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KAQRIYOTERROR 沖縄ファンMTG ~ 新奇懐古周遊弐千弐壱真世界 最南端変 @沖縄Output 前篇

KAQRIYO初の沖縄公演を行う、と発表したのは確か新奇懐古ツアーが始まったばかりの東変の頃だったと記憶している。調べるとそれはまさに4月2日の東変の初日、渋谷Guiltyでのことだった。

https://twitter.com/kaqriyoterror/status/1377938934999617539?s=19

当初は「最西端変」と冠していたがやがてそれは「最南端変」と定着した。
そう、あの初日のアンコールのMCで告げられたんだった。これから4月は過密スケジュールの東変と西変が始まるというのに、同時に6月6日の沖縄のために貯金もしなきゃいけないのはなかなかにしてハードモードだ。
たとえ東変・西変のいくつかを我慢してでも沖縄へは行きたい。
2年前つれづれで沖縄へ行ったのが格別に楽しかったからだ。

振り返ってみれば4月2日の東変の初日の時点では、僕はまだまだ群青色の残像を背負っていて、果たして僕が行っていいものだろうかと葛藤していた。
そりゃあ向こうからすれば来てくれるのならばウェルカムであるのだろうけど。
その時まだ僕はKAQRIYOで遠征したのはCircus名古屋だけだったし、あの時は知ってる人もほとんどいなかった。そして関東以外の現場にどんなYOMIBITOさんがいるかも知らない。
でも沖縄は、沖縄にいるってだけで楽しいことが約束されると知っているし、まだ発表はされていないがおそらくファンミーティングもやるつもりだろう、そしてその沖縄をきっかけにYOMIBITOさんたちとも馴染んでいければいいなと思った。とりあえずダメ元でチケットだけでも取っておくことにした。

しかし緊急事態宣言により6月6日は延期となった。残念なお知らせではあったが、でも中止ではないようなので貯金する猶予ができたと前向きに考えることにした。

その後、西変は和歌山と大阪の2日間に絞って遠征をし、そこで初めて関西のYOMIBITOさんに声をかけてもらったりもして、かくりよちゃんずも僕が遠征してきたことを喜んでくれた。

7月は僕にとって苦難の月だった。
横須賀から割と遠くないし中変初日だしという理由で静岡は行った。おかげで「Full Time Dive」の初披露にも立ち会えたが、しかしその後の中変も南変もほとんど行けなかった。
それは8月の北変の、ちょうど僕の誕生日にあたる8月7日の仙台と、僕の産まれ故郷である秋田は必ず行きたかったから。だからその前の北海道なども魅力的だったが、そこは我慢した。

僕は決して"おまいつ"ではないし、一つ一つのライブを大切に何日間も余韻を残していたいし、たとえばライブハウス側の"空き"が生まれたことによって急遽組み込まれたライブなんかに対しては「そこでやる意味あるの?」と懐疑的に思うこともある。
その一つ一つを見逃したくない、見守っていたいという気持ちの積み重ねで結果としてツアーの全公演を、つれづれで回ったこともあった。
ひとはそれを「全通」と呼ぶが、しかしそれを「全通」の一言で片付けてしまうのは、違うと思う。ファン同士あるいは演者との会話の中で「全通」と呼べば話は伝わりやすい。それをスマートにこなせる環境の人ならば「全通」と呼ぶのもいいだろう。
しかし僕にとっては一つ一つを大切にしたい気持ちがあるし、ましてやこの過密スケジュールじゃ余韻が上書きされる一方だ。

実際のところ、したためていたレポの下書きは清書もできぬまま溜まっている。まるで未完成のプラモデルの山のように。これは僕個人の問題のみならず、僕のライブに対する気持ちをメンバーにも届けたいという気持ちがあるからであって、ライブからインプットしたものをレポなりギターなり、何らかの形あるものとしてアウトプットしてお返ししたい。そういうコミュニケーションを通じてライブのどこか片隅にでもフィードバックされたらいいなという淡い気持ちもありつつ。
毎回「楽しかったよー」だけで終わるようなライブ、僕はそれを"ファストフードのように消費されるライブ"と呼ぶが、それを好き好んで続けている人もいるだろう。しかし僕はそんなルーティンワークみたいなライブなんかには魅力を感じないし、雑多に食い散らかすようにぐるぐると回り続けるのを良しとするのならば、僕はそこから消えるのみ。

そんな思いで食いしばって信じ続けてきたものも、終わってしまうのは実に呆気ないもので。
まるで最初から無かったかのように時間だけが過ぎてゆく。確かにそこに存在していたという物質があるにもかかわらず。
それでもあの時あれほど信じ続けていたという自分を誇っていたいとは思っている。
しかし現実というものは実に呆気ない。

