこの日の開場が16:00開演16:30と、思っていたよりも早かったことに気づく。
シャワー浴びてメイクしてラズベリーのパン(略)※
※SPEEDの「Wake Me Up!」の歌詞から引用


新奇懐古周遊のTシャツに着替えて戦闘態勢に入る。
かくいう僕も8月21日の渋谷GARRETでこのツアーのファイナルを終えた気分でいて、いよいよこのシャツ着てのライブ参戦もこれが最後かなって気持ちでどこか物寂しかったのを思い出す。
せっかくシャワー浴びたのにホテルから徒歩3分のoutput前に着いたら暑かったのでコンビニでアイスクリームを買ってŧ‹"(๑´ڡ`๑)ŧ‹"する。


階段で並んでると昨日会ったばかりの顔ぶれのYOMIBITOさんたちが。お互い宿泊先は違うのだが朝起きておはようと一緒に寝食を共にしているかのような錯覚に陥る。スタッフの伊津さんが現地で買ったオリオンビールのロンT着てて、その満喫してる様子がなんだか微笑ましかった。
整理番号順に入場する。
沖縄outputは以前は県庁側から少し海に近い方にあったのだが、現在の国際通りのほぼ中央に移転した。2年前のつれづれのライブで訪れた思い出の場所が無くなってしまったのは寂しかったけど、黄色い文字の看板などは以前のoutputからそのまま移設したのであろう、フロアもステージも広くなったが雰囲気はほとんど変わってなくて安心した。

予約特典の水着(!)ブロマイドとメンバー手作りのミサンガのセット(ランダム)を受け取った。いつもはフロアに居合わせた人同士で「○○出たんですけど、誰推しですか?」と声かけ合ったりするのが恒例で、それで初めましての人とも交流が生まれたりもする。この日も周りのYOMIBITOさんから「特典誰が当たりました?」って声をかけられたが、ごめん今回は愛の力ってやつなのかな?最初からロンドちゃん当ててしまいました。
そして最前列の端の方が空いてるかなとリュックを置こうとしたら「らぼさん真ん中来ます?」と。
いつも最前列ドセンから游ちゃんにラブを送りKAQRIYOのYouTubeのライブシーンでもたびたび後ろ姿が映ってる"あの人"が、昨日のファンミでなんやかんやの話の流れで「今日はドセンには居ない」と約束しちゃったみたいで、僕はその恩恵にありがたくあやかることにした。沖縄でドセンで特典はロンドちゃん、もう最高の予感しかない。

フロアのBGMがボリュームを上げやがて止まると、静寂の中ステージ後方下手側の袖からマロが登場しターンテーブルにスタンバイする。近頃フランジャーかフェイザーの回転系エフェクト深めにモジュレーション効かせてるSEが流れると、季・心鞠・ロンドの順に上手側からポジションにつく。

キラキラしたシンセ音でなんちゃらバブルスのイントロが流れる。これが一曲目というのもなかなか珍しい。リズムに合わせて游ちゃんが「いくよっ!」って掛け声を入れてくるのも可愛い曲で、続くだいいんぐあかさたなは、昨日のファンミですもてゃんにも話したように、すもてゃん色がよく出ているし、今日のすもてゃんの変顔もいつもよりも際立っているように思える。
ここ掘れ優秀な犬よ♪と小槌を振り上げるロンドちゃんの表情がまた可愛い。
みんな昨日のファンミでの楽しかった気分がそのまま楽曲に反映されてる、ライブの後にファンミって流れが自然だと思っていたが、逆に昨日のファンミがあってこそいい構成だなと、バカな僕なりに割と冷静に見ている。

Hide and seekのBメロの「そういうのやめたの過去に」のマロに昔の面影を重ねたと同時に、このKAQRIYOTERRORにマロが戻ってきてくれてArchitect時代から大切にしてきた曲を今ここで聴けるのを嬉しいと、沖縄で改めて感じた。
僕も僕でマロが復帰したばかりの頃は、まさかKAQRIYOを観に沖縄へくるなんて思いもよらなかった。

