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オスマン建築のアパルトマンより
家族に見送られ、北極圏を通ってParisに到達したとき、私は不安でいっぱいだった。これから1年という長い期間をここで暮らしていけるのか、ホストファミリーはどんな人なのか。まず、フランス語が通じるのか。たくさんの想いを胸に、タクシーでホームステイ先に向かった。
ステイ先は17区の閑静なカルチェ(地区)にある。17区はこれといった観光地がないので、旅行で訪れることはないが、8区と16区に接していてプチ高級住宅街と呼ばれる。シャンゼリゼ通りから見て凱旋門の裏側に当たるこの場所は、大きなオスマン建築のアパルトマンが立ち並ぶ。
ホストファミリーは、すでにリタイア済みの夫婦と社会人の息子の3人暮らし。彼らは、貴族階級に当たる家族で、例に漏れずパリ流の伝統的な生活を好んでいた。
ホストファミリーとの出会い
タクシーは環状道路(高速道路)を通って、北西部から市内に入った。17区に差し掛かってくるとだんだん大きなアパルトマンが見えてきて、私が想像していたパリの風景に変わっていった。
フランス式のインターフォンに戸惑いながら、ホストマザーに出迎えられ、大人3人が限界の小さなエレベーターに乗って部屋に到着するとホストファザーが快く出迎えてくれた。調度品や絵画がセンスよく飾られたサロンで紅茶を飲みながら、私たちは家族の話や今までの仕事の話をした。
そこで感じたのは、自分には語れることがないこと。
まず彼らは私に「日本でどんな仕事をしていたの?」と聞いてくれた。
私は「オフィスワーカー」とだけ答えたけれど、彼らは要領を得ない顔をしていた。日本ではOL、事務員といえばそれまでだけど、どんな会社で具体的にどんなことをしていたのかを聞いていたみたいだった。
私は、自分の経験を話せるほどの語学力も、アイデアもなく狼狽えてしまい、これが初めてのカルチャーショックだった。
明らかにアンティーク調のシェルフやチェストが置かれている空間で、ソファに座っておしゃべりをするのは普段ちゃぶ台の前に座って日々を過ごしていた私にとってとても刺激的な時間だった。しかし、彼らにとってはそれが日常。絵画の隣には家族写真が飾られているし、シェルフからはハサミやメモが出てくる。作り上げられた空間ではなく、古いものと新しいものどちらも大切にしているからこそ作り上がる空間だった。
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テルヌ地区は閑静な住宅街なので、特にこれといって何もない。だからこそ、マダムから最寄り駅まで道案内をしてあげると連れて行かれたのが、凱旋門のお膝元だったことには驚いた。さすがパリ。犬も歩けば棒に当たるの要領で、少し歩けば世界遺産だ。あぁ、ここで暮らしていくんだ、この生活を求めていたんだという実感が徐々に湧いてきた。
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