僕の方こそがその足跡をそこに留めておいて、名前から何から"転生"すればよかったのかな、とも思う。
しかし消えることの無い傷と十字架を背負いながら、それでも生きてゆくことを選んだのだから。

緊急事態宣言は再び延長が決まる。
これはきっと再々延期になるだろう。そう思ってじっくり貯金しておこうと思っていたら、、「えっ!?ほんとにやるんですか?」
公演後にスタッフさんに話したら「再々延期は難しいから、今日ができなかったとしたら、あとは中止になっていただろうね。」とのこと。そりゃあコドメンにとっても勿論だけど、Outputさんにとっても調整は困難を極めることだろう。

もう開催と決まったならば僕は腹を括ってその日まで精一杯を尽くすしかない。マロとの四人での"初シングル"「Full Time Dive」の発売日は大切だから必ず押さえると決めていたが、途中に急遽開催される配信ライブも他のリリイベも、沖縄へ行くことを最優先にしたら我慢せざるを得ない。

ワクチンは幸いにして日曜日に打つことができたのだが、それでも副反応のために仕事を休まなきゃいけなくなる場合もあるし、沖縄へ行くこと自体も叶わなくなる。かと言ってバリバリに仕事入れすぎるとそれで体力も免疫力が低下し体調を崩す場合だってある。

詳しくは話さないが僕の仕事はいわゆる「3K」と呼ばれるものであり、後述する特典のミサンガを身に着けたとしてもほんの半日で千切れてしまうような環境にある。「港湾の沖中仕」の現代版だと思ってくれればいい。
だから何?と言われればそれまでだが、それでも僕はサラリーマンなどには一生なれない性分だから自らそれを選んでいるに過ぎないのだし、このご時世において首を切られなかっただけマシと言えるだろう。
ギターも練習したいしプラモデルも作りたい。いくら時間があっても足りない。睡眠時間を削ればまた体調を崩しそうになる。そんな状況で職場には日によっては「この人ちゃんとお風呂入って手洗いもしているのだろうか?」と思うような人までいて時々変な咳をしてたりもする。怪我のリスクは勿論、感染のリスクもいつも隣り合わせにある。
グリム童話の「アリとキリギリス」のキリギリスのような生き方をしてきたはずが、人間に踏まれたら一瞬でつぶれて死んでしまうような蟻のような日々は、沖縄できっと報われるはずだ。

それは柳田国男が唱えた「ハレとケ」という概念といっていいだろう。
Wikipediaの解説に以下の一節がある。

日本では、戦後から高度経済成長を経て、大衆消費社会になったことで、派手な物、美味しい物が手軽に消費出来るようになり、ハレとケの区別が曖昧になった(どちらかと言えばハレが続いている状態になった)と言われている[3]。

それが古来続いてきた日本人の生き方であり美徳であると僕は思うようになった。

───高校の時の担任の先生が卒業式の日の「最後のホームルーム」で僕たちに向かってこう言った。
「君たちは将来"他人の嫌がる仕事"をしなさい。と言っても、暴力団とかになって誰かに嫌がらせをするって意味じゃないぞ。例えばきつかったり危険だったり、みんながしたがらないこと、敬遠すること、いわゆる「汚れ役」をも率先してできる人になってほしいという意味だからな。」
その後クラスメイトたちは大学へ進んだり、僕も浪人して遅れて、いわゆる"キャンパスライフ"という華やかなものではないが寝る間も惜しんで遊んですごし、結果として卒業できなくなった。
友達はみんな就職活動に追われ、どこでもいいからとりあえず受かったところをと、就職氷河期で数少なくなったパイを奪い合うように、一列になってクソ地味なリクルートスーツ着て「御社のなんちゃらは~」などとガラにもない台詞をまさに台本を読むように練習している。
僕はそんな友達を醜いと思った。これが「大人になる」ということなのだろうか。だったら大人なんてまっぴら御免だ。
好きな音楽の話では共通点たくさんあるのに、でもそれが彼の生きる道でみんなそうやって生き残っていくしかなかったことは、のちの歴史が証明していると思ってる。でもこんな姿は醜悪だと思った。
僕は大学をやめてバンドしながらバイトしながら日々を過ごした。そんな時期に沖縄という場所に出会った。

そんなことを思い出しながら再び沖縄へ向かうことを目指して仕事をしている。汚れることも怪我しそうになることも日常茶飯事だし、指に切り傷ができたくらいで絆創膏なんか貼ってる場合でない、貼ってもすぐに剝がれてしまうような「他人の嫌がる仕事」だから。しかし「いくらでも取り替えが利く、誰でもできる仕事」ではない。そんなほんのちっぽけな矜持と、また君に会えたとき君が喜んでくれる姿を思い浮かべながら、それをモチベーションにしていると言ってもいい。