Human flyからTEKITWOへ続く「0チテン」収録の"クラブ系"なメドレーは、緩やかなテンポが沖縄の空気によくマッチした。ライブハウスのドリンクでアルコール類が解禁されていたならば、オリオンビール片手に"ほろ酔い"(あくまでもほろ酔い)で聴けたら最高だなって思った。以前output来たときはオリオンビールを中瓶で飲めたことも思い出す。
そう、ここoutputはソフトドリンクなら¥300というとてもお手頃な価格設定なので、ついもう一杯という気持ちになれる実に良心的な箱なのだ。
そのTEKITWOのぴよぴよしてるロンドちゃんがもうほんとかわいくて、かと言えばTEKITWOのアウトロに向かってハイッ!と合いの手を入れてくるマロもまたフリーダムで最高だった。
KAQRIYOひいてはコドメンのライブは曲間ほとんど空けることもなくほぼノンストップでMCもほとんど無い。そしてそれを世界観としている。しかしKAQRIYOTERRORにおいてはターンテーブルを駆使して曲の曲の間にメリハリも生まれるし、その日のセトリじゃなきゃ聴けない一幕も存在する。
そしてまたメンバーのフリーダムな一面で楽曲が彩られる。昨夜のマロのハイッ!などもそんな「その日限りの体験」として記憶に残る。
普段音源ばかりを繰り返し聴いてると、ライブのそういう記憶が上書きされそうでちょっぴり怖い気持ちもある。もう何度も言ってることだけど、心鞠・季・ロンド・マロの4人で既存曲の新録アルバム作ってほしいし、ライブverの音源や映像も欲しい。

───ライブ遠征でファン同士で車移動なんかしてると、カーステレオで流す音楽ったら、大体そのアーティストのアルバムをガンガンにリピートさせてテンション昂ったままワイワイ過ごしたりすることが多いのだけれども、僕はつれづれからKAQRIYOへと遠征するようになって、行きはそれを流してテンション上げることは多くても、何故だか帰りはほとんどそのアルバムを聴かないようになった。とりあえず行動として耳にイヤホン挿してもBluetoothをONにしても音楽は流さず、耳にイヤホンがスタンバイしていることによって雑踏のノイズが心の耳ではシャットアウトでき、心の耳の中ではさっきまでのライブの余韻がエンドレスリピートしている。
物理的に音の鳴らない音楽を音楽として楽しんでいたい。そんなジョン・ゲージの概念にも似ているのかな?って気持ちで今はホテルにいる。
エアコンのコンプレッサーが部屋の湿気を吸い取る音と、窓の外を走る車の音しか聴こえてこない、国際通りの真ん中にも関わらず静寂にちかいこのWBFアートステイ沖縄の10階から、わずか数十メートル先のライブハウスであった出来事を綴っている。
───

そしてベルやマリンバのように聴こえるかわいらしい響きのギターのハーモニクスからFull Time Diveが始まる。
これを初めて中変初日の静岡で聴いたときは構成も複雑で長い曲だなという印象を受けたのだが、実はそれにはからくりがありまして、と勿体ぶる程でもないが、サビでは二種類の異なるメロディーがオブリガートのように追いかけるのではなく同時に鳴っているから、聴く側は倍の情報を受け取っていることになる。しかしギターでコピーして構成も覚えてしまうと実はそんなに複雑ではないことが分かる。メロディーは重なりあってるしリズムも変幻自在で楽しい曲ではあるが。そんな楽しい時間があっという間に過ぎてしまった。実際2'38"という3分も無い曲なのだが。しかし。
終わらないもの エンドレスリピートで。

と、ギター小僧の気分のままいるとほどなくしてNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)から派生したスラッシュメタルのようなイントロのカクリヨ奇想曲へと続く。この流れはもしかしたらKAQRIYOで初めてじゃない?ここんとこの平日のオンラインなどはしばらく観られなかったけど。少なくとも僕が今まで観た中でこの流れはギター小僧の僕個人的には"神セトリ"です。
しかも今回は最前列ドセンを譲ってもらえたので。
やはりこの体験はYOMIBITOの一人として記録として残しておかなきゃという使命感もあります。
ってほぼ極私的な目線でばかりレポを綴っているけども。

そして奇想曲のエンディングで四人が輪になって手を合わせるエモみ溢れるシーンから、季がロンドにちょっかいを出して二人で笑い合ってる姿がとても印象的だった。すもてゃんに釣られるようにロンドちゃんもお口を大きく開けてガハハと笑っていた。奇想曲を観てるといつも僕は気持ちが昂って涙流してばかりいて今日も多分に漏れず漏らしていたのだが、この曲の世界観として僕が思い込んでいる、もはや先入観とも言えるソレを、目の前にいるロンドちゃんが打ち破ってくれたように思えて、ますますカクリヨ奇想曲を好きになった。