ようやく目処が立ち、飛行機と宿を取ることができた。あとはいかに沖縄を楽しむか。そればかりを考え、沖縄までの間のリリイベやオンラインなどでうっかり散財してしまわないように我慢した。
確かに我慢は身体によくない。誘惑というものは常にある。しかし我慢するときだって必要なんだ。
臥薪嘗胆。

そして前日。(←まだ)
なにせ僕は人としての能力に欠如しているので何べん荷物を確認しても忘れ物をしたりする。カバンやズボンを換えるとそれは顕著になる。Outputのチケットとファンミのチケットとお財布と ケータイと充電器とイヤフォンとセトリのサインペン、特典のブロマイドがカバンの中で潰れないようにクリヤファイルの入るポーチも。それとマスクとお薬と着替えと普段使ってるトリートメントとヘアアイロンなどなど。着替えと言えば‥‥新奇懐古周遊のTシャツとタオルも忘れてはならない。そういえば香水どこいった、とまたカバンをひっくり返してやり直し。ってここは僕のメモ帳ではない。noteである。
って書くとメモもnoteもあまり違わない気もするが。
いったい誰が読んでるかも知らないこのnoteに書き綴ってる。帰宅後に。沖縄前日はブログ書いてる場合ではない。

結局荷造りしてたら深夜の1時を過ぎていた。アラームは3時45分にセットしてある。朝9時の成田に余裕をもって間に合うためには6時前に家を出発しなきゃならない。京浜急行で青砥で京成線に乗り換えれば成田に着くはずなのだが、何度も行ってる羽田と違って成田は、つれづれ台湾で行った1回きりしか無い。NAVITIMEとGoogleでは微妙に案内が違うし、節約してギリギリに到着するよりも、らくらくに到着する京成スカイライナーに乗ることにした。京急の特急ウイング号やJRのグリーン車の要領で特急券を買えばいいんでしょ?とたかを括っていたが青砥駅はちょっと勝手が違うようで、駅員さんに直接現金を支払って特急券を手に入れるという、京成のホームページ見てもよく分からないんだなこれが。ホームの最後尾に駅員さんを見つけて、なんとか事なきを得たのだが。

無事成田に着陸、もとい到着したのだが、今回乗るピーチアヴィエーション(すもてゃん航空)は機内持ち込み荷物が7kgまでと限られていて、それ以上の受託荷物は別料金になる。僕の荷物を計量したら6,8kgくらいになった。帰りのお土産で絶対オーバーするやつだ‥‥。
さっき買ったお茶を流し込み、手荷物の重さを体重に換えた。保安検査も無事に通過し搭乗を待つ。

いよいよピーチの飛行機に乗りケータイを機内モードに切り替える。ネット接続ができぬ間はブログの下書きがはかどったりするものだ、といいたいが、離陸後は窓の外の景色を眺めながらいつの間にかうたた寝してしまうのがいつものパターンだ。

飛行機は高度を下げ、沖縄の海と島々が見えてきた。そうそう!この色!
2年前つれづれで来たときや、SPEEDファンの"通ちゃん"に会いに来たときと同じ感覚が喚び起こされる。エメラルドグリーンの海──と呼ぶのが決まり文句だが、ここはあえてミントグリーンの海と呼ぼう。早くここへ飛び込みたい。
本当に来ちゃったよ!
タラップを渡る足どりはとても軽い。まるで天使の羽でも付いてるように。


しかし着陸後の行き先はいつもノープランなので、空港からモノレールに乗るか電車あるいはバスにするか、ロビーの岐路でうろうろするのもいつものパターンだ。
沖縄に来たならとりあえずゆいレールで国際通りにいけばなんとでもなるのだが、せっかくチェックインまで時間はあるのでGoogleマップに印つけといたかき氷のお店まで路線バスへ行くことにした。
ルイルイ♪
(太川陽介‥‥古っ)

糸満市役所行きのバスに乗り込みかき氷屋さんを目指すのだが、途中に「かりゆし水族館」という文字を見つけ、せっかくだから寄ってみるのもいいな、ぼんやり考えてると目の前のバス停でみんな次々と降りていく。ああここが水族館なのかな?僕も連られるように降りた。
改めてGoogleマップで確認する。が、僕のAndroidはもうけっこう年季が入ってるのでマップの挙動がにぶい。どうやら水族館へ行くためにはいくつか先のバス停から降りなきゃいけないようだった。
ここはウミカジテラスといって、那覇空港の滑走路と海との景色が綺麗で撮影スポットとしても有名で、確かに一眼レフを持ってる人が何人も降り立っている。
そしてここはここ数年で"ばえる"飲食店が何軒も出来た界隈だ。僕の地元で言えば逗子から江ノ島までの"オサレスポット"と似ていて、一見するとどんなものを売ってるお店か分からず、よくよく見ると黒板にチョークで本日のメニューを手書きした立て看板があり、要は僕みたいな人間の最底辺にとってはあまり居心地がよくない。
が、しかし海も空も飛行機も美しいな。美しいと思うことに貴賤は無い。
うーん、水族館まで歩いたら汗だくになるし、次のバスが来るまで50分くらいある。そうだ水族館はやめてタクシーでかき氷屋さんへ行こう。
沖縄のタクシーは初乗り¥550だったかな?関東などの¥740に比べたら安いので、多少気軽に乗れるのだ。運転手さんに行き先を告げて糸満へ向かう途中に豊見城の街を通って思わずテンションがあがる。
「とみぐすくって上原多香子ちゃんの出身地ですよね、昔SPEED好きで沖縄来たんですよ。その頃この道無かったですよね?」
など運転手さんと世間話をして、運転手さんの沖縄訛りを聴いてるうちに心が解きほぐれてきた感じがした。
僕はかき氷屋さんの近くで降りてあとは歩いていけばいいやと思ってたけど「せっかく沖縄来たのにお店開いてなかったら困るでしょう」と、もしも開いてなかったら別のお店も紹介してくれそうな雰囲気だったので運転手さんのご厚意に甘えた。お店の前に着いたら営業中の看板があった。
「開いてるみたいです、ありがとうございました。」

「いなみね冷やしもの店」の扉をガラリと開けると僕の他には一組のお客さんしかいなかった。
席につくと有名人のサイン色紙もたくさん貼ってあり、グルメ紹介サイトでもよく載ってるお店なのだが‥‥無理もない、緊急事態宣言の解除前の平日の昼飯時を過ぎ、お店によっては14:00でいったん閉じるところも少なくない時間なのだから。
朝おうちから持ってきたおにぎりを食べて以来でお腹もすいてたので、沖縄そばと食後にかき氷を注文した。前日におうちで沖縄そばのカップ麺を食べたのだが、やっぱ本場のはつゆが違う。カップ麺もなかなかに再現しているのだが、粉末スープでは再現できない透き通ったつゆの優しい口当たりと鼻を抜けるだしの香りが違う。そうそうこの味だよ。
そういえば都内某所のライブハウスの帰りに立ち寄れる沖縄料理のお店、ありゃあ便利な場所に店を構えてそれに甘んじている。
新奇懐古(略)西変の和歌山で食べた沖縄そばもなかなかに美味しかったっけな。

食べていると厨房の奥からジャリジャリとかき氷を作ってる音が聴こえてくる。それほど静かな店内で沖縄そば(大盛)の汁を飲み干してると、ちょうどよい頃合いにかき氷を持ってきてくれた。
このお店の名物である「白熊」である。
練乳氷に数種類のフルーツと煮豆が入っているのは鹿児島名物の「白くま」と似ているが、これはまさに熊の形を模している。そういえば秋田のキッチャテンではパンダ型の「白くま」も食べたっけな。
このいなみねさんの白熊はミニサイズも選べたのだが、とにかく大きい。


どこから食べたら崩れないか、反対側を軽く指で押さえてスプーンを入れたらすっと掘れた。練乳は真っ白ではなく少々琥珀色をしていて沖縄らしい素朴な色だなと思った。食べ進むに連れて白熊の"脳内"から煮豆(ぜんざい)がこんにちはした。いわゆるあんこのような"喉が乾きそうになる甘さ"ではなく豆の風味がしっかり伝わってくる優しい甘さが暑い沖縄にちょうどいい。昔から沖縄の地元で愛されてる味だと感じた。

そばと白熊でおなかいっぱいになったので腹ごなしのため糸満市役所のバス停まで歩いていたら、途中に奇妙な小高い丘を見つけた。
そしてそこの展望台から糸満の街を見渡した。
なだらかな斜面が続き、沖縄は昔から台風が多く、その対策でコンクリート家屋が多く、木造家屋は少ない。昔ながらの赤土色の瓦屋根もまだ多く残っていてお店の看板は取り付けるのではなくコンクリ壁に直接描いていた。最近は建材の耐久性も良くなってきたので"内地"と町並みはさほど変わらなくなってきたけれど、一昔前までは"内地"から来るとまるで異国を訪れたかの様に映ったものであった。