しかしよりにもよって次の曲はTrigger atq、である。
歌い出しからロンドパートでシリアスにキメなきゃこの曲は始まらない。イントロほんの数秒笑顔を堪えながら一瞬に切り替わったノア・ロンドがまた親近感もあって、そしてむちゃくちゃかっこよかった。このTrigger atqはロンドとマロが歌をリードしていて心鞠と季ももちろんなのだが、その分二人はダンスで魅せる比重が高い。その好対照な四人組といえば、寛子と絵理子が歌を多香子と仁絵がダンスをリードしていたSPEEDを重ね合わせて観てしまっていた。というわけでの「ラブリー♡フレンドシップ」だったのだ(※前篇参照)


話をライブに戻そう。

そしてOblivionと、エモ曲ばかりが続く。
中盤にエモ曲を集めるのは割と定番な流れであると頭では分かっていても、沖縄で聴けた奇想曲だ、沖縄で聴けたTriggerだ、などといちいち感慨に浸ってしまうし、やっぱり格別だと思った。

Original Satireのイントロでは季の声で「今日は沖縄まで来てくれてありがとー!!」などMCと煽りが入り、「えっ!?一体何事!?」と僕はしばらく"ポルナレフ状態"に陥ってしまった。
沖縄に咲くすももの花は紅みを帯びていないのもある。しかしそれは青臭くなくとても甘い香りを放っていて両弁が非対称なのが特徴的だ。
淡い薄荷色の、僕の大好きな花。
そう、ノア・ロンドちゃんがはしゃぎすぎたあまり、「すも・ロンド」に変身していたのである。

これも沖縄という場所がもたらしてくれた不思議な力によるものだと思う。そしてオリサーは僕にとってもすっかり身体に染み付いた曲。
Bメロからサビが迫ってくると「クラップ!クラップ!」と游ちゃんが煽る声も条件反射的に覚えている。ところが今日はすもてゃんも煽ってきた。自由である。しかし四人で作ってYOMIBITOたちと共に作っているライブだと実感する。最初おとなしく観ていた隣の女の子も一緒に振り付けして楽しんでいるのが分かる。僕も僕で時々後ろを振り返ってフロアの様子を確かめることくらいしろよと思うが、ステージの四人を見逃したくない気持ちでいっぱいなのだから。

今日まだ歌ってない曲でこの次に来そうなのは摩訶‥‥
不思議ズムキタ━(゚∀゚)━!
「人差し指出してー!」とマロの合図で一本ずつ指を出して「エロスのポーズ」をみんなで作る。
お馴染みのリズムに合わせてみんなでジャンプしているとマロが「イーヤーサッサー♪」と掛け声を入れてくる。
数日前からマロがイーヤーサッサーってツイートしてたのはこのことだったのかぁ!
これは気分が高まるし、マロのそういうところ好きだし、なんと言っても沖縄の宴の最後にふさわしい。僕はなんて幸せな空間にいるのだろう。
かと言ってこのVer.を他の場所でやるのも変だよね?
だから僕はセトリに「摩訶不思議ズム(沖縄ver.)」と書いた。たとえばもし今後徳島に行くことがあるのならば阿波おどりのアレンジをくわえたりだとか、考えると夢はふくらむね。
そしてこの沖縄ver.を、是非また沖縄で会って、また一緒に歌って踊ろうね。
沖縄ってのは人間を特別な気持ちにさせてくれる不思議な場所だ。

#KAQRIYOTERROR 新奇懐古周遊弐千弐壱 最南端変 20210926 @沖縄Output

DJ;マロ
ロ 游 季

1.なんちゃらバブルス
2.だいいんぐあかさたな
3.鬼乃狗摩音頭
4.Drying Party?
→Hide and seek
→SOS
7.Human Fly
→TEKITWO
9.Full Time Dive
10.カクリヨ奇想曲
11.Oblivion
12.Trigger atq
13.Persona_
14.アイデンティティークライシス
15.Avant-gardE
16.かごめかごめ

en
DJ;季
マ ロ 游
17.うすうす
18.Original Satire
19.摩訶不思議ズム(沖縄ver.)