展望台から降りてバス通りを歩く。バス停にはいろんな行き先のバスが停まるので、運転手さんに県庁前まで行くか確認をしてから乗り込む。車内での次停留所のアナウンスと共にローカルCMが流れるのだが、クライアントから原稿をもらって読んでいるのだろう、CMのナレーションは同じ人のようだが、ご年配のご婦人が萌え声を頑張ってる感が、なんともUn-Sophisticatedでローカルだなぁと思った。
県庁の少し手前のバス停で降りてお店などが立ち並んでない"普通の町並み"を歩いて国際通りを目指した。なんでもないはずの街路樹も"内地"では見られない珍しい木ばかりで、街角の自販機のジュースも沖縄でしか見ないものが並んでいる。

牧志の公設市場の辺りをぶらぶらと歩く。
まだ初日だしお土産はあとでいいやと思いながらぶらぶらしてたら国際通りのドン・キホーテの前に出た。わずか50m歩けばホテルに着くのだが、その前に翌々日ライブが行われる沖縄Outputの前を確認してホテルでチェックインを済ませる。案内された部屋は10階の最上階だった。
もしも窓から見える景色が海だったら最高だなと思いファンミ会場近くのホテルを予約する選択肢もあったのだが、価格や食事なども考慮して国際通りの真ん中にあるWBFアートステイ那覇を選んだ。
お部屋は白い壁にペンキで色とりどりの"アート"が彩られているのだが、僕の部屋は家具類がネービーブルーでまとまってていたので好きな色でよかった。窓から見える国際通りの交差点ってのも雰囲気あって素敵だと思った。


館内の施設を確認し、ラウンジのバーでフリードリンクのコーヒーとフリーのアイスクリームを盛り付けて部屋に戻ってのんびり一息。シャワー浴びてベッドに横になってスマホで国際通り界隈を検索。ここへ3泊もするのだからノートPC持ってこようかなとも思ったが、飛行機の搭乗手続きなどめんどくさそうだったし、いやすぐ目の前なのだから散歩した方が話は早い。
着替えて夕暮れはじめた国際通りを歩く。さっきまで開いてたお店は閉まってるところも多い。
本来の沖縄は"うちなータイム"といって、夜はまだまだこれからなのだが、この緊急事態が解除されるまではそうもいかないようだ。
そうだタコライスを食べよう。
本来ならば沖縄タコライス発祥のキングタコスにでも行きたいところだが、キングタコスは那覇から離れたところにあるので諦めたが、国際通りすぐ近くのお店のも美味しそうだった。店内で食べることもできるがアルコール類の提供ができないのでテイクアウトを注文して、向かいのフルーツやさんでトロピカルフルーツ盛り合わせを買い、コンビニでオリオンビールとWATTA(オリオンビール社の酎ハイ)とアイスクリームを買って部屋に戻った。
これで晩酌は完璧。


いよいよ明日はファンミだ。
ファンミおよびライブでは、かくりよちゃんずが僕が来たことを驚いてくれるのを楽しみに、内緒にしておこうという考えは普段はあるのだが、沖縄が発表された時から「行きたいね」って話してたし、一足お先に沖縄に着いた喜びをどうしても伝えたく、沖縄楽しいから早くおいでよーって気持ちで一杯だった。

沖縄二日目。
いつものように5時前に目が覚める。朝風呂にゆっくり浸かってのんびり過ごす。昨日食べたフルーツの、特にグァバの香りが部屋中に立ちこめている。そういえば台湾へ行った時も九份老街でグァバを買ってホテルで晩酌したっけな。あの時の翌朝を思い出す。
朝食はB1Fのラウンジでバイキング形式なのだが、朝食券を渡すとまず最初に巻き簀に海苔とごはんとポークランチョンミートと卵焼きが乗っている。お好みのトッピングを加えて太巻き寿司の要領で食べてくださいとのこと。その他に沖縄そば本部そば八重山そばの麺を選んでテビチ(豚足煮込み)や薬味も自由にトッピングできるのもあり、その他ごはんは白米と"じゅーしー(沖縄の炊き込みご飯)"も選べて朝からお腹一杯になった。これだけでこのWBFアートステイさんを選んで大正解と言えるだろう。

食後にマンゴージュースとプリンをいただき、部屋に戻ってコーヒーでのんびり過ごしながらファンミの身支度をする。

その前に一時間ばかり時間があるので宿の近くの硝子工房で琉球グラスを体験できないか見に行ったのだが、このご時世のため残念ながら体験は出来なかった。ベテランと中堅と若手の三人の職人さんがチームワークでグラスを作ってる熟練された手つきとチームワークを見ていると、ほんとにこれ数十分で作れるの!?って思った。この事態が解除されたら今度は体験してみよう。


ファンミが行われるコスタビレッジエスパーナは近くに波之上海水浴場もあるのでそこで遊んでからエスパーナへ行こうかな。
そう思いながらハーフパンツの下には水着を着ていてゴーグルも持ってきてある。国際通りを県庁側まで歩いていたら早くも汗ばんできて、せっかくアイロンかけた髪も乱れてきた。タクシーを拾い、海水浴場まではワンメーター料金で着いた。
見渡すと砂浜の向こうにバイパス道路の橋梁が海に浮かぶように伸びている。
2年前のつれづれファンミで来た記憶が喚び起こされる。あの日砂浜に書いた愛のメッセージはもう波と風によってかき消されていた。


砂浜を歩こうとしたら海水浴場にはロープが張られていて、泳ぐことはおろか砂浜に立ち入ることさえできなかった。
海水浴場から歩いてすぐ近くに若狭公園がある。
この一面シロツメクサの広場で、つれづれと二人三脚(メンバー同士vs群青同士だったが)などプチ運動会をしたっけな。そしてここでハーフタイムをとって、2リットルのお茶とアクエリアスを紙コップでみんなでシェアしたんだった。

と思い出に耽っていたらそろそろファンミが始まる時間が近づいてきた。
小躍りするような足取りでエスパーナへ向かった。
開始15分前にエスパーナに着いたら、着ているもの身に付けているものでYOMIBITOさんと分かる人がいたので声をかけた。
そうだった、髪型とか雰囲気変わってたが大阪へ遠征したときに話したYOMIBITOさんのきょーちゃんだった。程なくすると他のライブハウスでもよく見かけるYOMIBITOさんも集まってきた。
普段顔を見合わせてもあまり話しかけたりしなかったような人でも、やはりここ沖縄まで来たこと自体に仲間意識みたいなのを普段以上に感じるもので、お互いに話しかけやすい雰囲気が自然と出来上がっていたように思えた。

そんな沖縄の空を華やかに彩る髪色の四人が駐車場からBBQ会場へ歩いてきて、コテージの上からこちらに手を振ってきた。青い空にパラソルにコテージの白い手すり、もう世界は80’sの松田聖子ちゃんである。インディーレーベルのアイドルを「地下アイドル」と呼ぶのがすっかり当たり前になり、普段いつも薄暗いライブハウスで照明を浴びてる彼女たちを観ているのだから、あながちまちがいでもない。しかしやはりアイドルというものは存在感自体がキラキラしているのだし、自然光の下で見るかくりよちゃんずは初めてだったかもしれない。なんという貴重なシーンに遭遇したのだろう、いやこれから彼女たちとたくさんたくさん話せるんだってば。あせるな自分。

2年前のつれづれファンミの時はスタッフは高木さんが同伴していたが今回は伊津さんとEiseiさんだった。二人とも初めてのファンミに手探りのまま、とりあえず一人一人並んで参加券を確認し、特典のチェキ撮影の希望メンバーを確認する。以前ぜん君か何かで来たことあった人もいたかもしれないが、少なくともつれづれのファンミでもここエスパーナに来たことあったのは僕くらいだったので、僕はBBQグリルのそばに座ることにした。
YOMIBITOさん各々が席についたらKAQRIYOTERRORの四人が挨拶をする。四人四様におしゃれをしてきているのがなんともいじらしい。BBQをするにはおしゃれすぎる感もあったが、いいよお肉などは僕たちが焼くから。僕はここでBBQをすると分かっているのでむしろ逆に半ズボンで下には一応水着を着ている。海水浴場へは入れなかったけど。
いつになくゆる~く始まり、最初はお互いぎこちなかった。Eiseiさんがさっそくお肉と野菜を焼き始める。僕が座ったグリルそばの端っこの席だとメンバーとはあまり話せないかもな‥‥と思いつつ、Eiseiさんが焼いてる横で火加減など見守りつつ。
ドリンクバーカウンターからファンタのシークワーサー味を選んでプラコップに注いで席に戻り、さっき楽器の話で盛り上がったきょーちゃんと楽器の話の続きをする。今メンバーは誰と話してるんだろとかチラチラ気になりつつも。でもこうしてYOMIBITOさんと話せるのも貴重な機会だし。

そんな楽器談義に花を咲かせてると、風で飛ばされそうなのを指で押さえていた空の紙皿にひと切れのお肉が乗っかる重さを感じた。
あっEiseiさんもう焼けましたか?僕も手伝いましょうか?って思って振り返ったら游ちゃん!
「らぼさんお肉食べる~?」
游ちゃんがお肉を盛り分けてくれていた。
食べる!食べる!居るなら教えてよー!
游ちゃんがくれたお肉おいしいなーと噛みしめてたら今度はロンドちゃんがピーマンを盛り分けてくれた。えっ?きょーちゃんピーマン苦手なの?きょーちゃんの分も僕が食べちゃうよー。僕は元々食べ物の好き嫌いはほとんど無いし、青椒肉絲などピーマンを使った料理を作るのも好きだ。しかしこれほどまでにおいしいなーとしみじみ噛み締めながら食べたピーマンは初めてかもしれない。