特典会で話したことといえば、とにかく他愛もないことばかりだったが全てが尊くて愛しかった。昨日のファンミからずっと続いてるこの多幸感がこの先もずっと続けばいいと思った。
シャツの他にグッズもねだられたりもしたが、この後の旅を無事に過ごして帰るためにはそれには応えられなかった。それがとても心苦しかった。ごめんね。


もう間もなく終わるはずの特典会はまだ続いていた。感染対策以降のコドメンのライブではループして並ぶことができないのがルールである。
まだまだ話したい、まだまだ一緒に居たい気持ちを抑えつつ、でもほんの数分で宿に帰れちゃうのが寂しいのでそのままバーカウンターの近くでEiseiさんと雑談をしていた。
かくりよちゃんずが特典会を終えたようだったが僕はEiseiさんとの話に夢中になっていた。するとステージ近くの方から「らぼさーん!」って呼ぶ声が聴こえてきた。
ロンドちゃんだった。
「ありがとう、またね。」
ってロンドちゃんは僕がフロアの後ろの隅にいたことに気づいてくれて声をかけてくれた。さすが僕の推しメンである。

その後、伊津さんともいろんな世間話をしてしまったのだが、緊急なんちゃら宣言やらで延期したりその他つらい思いなどもあったけれど、ずっと来たかった沖縄に連れてきてくれて本当にありがとうございました。

ライブ終わりに開いてる居酒屋もあったが店内が賑やかだと余韻が掻き消されそうだったしそのまま近くのコンビニでごはんを買うのはシャクだったので、国際通りを県庁前まで歩いてA&Wでハンバーガーとポテトとルートビアのセット、そしてオニオンフライも買い、途中のわしたショップで"おかわり用"のルートビアも1缶買って、コンビニでお酒も買ってホテルで晩酌した。
知ってました?店内だとルートビアおかわりできるんですよ?

ぼくはこの沖縄についていったいどれくらい知っているのだろう‥‥

9月27日
何時に眠ったのか覚えていない。
枕元には一昨日と昨日のチェキが並べられたままだった。


沖縄に昇る朝焼けを浴びて深呼吸をする。いよいよ横須賀に帰る日になってしまった。
ここの朝食バイキングの盛り付けにも"慣れて"きた。しかし”ランチョンミートの入った味噌汁”などといった、沖縄のガチな家庭の味も恋しくなる。通ちゃんの家でごちそうになった時は驚いたっけな。言ってみればハムやソーセージに近いものを味噌汁にだよ?でもこれが沖縄の味なんだなーってすぐに好きになった。
そんなことを思い出してるとラウンジの三線BGMから聴き覚えのあるメロディーが。
BEGINの「島人ぬ宝」である。改めていいメロディーだなって思っていると、急に寂しくなって涙が零れてきた。泣きながら朝食を食べていた。

僕はこの沖縄についていったいどれくらい知っているのだろう‥‥

【島人ぬ宝】 BEGIN  歌詞有 https://youtu.be/FKClfSYPzUQ 

もう明日から仕事だけれども───とは考えたくない、今日もできるだけ沖縄を満喫して過ごそう。そういうつもりで今日の帰りの飛行機は余裕をもって遅い時間に予約しておいた。
そういえば初日、かりゆし水族館というものが気になったものの、その日は行けずに終わってしまった。
ファンミの時にすもてゃんと「水族館行きたいなー」「でも美ら海水族館は今休業中みたいだし」「そうだ、かりゆし水族館ってのがあるよ。僕もまだ行ったこと無いからどれだけの場所か分からないけど。でもここ(那覇)から近いみたいだし調べてみて」「うん!調べてみる!」
って話をしたのを思い出した。
そんな僕がかりゆし水族館を知らぬまま帰るのもシャクだな‥‥って、帰りの荷造りを済ませてチェックアウトした。ポンコツなのでお部屋に忘れ物ないか何度も確認しながら。

そういえばブルーシールはコンビニで買って食べてたけど、やっぱ店舗で盛り付けてもらったやつを食べたいなーって国際通りのブルーシールへ寄ってロンド色のアイスを食べてたら、すもてゃん色のも見つけたのでもう一個シングルでも食べた。ファンミの日に買ったブルーシールのTシャツ今日も着てたのでベタだなあ、でも今日しかないやと思いながら。愛嬌だねー。