ちなみに空耳アワーの「ピーマンだめですよー」とはQueenの「Seaside Randezvous」という曲である。
https://youtu.be/PPUqNwUgsUk

そしてかくりよちゃんずもまた食欲旺盛で、女の子が美味しそうに食べる姿ってのはかわいいと思う。僕もまた「もっと食べなよ?」とお皿を差し出す。が、しかし彼女たちもそう言ってる僕もまた、食べることよりも話すことに夢中になっている。

今日の参加者が順にチェキ撮影するためメンバーは時々席を外すのだが、そうやって何度か"席替え"をしていくうちに、マロが「らぼさんの隣あいてる?」と座ってきて他愛もない話だったり、すもてゃんとは普段話せないような真面目な話にもなっちゃったりして、でもそれでも話すときの目がとてもきらきらしていて、そんな一面もまた魅力的だと思った。
そしてロンドちゃんも隣に来てくれて他愛もない話をしていたのだけど、途中チェキ撮るために呼ばれていってしまった際に、自分のコップを間違えないようにロンドちゃんのサインを書いたコップとスマホをそこに置いたまま。またここへ戻ってきてくれるんだーって嬉しい気持ちになったし、戻ってきてくれたロンドちゃんとさっきの話の続きをした。
話した内容についてはもちろん秘密にしておくが、僕の中の備忘録として下書きに残しておこう。

そして僕のチェキ撮影の順番が来た。
メンバー全員とは象のすべり台があるところで撮影し、ロンドちゃんとは海の見える場所から撮った。そこはとても日差しが強くてお互い眩しそうに手のひらを目の上でかざしていたのだが、そんなロンドちゃんが何よりも眩しかったのは言うまでもない。
撮ったチェキにサインを書いてもらいながら、爪や指の話などをしていた。分かるかなぁ、テーブルに肘をついてリラックスするようなとき(もちろん食事中ではない)自分の肘よりも高いテーブル(または椅子が低い)だと肘をつけないので腕全体をテーブルに伸ばすの。あの仕草がとてもかわいいと思った。実に他愛もないことだったのだが、この時間を尊いと思った。

そして夜の部は1部と2部に分かれてペンギンのいるバーにて行われるのだが、思い返せば2年前のつれづれの時は、昼のBBQに比べて予約人数が集まらなかったため、中止となってしまった。当時の群青およびコドメンファンにとってはファンMTGというのがどんなものかいまいちイメージが掴めなかったのかもしれない。子子子と艶奴かいた頃に川崎のバーでファンMTGを行ったこともあり、その時の思い出もとても大切にしまってあるが、群青の世代交代もあったことと思う。
今回のKAQRIYOのファンミの当日でも1部も申し込めますよ~とのことだったが1部も2部も内容はさほど違わないだろうし、昼のBBQが終わってからエスパーナからペンギンバーまではけっこうな距離がある。エスパーナ出るとき一緒にいたYOMIBITOさん僕も含めて5人いたのだが、僕らはタクシーではなくみんなで那覇中心部へ歩いて戻った。途中でペンギンバーの場所を確認したのだが、そのままそこで待つには時間を弄ばせるので各々の宿に向かうために「またあとでね」と告げながら散っていった。僕は慌ただしくファンミに行くより一旦ホテルでシャワー浴びたかったのもあったので、僕は2部だけを予約していた。
BBQのあとだとどうしても身体にBBQのにおいが染み付いてしまうのでシャワー浴びたらスッキリした。

そして再び歩いてペンギンのバーに向かったのだが、沖縄の夕方はまだまだ暑く、再び汗をかいてしまった。ペンギンのバー前に辿り着いたら中は貸し切りのようで、曇り窓から賑やかな声が漏れ聴こえてくる。何を話しているかまでは分からないが、マロだと分かる大きな笑い声も聴こえてきた。バーの外で待っている人は僕以外居なかったが、どうやらここで間違いないようだ。


第二部が始まる時刻になると、中から伊津さんが出てきて「らぼさんごめん、チェキ撮影に時間がかかってて、もう少し待っててね。」
僕以外のファンミ参加者は全員、1部と2部の両方参加していたようだったので、みんなは1部が遅くなってもさほど差し支えは無いようだ。
が、しかし僕の時間は‥‥

予定より15分ほど遅れて2部が始まった。
バーに入るとメンバーはそれぞれコンセプトの異なるメイド姿で僕らを迎え入れてくれた。
1部ではナースのコスプレだったそうだが、それもそれで見てみたかったが、話に聞く"夜のお店"な雰囲気よりも、この正統派な感じのメイド姿が見られただけで僕は満足だった。ロンドちゃんのメイド姿もさることながら、さっきのBBQの時と髪型を変えて左側を編み込んでたのがかわいかった。
「游ちゃんに編み込んでもらったの?」
「ちがうよ、自分でやったの!ほらこことか見てー」
と得意気に話すロンドちゃんを僕は可愛いと思った。

このバーでもフリードリンク・フリーフードが振る舞われているので、まずはバーカウンターでオリオンビールを受け取り、平皿にオードブルを盛り合わせる。YOMIBITOさんは「みんな1部でお腹いっぱいになってしまったのでラボさんみんな食べていいよ」と言ってくれたのだが、確かに僕もお腹はすいている。お昼のBBQでは食べることよりもお話しすることで忙しかったから。
そして真後ろにペンギンの水槽のある席につく。メンバーが他の席でYOMIBITOさんたちと話してる間、僕はペンギンとにらめっこしたりYOMIBITOさんたちと話をして過ごした。

お昼も乾杯したのに改めてロンドちゃんと乾杯を交わす。ロンドちゃんはジュースだったが、プラコップではなくグラスとグラスが当たる音も、この日のオリオンビールもまた格別だった。

途中何度かメンバーが入れ替わりに僕の席まで来てくれてそれぞれと他愛もない話からちょっぴり真面目な話などもした。そんな楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、第2部の終了予定時刻の19:40が迫ってきたのだが、ペンギンバーさんのご厚意で20:00ギリギリまで開けていてくれた。その間もメンバーと話すこともできたので2部開始が遅れた分も楽しく過ごせた。
結局お話しすることに夢中だったので、お腹いっぱいにはならなかった。気持ちはもちろんお腹いっぱいなのだが。でも話せば話すほどメンバーともっとお話がしたいと思った。だけどそれはまた時間と日にちを置いてからの方がいいかな。なにせ僕は頭の回転も遅いし全部覚えきれないかもしれないから。

───
「ライブでのこの曲のここのパートの誰々が─」とか、そらで覚えてる人ってすごいと思う。それができないから僕は手にセトリなどメモしている。でも雑誌記者のようにひたすらにメモばかり取るよりも一緒に踊っていたかったりするので、僕のメモは字が汚くライブ中に汗もかくので自分でも何て書いたか解読できないこともしばしば。
ファンミの最中も手にメモするという手段もあったかもしれない、いややっぱり話すことに夢中でいたいし、話したことは案外覚えているものだ。

帰り際、見送ってくれる四人に向かって「ありがとう楽しかったよ。また明日のライブでね。」と告げ、そしてロンドちゃんには"うちなーぐち"(沖縄の方言)で、ある言葉を告げた。
ロンドちゃんはこの言葉を初めて聞いたにちがいない。その横で聞いてた游ちゃんもすもてゃんもマロも「???」というお顔をしていた。
「これ沖縄の言葉なんだよ。
‥‥そういうことだから、じゃ明日ね。」
そう言って僕はペンギンバーをあとにした。

外に出るとYOMIBITOさんたちは数人で寄り合ってタクシーを呼ぶ人もいたが僕はふわふわとした足取りで国際通りまで戻り、コンビニでビールとアイスクリームを買ってホテルで晩酌した。

明日がライブという実感が不思議なものに思えた。ライブの翌日にファンミって流れの方が自然だろうなって思ってたから。
今日のお昼と夜に撮ったチェキを眺めていると、さっき話していたことだったり、游ちゃんすもてゃんマロそしてロンドちゃんの声で脳内再生がエンドレスリピートしているのであった。
明日のライブの夕方まで時間あるからどこ行こうかなって考えながら、真っ白いベッドのシーツ気持ちいいなって思ってたらそのまま寝落ちしてしまった。

僕の頭の中ではSPEEDの「ラブリー💙フレンドシップ」がリフレインしていた。

この曲は歌詞ももちろんのことだが、イントロのギターのカッティングから何からアレンジも素晴らしく、胸が躍る感じが堪らない。そして元気な四人が歌ってる姿に、つい重ね合わせて見てしまう。
もしもこの"ラブフレ"をかくりよちゃんずがカバーしたら最高だろうなって。
この曲はライブではサビの最後の"あなたに愛されたい"のパートで、めいっぱい推しメンに向かってアピールをするのだ。
誰に?
それはもちろんノア・ロンドちゃんですよ!

あぁ、"始まっちゃった"な。。。

後半へ続く

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