かりゆし水族館の開館の時間に合わせてバスに乗った。バスが到着したそこはショッピングモールの大きな棟があり、その一角にかりゆし水族館があるそうで、たとえばドーム状のシンボル的な建造物やガラス張りといったいかにも水族館な佇まいはなく、本当にここが水族館!?と正直思った。チケットを購入すると係員が中へと案内してくれる。感染対策もあるのだろうし、"一組ずつ"案内しているのだろう。まるで予約制のアトラクションのようだ。
しかし僕は"お一人様"なので1人中へと案内された。そこではこのかりゆし水族館の、映像や視覚効果などを駆使したメディアミックス的なコンセプトをプロローグとして紹介された。なるほどDMMが運営してるからこうなるのか‥‥
そしてこの水族館は専用アプリをダウンロードするしてスマホでお魚をかざすと色々仕掛けがあるらしい。ポケモンやムシキングみたいにバーチャルなコレクションをゲットだぜ!も出来るらしい。そしてその案内すらQRコードしか載ってないという徹底ぶり。さっそく僕もダウンロードを試みたが、僕のポンコツスマホには新しいアプリをインストールするだけの容量は無かったのでそれは諦めた。
アプリのレビューを見ると「子供がスマホばかり見て実物の魚を見て欲しい」という声もあった。
なるほど、そんな僕もアナログで古い人間だ。
僕はどちらかと言えば昨年静岡で見に行った東海大学海洋科学博物館みたいな、昔ながらの案内板で解説してあるようなアカデミックでアナログなのに親近感をおぼえる。しかしここDMMかりゆし水族館はコンセプトとして、案内板なるものの文字を極力見せない場所なのだ。今の時代それをすれば多言語対応で余計にごちゃごちゃするからってのもあるだろう。


でも古い人間なりに今いるここを楽しもうと思った。床全面から水槽を見られるスポットで裸足になったり、サメやヒトデやナマコなどに触れられる水槽に手を突っ込んだり、周りは小さな親子連れが多かったけど、らぼっちぼっちは全然平気なのれす。そうだ、水中の世界にも「推し」っているよな…って、どこか4人に似ているお魚を探してた。

そして鏡張りの暗室で無限に広がる無数の円柱状のクラゲ水槽が幻想的で素敵だった。
これ絶対にデートスポットだよな。。。でもらぼっちぼっちは全然平気なのれす。

ロビーではホットドッグやチュロスなどの軽食があったが、さすがにぼっちチュロスはぼっち感が倍増するのでオリジナルドリンクを一人で飲みながらポンコツスマホに充電しながらのんびりする。でもらぼっちぼっちは全然平気なのれす。こうやって畳みかけるの芸人の世界では「天丼」と呼ぶんです。誰が芸人やねん!相方いないけど。言うても一昨日と昨日、ずっと実質デートしてたじゃん。じゃん。急に出てくる横浜弁。なんでやねん。なんくるないさー。
もういい頃合い、というかこれ以上寄り道したら空港で慌ただしくなりそうなので、あとは空港でのんびり過ごすことにした。

https://twitter.com/kaqriyo_komariy/status/1442374072965341188?s=20

すると游ちゃんをはじめとするかくりよちゃんずが、どっか見覚えのある証明が幻想的なクラゲ水槽で撮った写真をTwitterに載せている。数時間前に僕が居たかりゆし水族館にかくりよちゃんずも来てたんだ!

すもてゃん調べといてくれて、みんなで行ったんだね?よかったよかった。
ということは、僕が置いてった残り香を彼女たちは吸い込んでいたのである。感染症対策で館内の換気は万全だという事実はさておき、情操観念としては僕の残り香を吸っていたのである。この変態がーっ。いや、源氏物語などではそれは美しい世界なのである。
時間差はあれども、今日も実質デートしてたのでありんすなー。らぼっちぼっちは撤回するでやんす。ファンミの時いちおう教えといてよかったな。みんな楽しんでいるみたいだし、僕も楽しかったし、最後に来ておいてよかった。かくりよ水族館。

もう思い残すことは無い、無いと言ったら噓になる。しかしそれ以上を求め果たすには、もう一泊するか、また来年沖縄へくるしかない。だけど空港で時間に余裕はあるので、最後の晩餐へとしけこんだ。ロンドちゃんが感激してた海ぶどうを食べよう。僕は海ぶどうの味知ってるし、食べてしまえばあっという間なことも知っている。だけど今改めてロンドちゃんと気持ちを共有しておきたい。一見何の変哲もないピーマンだって特別な味が感じられたのだから。それが #ロンドともぐもぐ の究道である。

はぁ~、やっぱり今回食べる海ぶどうは格別に美味しいぜ。お店では現在アルコール類が提供できないのが残念だった。でも美味しい。ゴーヤチャンプルー定食で、ごはんはじゅーしーで。
空港内のこの料理屋さんは時間帯のせいもあって空いてたし、僕も含む待ち時間の長い人が訪れるためのお店でもあるので、ほぼ食べ終えた後もお冷やのおかわり注いでくれて長居しやすい雰囲気だったし、店内に流れている沖縄民謡も心地よかった。

最後に空港の売店をぶらぶらしてたら琉球グラスのお店を見つけた。体験工房でオリジナルの作りたかったなーって今回の旅を思い出していると、いい感じのミントグリーンでほんのりブルーもグラデーション入ってる、まさに僕の推しカラーのグラスを。お店ではもちろん割れぬようにしっかりと梱包してくれたのだが、それをさらにツアータオルで包んでリュックに大切にしまい込んだ。

いよいよ飛行機は沖縄から離陸する。

かくりよちゃんずはもう一日沖縄で過ごすと言ってたので、僕は名残惜しく先に飛び立った。
左舷窓側の座席から窓の外を眺めると、後方から照らす夕日が眩しかった。

きっと光の先に 君が居るからで、でしょ?

明日からまた日常に引き戻されるわけだが、それもこの3泊4日の記憶があればきっと大丈夫。
この沖縄の日々を迎えるために、沖縄を思い描きながら過ごしてきたように、この余韻が続く限りいつまでもここに居られる気がした。またしばらくの間、君とは距離が離れてしまうが、きっと大丈夫。君が見ている空も僕が見ている空も同じ空なのだから。

沖縄の皆さん、YOMIBITOのみなさん、伊津さん、Eiseiさん、游ちゃん、すもてゃん、マロ、そしてロンドちゃん、たくさんありがとうございました。

それにしても身体は疲れた。普段寝ている自分のベッドよりもよっぽど快適だったはずだがw なのでちょっと贅沢して成田エクスプレスで横浜まで。横浜からは京急で帰った。
おうちに帰るまでが遠征。

家に着いたらリュックの荷物を整理して、翌朝また4時に起きて出勤しなきゃいけないのに、部屋においてある三線を爪弾いてたら、ほとんど寝る時間が無くなった。
翌日の仕事中も昨日までのこと思い出してふわふわしている。他人から見ればきっと作業に差し支えあったかもしれない。すみませんでした。

まとめみたいになってしまうが、KAQRIYOTERRORと一緒に沖縄を過ごしてきて僕は、先述した通りの、今までの僕の半生で経験してきた音楽というものを、今の僕自身でたくさん追体験できた、そんな気がする。
何もかもが嫌になって引きこもってて塞いでて音楽が全く聴けず楽器も触れなかった時期が何年も続いていたけど、それでも生きてきてよかったなあ、音楽があって幸せだなって今は感じている。
これが僕自身の「新奇懐古周遊」でもあったんだな、きっと。

数日後、沖縄で同時に通販でも注文していたコメントチェキが届いた。4人それぞれが沖縄のこと思い出しながら書いてくれているのが嬉しかった。これからもいろんな場所で一緒の時間を過ごしたいね。游ちゃん、すもてゃん、マロ、たくさんたくさんありがとう。

そしてロンドちゃん、僕がファンミの終わりの時に君に告げた”うちなーぐち”の言葉の意味を調べてくれたんだね。
そしてそれがロンドちゃんの返事なんだね。
僕も全く同じ気持ちです。
この言葉は二人の秘密にしておこう。
ありがとう。

Never End Never End
私たちの未来は
Never End Never End
私たちの明日は

KAQRIYOTERRORが、游ちゃんが、すもてゃんが、マロが、そしてロンドちゃんが、大好きです。

2021.09.24~11.30.

Лавочкин
(らぼーちきん)

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